薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 概要

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
概要

 

Kurikiメソッドの概要
チック症と強迫性障害の治し方の記述には50のセクションが必要であった。これらの50のセクションは患者がこのメソッドの理論をはっきりと理解するための考察の量と順番の大まかな目安となる。

Kurikiメソッドは「チック症と強迫性障害の治し方」であるが、記述はチック症に関するものが大半を占めており、チック症の非器質的側面、および強迫性障害の身体的側面が強調されている。チック症と強迫性障害の類似性を同一の構造として理解し、それらの治療法を同じ治療法として同時に記述する。

チック症の診断の後、治療においては、医師は患者のチックの動作には全く無関心でなくてはならない。チックの動作は身体的抑圧の仕組みを作るオトリであるから、医師がその罠に掛かっていてはいけない。強迫的症状に不可欠な馬鹿々々しさ以外には意味をもたない強迫性障害の症状にも医師は目を閉じなくてはいけない。神経症の原因(神経症の下層部)は単純であり、それを保存するがために、様々な症状(神経症の上層部)がランダムに現れる。症状の分類として、肩チックであったり、手を洗うことであったり、爪噛みであったり、ゴミ屋敷であったりするのであるが、これらすべての症状はまったく無意味であり、観察や考察の対象とはならない。症状を分類するということは、神経症に関する無知である。あたかも瓶の中の牛乳は瓶の形をしていると言いながら、牛乳の形を分類するようなものである。

チックの動作は100%随意運動である。
チックの動作は、すべての随意運動のなかでも最も意識的な随意運動である。なにしろ、その度ごとに「しないわけにはいかないので、仕方なくする」のであるから。動かす筋肉の位置すらもその度ごとに意識されたうえでの随意運動である。呼吸も随意運動であるが、呼吸は自動的であり、通常は無意識で、イルカと違い人間は睡眠中も呼吸をするが、チックの動作は極めて随意的で意識的であり、睡眠中はチックの動作はない。意識に随意運動を絶対的に強制する強迫的な身体感覚がチック症の症状であり、チックの動作を不随意運動とみなすことは初歩的なエラーである。チックの動作が随意運動であることを知らない医師、健康な随意運動と健康な不随意運動の定義上の区別すら知らない医師が実際に存在するが、その場合は患者にとってとても不運なことであると言える。

チック症の治療と強迫性障害の治療は同じものであり、それは週に一回、三秒間の爆発による感情的カタルシスである。少なくとも三ヶ月は掛けるつもりで少しずつ行なう。トラウマイメージの発見は治療のために必要な単なる準備にすぎず、毎週一回の感情的爆発が治療となる。自閉症スペクトラムにおいて、意識と無意識の間の感情の抑圧の密閉性が問題となる。アスペルガー特有の身体感覚と感情の構造とともに、チック症および強迫性障害の器質的な素因を自閉症スペクトラムに含まれるとしてKurikiメソッドでは考える。すなわち、Kurikiメソッドの理論ではトゥレット症候群と強迫性障害は自閉症スペクトラム障害の人たちにおける神経症の症状とみなされる。チック症や強迫性障害における強迫性は感情的カタルシスの爆発で除去できる一方、自閉症スペクトラムは先天的領域であり、治療の対象とはならない。むしろ、アスペルガーであることは人類のすべての文化の創造を担う役割りの人たちとしてしばしば誇るべきことでもある。チック症の治療と強迫性障害の診断では、家族や親戚にとても学校での学力が極度に低い人、極度に高い人がいるかどうかが尋ねられる。

チック症と強迫性障害の治療は考察と推論、そして一週間に一回、三秒間の感情的カタルシスであり、これは長期間の治療となる。筆者は治療期間は三ヶ月と書いたが、一過性の不安感を避ける意味で、治療はゆっくりなほど安全である。
チック症の場合、チック症の《強迫性筋肉内感覚》の不快感覚とチックの動作の絶対的な強制が三ヵ月後になっていきなり消えるのではなく、このメソッドに関する患者の理解、チック症の構造に関する患者の理解が正しい方向に向かった日、第一回目の感情的カタルシスの日から既にチック症の症状が徐々に消え始める。患者の個人差があるが、足の筋肉疲労や胃の痛み等々の身体的不快感覚の抑圧としてのチック症の《強迫性筋肉内感覚》について精神分析医が患者に教えてから二週間後にトラウマイメージ探しの漠然とした方向が発見されると仮定して、そのあとに毎週一回三秒の感情的カタルシスの爆発を十回行うと三ヶ月になるというような計算である。

