薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §45

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§45

 

汚言症の構造
汚言症(コプロラリア)はチック症である。汚言症はチック症のすべての要素で構成されているので、このセクションでは Kurikiメソッドの総復習も兼ねて汚言症の構造を見る。不快なものに対する拒絶の要求や、強く望むものへの所有の要求の意識の中での身体的表現方法が感情である。意識の中での表現とは、自分の頭の中での表現という意味であり、他の人たちに向かっての表現という意味ではない。志向性において、意識対象は意識によっては選択されない。意識の中での要求表現の阻止が抑圧である。抑圧は頭の中での何らかの判断の阻止である。「トゥレット」は抑圧の厚みの先天的な傾向である。不快な身体的感覚も抑圧の対象となる。被抑圧感覚には、寒さ、椅子の硬さ、足の疲れ、食べ過ぎ、腰の痛みなどの不定的な感覚、あるいは、性器、肛門、膀胱などの原始的リビドー的感覚がある。これらの身体的感覚を抑圧する手段として他の身体的感覚が現れ、意識の対象となる。この身体的感覚がチック症の《強迫性筋肉内感覚》である。筋肉収縮のない筋肉収縮感がひとつの筋肉に現れる。ひとつの筋肉とは、リビドーにとってのひとつの筋肉であり、解剖学的単位ではない。リビドーは解剖学を知らないので、「ひとつの運動」によって限定された随意筋のひとまとまりが「ひとつの筋肉」となる。汚言症では、「xxxx」という単語を発音することが一単位の運動であり、その運動のための複数の筋肉のひとまとまりの一単位に《強迫性筋肉内感覚》が現れる。汚言症の「xxxx」の発音動作は解剖学的には複雑でも、精神的には実に単純なことである。肩チックと汚言症は動作の単純さにおいては差はない。肩チックと汚言症の違いは汚言症の幼稚性にある。汚言症における卑猥語は幼児語であり、攻撃性はゼロである。意識にとって大きな対象となるような困る単語が無意識によって選ばれる。幼稚園で子供がふざける単語、幼稚園で禁じられた単語である。リビドーは超自我の検閲を通過するために幼稚性を使う。リビドーが超自我を通過する際の幼稚性は性的な行為の際に不可欠であり、人類の存続のために必要である。ひとたび《強迫性筋肉内感覚》が現れるとその不快感が意識の対象となり、《強迫性筋肉内感覚》が抑圧の対象となり、その不快感の抑圧手段の《強迫性筋肉内感覚》が同じ所にさらに現れ重なり増幅する。ひとたび意識された《強迫性筋肉内感覚》は再帰的になる。すなわち、すべての《強迫性筋肉内感覚》は再帰的である。意識の志向性の身体的対象が限定される。筋肉収縮のない筋肉収縮感の増幅を消去するために大きな意識対象となる単語を発音することが絶対的に強制される。筋肉収縮のない筋肉収縮感の増幅は強く、汚言症の発音は身体的な不可抗力として超自我に正当化され、さらに例えば「ワルギはない」というような理由が汚言症の単語をランダムに選択(合理化)する。「xxxx」という単語の発音の身体的動作への強迫は例えば性器的感覚や肛門括約筋などの身体的感覚の抑圧であるが、この抑圧方法はひとつの病気である。男性患者が男性性器(抑圧対象)の名詞を発音することや女性患者が女性性器の名詞を発音することは少ないはずである。抑圧のための第二の意識対象がリビドーによって身体的に作られている。(神経症)。抑圧されるリビドー的身体感覚と抑圧されるリビドー的感情の無意識の中でのつながりが存在している。トラウマのイメージの裏側では不快判断が身体的表現手段(感情)を持たずに阻止されている。トラウマのイメージは普通のイメージと同じように記憶に並んでいる。ポテンシャルな感情のエネルギーを阻止し続けるための緊張の負担がある。汚言症の治療はトラウマを見つけ、不快判断に感情表現を与えることである。汚言症が身体感覚の抑圧であり(上層部)、身体感覚の抑圧という作業がトラウマ的感情の抑圧の手段であるから(下層部)、汚言症の発音が抑圧する身体感覚の意識化を始めれば、たとえば二週間ほどで、自動的にトラウマのイメージが意識に現れてくる。意識に現れただけでは感情表現にならないのはトゥレットの人の絶縁体の傾向であるので、感情的カタルシスが必要である。ただし汚言症の人の感情のかたまりは巨大であるから、カタルシスは極めて少しずつ行われなくてはならない。なお、汚言症とツバを飛ばすチックの類似は顕著である。