薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §24

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§24

 

連想

犬の嗅覚は鋭いが、人間にも鋭い能力がいろいろとある。たとえば言葉の音節の並び、メロディー、人の顔などの識別と記憶。そしてこれらの対象に関する連想は無意識になされ、似た言葉、似たメロディー、似た顔がしばしば頭に浮かぶ。連想された対象は無意識から意識に入り、そして連想がまた連想を呼び、脳が機能する。その際、ひとつの対象から対象がただひとつだけ連想される。もしひとつのメロディーから、それに似た複数のメロディーが頭に浮かんできたら大変である。もしもひとりの顔に似た複数の顔が頭に浮かんだり、同じ語からの複数の駄洒落を連発して止まらないなどということになると、意識の対象の数が対数的に増加してしまう。
連想の仕組みには規則性がある。ひとつの対象からひとつの対象が連想される。ある対象Aに似た対象 B が連想されたとき、さらに Aに似た別な対象 C を思い浮かべることはできない。(ただし、夢の内容の要素は複数の対象が混ざる。)
判断も連想であり、ひとつのことがらに関して二つの異なる判断は同時にはなされない。
また、ひとつの連想がなされている時は、その前の連想が消えるということも大切である。朝、目が覚めた時、夢を忘れるのも、前の連想を忘れるのも同じ仕組みである。夢は忘れるのではなく、先行の連想が残らないようになっているのである。それは連想がひとつずつ進むためである。

Kurikiメソッドでは、抑圧機能と連想機能は同じ仕組みとみなす。抑圧機能は意識対象に関する次の五種類の制限を意味する。
1. トラウマイメージの内側。
不快判断の凍結。直感的不快判断が遮断され、意識の中で感情表現されない状態。
乾電池は回路の一部となると化学反応で電子が移動する。乾電池の中は電位差を起こす組み合わせになっているのであり、電気が詰まっているわけではないが、このポテンシャルなエネルギーの状態を「乾電池には電気が詰まっている」と想像することもできる。トラウマのイメージの裏には不快判断が凍結しているが、カタルシスを「接続」したとき不快感情が噴出する。このような状態を「トラウマのイメージの裏には不快感情が詰まっている」、「感情のかたまりがある」と言うことができる。ポテンシャル感情は、裏返しの存在であり、いわば輪郭を点線で描いたようなかたまり、あるいは白黒写真のネガのような冷たいかたまりである。
不快判断の凍結
=ポテンシャルな不快感情
=絶縁体の密閉カプセルに入った不快感情
2. トラウマイメージの外側
トラウマイメージを避ける。不快感情は密閉されているから、トラウマイメージはたくさんの普通のイメージにまぎれている。幼児期の中心的トラウマイメージは、後の別の明らかに不快なイメージによって隠されることがしばしばある。無意識はトラウマイメージが意識対象となることを避ける。トラウマイメージは連想のつながりを失った後も、消え去るわけではない。本棚の他の沢山の本に混ざった一冊の読まない本の背のように、いつも見えている。幼児期の中心的トラウマイメージとその後のトラウマイメージがほとんど同じイメージであることが多く、その場合、幼児期の中心的トラウマイメージには不快判断が全くなされていないという特徴がある。
3. リビドー的な身体感覚 (原始的身体感覚) が意識の対象となることを避ける。
三歳児の神経症におけるリビドー的身体感覚として、性器、肛門、膀胱を意味する。
4. 身体的不快感覚一般 (不定的身体感覚) が意識対象となることを避ける。チック症患者の多くは、最初は自分には精神的トラウマがあるとは思わないはずであるが、チック症の《強迫性筋肉内感覚》のごとに不定的被抑圧感覚の意識化を頻繁にすれば、二、三週間のうちに自動的に精神的トラウマの方向が見えてくる。しばしば、一時的にチック症の《強迫性筋肉内感覚》が移動したり (即ち一時的に新しいチックの動作が始まったり)、一時的に強迫性障害が現れたりするが、それはチック症が治る過程である。不定的被抑圧感覚の意識化とは、たとえば、硬い椅子を硬いと思い、疲れた足を疲れたと思うことである。
5. 超自我として、意識の中での性欲以外のリビドーの現れを避ける。ここでは意識の中でのリビドーの現れを問題としている。行動における現れは問題外。
トゥレット症候群の連想
抑圧は不快な対象が意識対象となることを避ける機能であるが、対象を避けるためには見なくては避けることができない。この、見たくないものを見ないというパラドックスは、「不快な対象を無意識だけが見る。無意識は意識に別の対象を見せる。」ということで解決されている。抑圧対象とは別の身体的対象に強制的に意識の志向性が向かされる状態が神経症である。別の身体的対象が症状であり、それはチック症の《強迫性筋肉内感覚》とチックの動作である。絶対強迫の枠の中で身体的なチック症の《強迫性筋肉内感覚》とそのための正確な身体的なチックの動作が強制的につながれている状態がトゥレット症候群である。
何かを見たくないとき目を逸らせるが、そのために別の物を見るという手段をとるのと同じである。赤ちゃんが泣いているとき人形を振ってあやすのも、別の物で気を逸らせるということでは抑圧と同じ仕組み。チック症の治療方法として、Kurikiメソッドでは、無意識は何か別な対象への連想を用いて抑圧をするとみなす。下層部において、チックは連想がトラウマイメージに近づきそうになるたびに、別の物を使って意識の志向性を逸らす仕組みである。その別な物とは上層部である。

トラウマイメージ
トラウマイメージの裏側に不快判断が抑圧されて、当たり前の事のイメージとして他の事のイメージと同じように並ぶ。フロイトの精神分析学では分離 (Affektisolierung) という用語を用いているが、Kurikiメソッドでは絶縁体とした。トラウマイメージとポテンシャルな感情の間の絶縁体である。たとえば、とても小さな女の子が家族の誰かに毎日触られ、しかし不快判断を抑圧した場合は、ひとつの冗談のイメージとして他の楽しいイメージと同じように記憶の中に並ぶ。感情的カタルシスを行うまで、精神的トラウマとは気がつかない。大人と幼児の感受性の違い、抑圧の傾向の違いに注意が必要である。正確に言えば、幼児は大人と同じ感受性をもちながら、不快判断を知らないということ。入浴の際、家族の大人が毎日性器を見せたりしてはいけない。たとえば家族に身体部分を切断した方がいらっしゃる場合も幼児に毎日切断部分を見せたりしないよう注意が必要である。毎日のように繰り返される不快なことがらに対して子供の頭の中で当然表現されるべき不快判断が表現されない場合は、そのことがらのイメージは単なる当たり前のことがらのイメージとして記憶に残る。母乳の授乳が汚らしいことかもしれない。トラウマの感情は、明白なイメージをめくって探す場合もある。ひとつの連想がなされたために連想されなかった別のものを探す。連想されたイメージの逆方向を探す。めくったイメージの下から別のイメージが思い出されることもある。