このメソッドに関する患者の理解が正しい方向に向いているならば、第一回目の感情的カタルシスの後に即、患者にはチック症の症状が消え始めたことを自覚する。患者は調子にのって感情的カタルシスの大爆発を望むはずであるが、一過性の不安感を避けるためには精神分析医のブレーキの役目が不可欠である。

トラウマイメージの虚像における幼児的な錯覚のなかでの人物と現実の人物の区別を精神分析医は患者に説明する。それは、情的な思考にかける患者の場合はトラウマイメージの加害者と現実の人物が表面的に同一視されてしまう可能性があるからである。神経症の治療は楽しいものでなくてはならないことを精神分析医は患者に教える。神経症の原因は、トラウマの内容ではなく、感情のかたまりの形成の個人的な傾向、意識内の感情表現への入り口の狭さ、肥大した感情のかたまりの大きさにある。患者はトラウマイメージの中の「悪者」に現実世界で暴力で仕返しをしてはいけない。不快感情と現実世界を混同した患者による愚かな復讐的犯罪を防ぐために、トラウマイメージの発見に伴い、神経症の仕組みが患者の知性によって客体化される必要があるが、これは精神分析医の基本的な仕事のひとつである。

1.神経症の下層部
日常生活において通常ありふれたこととみなされることでも、アスペルガー的な要素を少々持つ子供にとっては充分にトラウマ的であることが多く、リビドー的トラウマは、必ずしも性的な、犯罪的な、劇的なものと決まっているわけではない。たとえば、大人に頭を触られただけでも死ぬほどムシズが走る子供もいる。子供によっては、下着の内側の性器の感覚が抑圧対象である可能性もある。トゥレット症候群の子供は先天的に抑圧が強く、リビドー的なレベルにおける直感的に不快な物への判断が意識の中で表現されないことがしばしばある。リビドー的なレベルとは、神経症の構造において、無意識と身体の交差領域であり神経症の下層部と上層部の合わさる部分である。非常に不快な感情を隠し持つイメージがトラウマイメージであり、記憶の中に普通のイメージと同じように残る。何であれ、毎日繰り返され、リビドー的な不快感情が抑圧され、蓄積され、肥大した感情のかたまりができるようなものがその患者にとってのトラウマである。

アスペルガー的な振る舞い
・思いついた駄洒落を言う
・一人でいることを好む
・好きな人物や動物に特別な名称をつける
・毎日、同じ服を着る、同じ食べ物を食べる
・興味のあるものに関しては集中的に研鑽を積み、プロ級になる
など。

とくにチック症や強迫性障害の先天的素因としてのアスペルガー的な要素
・身体的感覚に特異性がある (ASMR など)
・不快判断が不快感情として意識内で感情的に表現されにくい
など。

肥満の先天的素因に対し食事のカロリー計算という対症治療があることと同様に、チック症や強迫性障害のアスペルガー的な先天的素因に対し感情的カタルシスの週に一度の爆発による強迫性の排除という対症治療が効果的と考えられる。

神経症の下層部
チック症であろうが強迫性障害であろうが下層部は同じものである。無意識は、ひとつの下層部を保存する目的でチック症や強迫性障害などの症状(上層部, KV)を使う。無意識はKVに強迫性を与える。Kurikiメソッドにおいて、感情的カタルシスの意図的な爆発は下層部の治療である。チック症や強迫性障害の治療のすべてが下層部の治療であり、「上層部の治療」という語には意味がない。下層部(感情のかたまり)の治療によって上層部(チック症や強迫性障害などの症状)は意識内に現れる必要がなくなる。意識に対して隠すものがなにもなくなるからである。ひとたび診断されたならば、チック症や強迫性障害の治療のためには、医師は患者の症状というものにまったく無頓着でなくてはならない。無意味な行為、馬鹿げた行為ならば何でも神経症の症状になりえる。行為の意味に関するフロイト的な捜索は何の役にも立たない。治療とはトラウマイメージの発見ではなく、トラウマイメージの裏の感情を毎週一回、三秒間だけ爆発させることを意味する。同じトラウマイメージに関して定期的に小さな爆発をすることにより感情のかたまりを量的に徐々に減らしていく。

Kurikiメソッドは鬱病の治療ではない。感情的カタルシスの爆発が強すぎる場合は一過性の不安感を感じる可能性があるので、鬱病を伴った患者は充分な注意が必要。

神経症の上層部
上層部、すなわち個々の患者の症状は無意識によってランダムに決められており、下層部のトラウマの内容とは無関係である。トラウマイメージの捜索は神経症の症状を参考にしてはならない。

KV (Körperliche Verdrängung 身体的抑圧)
特有の身体的感覚と動作の組み合わせ、特有の身体的感覚と行為の組み合わせ、など。KVは常に身体的であり、身体的不快感覚から意識の志向性を逸らせるための抑圧の仕組みである。不快な不定的身体感覚(足の疲労、腰の痛み、気温の寒さなど)や原始的身体感覚(性器、肛門など)が抑圧される。

チック症の上層部
チックの動作は100%随意運動であり、筋肉の身体的不快感覚と筋肉の不動状態への強迫観念の増幅を消去するために絶対的強迫により強制される。この身体的感覚がチック症の《強迫性筋肉内感覚》である。

強迫性障害の上層部
強迫性障害の《強迫性身体感覚》は身体的感覚であり、行為の強迫が意識内で増幅する。

絶対強迫の枠の中で神経症の症状は病的な構造の産物であり、健康な構造にはない異様な要素を含んでいる。これらの病的な構造は、それらについての奇妙な記述を論理的に理解できる少数の知的な人たちにのみ理解されるものであるのかもしれない。50のセクションを読み、一箇所でも理解すれば、一気にこのメソッドの考え方のすべてが極めて明白なものとして理解できるかもしれない。読解のむずかしさは読者の個人的な問題である。無意識の抵抗があるので、Kurikiメソッドを読みたくないと思う患者にはこのメソッドが有効であると考えてよい。

パニック障害
パニック障害はアドレナリン作用により身体状態を変化させる《恐怖する身体》に対する恐怖の増幅である。チック症の《強迫性筋肉内感覚》(筋肉の不動感)と強迫性障害の《強迫性身体感覚》(皮膚感覚、その他)はアスペルガー的な異常な身体感覚である一方、パニック障害は実際のアドレナリンの作用を伴う。
(薬を使わないパニック障害の治療)

合理化
Kurikiメソッドでは神経症の症状をルーレットのようにランダムに選択する病的な無意識の機能を「合理化」と呼んでいる。チック症には筋肉や関節の可動性を確かめる運動、強迫性障害には良い子供のする行為、汚言症には子供が悪意なくふざけて言う悪い単語。ヒステリックな動作や行為にこれらの正当性が偽りの動機として伴う。ランダムな正当化の容易さにしたがって症状は選択されるので、それは、すなわち合理化の可能性が患者の症状をランダムに決定しているということになる。ランダムな偽りの動機が容易であるような動作や行為が症状となる。この合理化はチック症および強迫性障害の構造の理論としての Kurikiメソッドにおける中心的な概念のひとつである。フロイトの理論での合理化とは異なるものであり、《行為》と《動機の合理化》の順序も逆になっている。チックの動作や強迫性障害の行為は極めて意識的なものであり、意識的な動作や行動には必ず何らかの動機を伴う。たとえば、「なぜならば、爪を切るのは良い子の良い行為であるからだ。そして、ここに爪切りがないからだ」という偽りの動機により爪噛みが正当化され、ひとつの強迫的行為として患者の無意識の中で選択される。偽りの動機は「なぜならば、爪切りを使うよりも噛んだほうが速いからだ」などかもしれない。たとえば、「なぜならば、髪はたくさんあるからだ」というような偽りの動機の抜毛癖よりも爪噛み癖の偽りの動機のほうが正当性がある場合に爪噛み癖が患者の強迫的行為として無意識によって選択される。フロイト的な合理化では、偽りの動機はトラウマの内容の表現をもつ無意識的な行動の後で、言い訳として意識内に現われるが、逆にKurikiメソッドでの合理化は偽りの動機の正当性の容易さが行動の選択に先立つ。「なぜならば、ここに爪切りがないからだ」という偽りの動機が容易に可能であるから、ヒステリー的な無意識は爪噛みという症状を容易に選ぶのである。合理化によりランダムに選択された強迫的行為やチックの動作様態は患者のトラウマの内容とはまったく関係がない。症状の本当の動機は意識の志向性を不快なもの(不快な身体的感覚、性器、トラウマ・イメージ)から逸らせることであり、それが抑圧である。すべての随意運動はランダムにチックの動作になりえるので、チックの動作を分類することはチック症に関する無理解を表す。患者のチックの動作様態のひとつひとつは診断において何の意味ももたない。同様に、すべての幼児的行為はランダムに強迫性障害の行為になりえるので、行為の分類は無意味であり、何の役にも立たない。

合理化は神経症の単なる一つの属性に過ぎず、強迫性の原因ではない。

非退行的な幼児化
フロイトの理論では退行を神経症の症状の構造の一要素としているが、Kurikiメソッドではリビドーの意識的現れが超自我の検閲を通過するときの振る舞い、巧妙な手口と考える。超自我はリビドーの働きが幼児を装って意識内に現れるのは許す。幼児化は超自我と五歳以下のリビドーとのあいだの健康な共犯であり、罪悪感をともなった健康な喜びがある。幼児化は正当化されるべきものであり、さもないと人類は滅亡する。合理化において、幼児的な偽りの動機は容易に正当化される。汚言症の幼児語は「いたずらな子供」であり、手を洗う強迫性障害は「清潔な良い子供」である。正当化される行為は、意識の志向性に干渉するものとして馬鹿げたものである必要があり、幼児化は神経症の合理化に適している。

馬鹿々々しさ
幼稚な行為は当然、馬鹿々々しさを伴い、さらに馬鹿々々しさは患者の意識の中で意識の志向性の対象を目立たせる。強迫性障害の馬鹿々々しい行為の他にも、チックの動作における速さの必要性、汚言症における声の大きさの必要性、関節チック症の音の必要性など、馬鹿々々しい必要性が意識の理性に干渉し、そのことによって、神経症の症状は抑圧の手段となる。

上層部による下層部の抑圧。神経症的な抑圧の二重構造。
上層部の内部では、症状は不快な身体的感覚(足の疲労、冬の寒さ、腰の痛み、など)や原始的身体的感覚(性器、肛門、など)を抑圧する。上層部は身体的抑圧の仕組みであり、Kurikiメソッドの理論では神経症的病気の各々を総体的に KV(身体的抑圧) の強迫性を伴ったものとして考える。すなわち、KV は、たとえば肩チックの上層部であったり、手を洗う強迫性障害の上層部であったりする。KV は複数の神経症の病気をもつことが可能。患者は KV を先天的にもっている。しばしばアスペルガーの人は KV の感覚的構造をもっていることがあり、神経症の身体的症状の先天的な素因となる。上層部全体の存在、一つの病気の存在は下層部(トラウマ的な感情のかたまり)の存在を抑圧する。感情のかたまりの存在は KV に強迫性を与える。無意識がトラウマ感情を抑圧することにより意識を保護する。絶対強迫は神経症の大きな構造であり、KV (すなわち、意識と身体の特殊な組み合わせ)を、患者の KV が強迫性を帯びているときに取り囲んでいる。感情的カタルシスによって KV の強迫性が排除されると同時に絶対的強迫は消える。

無意識は身体と直接的に広く接している。無意識のもつ身体的要素において、不快感情の凍結保存の仕組みが神経症の病因として推論される。無意識による絶対強迫が意識内では常に身体的強迫のようなものとして現れることに関し、患者は理解することが困難である。

神経症の症状を作る病的なエネルギーは、抑圧された感情のエネルギーではなく、抑圧機能の力である。神経症の症状は抑圧の仕組みである。強迫の力は抑圧の力であり、抑圧をすることの必要性である。絶対的強迫の身体性の理解は神経症治療の臨床的な基本である。

チック症、及び強迫性障害の治療。
(1)チック症の《強迫性筋肉内感覚》や OCDの《強迫性身体感覚》が抑圧する身体的不快感覚の意識化。二、三週間で患者は自動的にトラウマ・イメージに思い当たる。
(2)少しずつの感情的カタルシスにより、未表現のトラウマ感情に意識の中での表現手段を与える。急激なカタルシスの爆発は禁止。治療は三ヶ月かける。
予期される治療結果とは、患者のKVが強迫性を失うことにある。