薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §25

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§25

 

身体的被抑圧感覚の意識化

チック症の上層部
トゥレット症候群の患者は、たくさん階段を登る時、重い荷物を持って運ぶ時、マラソンの最中など、運動の際にチック症の《強迫性筋肉内感覚》の現れが多発するはずであると考えるのが論理的である。チック症の仕組みがチック症の《強迫性筋肉内感覚》を意識の前面に出して、不快な身体的感覚を抑圧しようとする。チック症の治療として、Kurikiメソッドでは抑圧の仕組みを「抑えつけておく蓋」とは考えない。抑圧の仕組みは「何を優先するか」である。意識は無意識によって作られ、優先されたものを意識する。子供の無意識が、たとえば、性器の感覚を抑圧するとき、抑圧の方法として別の身体的感覚が優先されて意識される。たとえば、眼が斜め上の方向を見るチックの動作があるが、眼球の筋肉の感覚、眼球の筋肉の存在、および眼球の筋肉の感覚に対する動作が意識対象として性器の感覚よりも優先される。これがチック症における性器の身体的感覚の抑圧の仕組みである。たとえば「これは眼の体操だ」と自分の頭の中で思うのが偽りの動機である。チック症の《強迫性筋肉内感覚》によっていろいろな身体部分の感覚が抑圧される。性器の感覚はひとつの例である。
子供のチック症が、重なりながら三段階に進む。三段階は移り変わるのではなく、重なっていき、最終的にはチック症の上層部において三段階のすべてをもつことになる。
1、原始的被抑圧感覚 §26
2、不定的被抑圧感覚 §27
3、再帰的被抑圧感覚 §28
意識は無意識と身体の関係を認識することはできない。関係の作用のみが身体感覚として知覚される。身体感覚をもとにして、無意識と身体の関係の存在の仮説が推論される。この推論は哲学的な推論ではなく、治療的な推論であり、経験的な妥当性が目的となる。神経症の症状は必ず身体的であり、病気は実際の身体的感覚および実際の身体的行動の両方を伴わない限り神経症とは診断されない。例外として、恐怖症、パニック障害において、飛行機の機内など、脱出が不可能な場合は脱出という行動は不可能であり、その不可能性が恐怖症の発作の要素となる。身体的状態の変化の原因となる身体的恐怖の増大に対する恐怖である。神経症の身体的感覚は、神経症の身体的行動とともに絶対的強迫のなかで理解される。上の闘牛の喩えは読者自身で考えてほしい。


次に、女性闘牛士が退場した場合も考える。
この男性の闘牛士は女性闘牛士のピンチを救うために登場したが、女性闘牛士が既に退場したので、もうカポテを使って牛の注意を引く必要はない。

下の絵は、身体的不快感覚を意識が受け入れている様子、チックが強迫性を失った状態としてここでは解釈してほしい。(この有名な絵は本来は違う意味をもっている。)

フロイトの精神分析学においては、除反応は患者が被抑圧対象に気がついて、それを言語化するだけでよかったのであるが、それに対し、Kurikiメソッドでの除反応はカレンダーに印をつけながらの毎週一回、三秒間のみの感情的カタルシスが必要である。意図的な感情の爆発。感情のかたまりの除反応の結果として上層部のKV(身体的抑圧)の絶対的な必要性がなくなる。つまり、絶対的強迫がなくなるのである。絶対的強迫のない上層部は、しだいに忘れ去られていくが、とくに不快な身体感覚があった際はチックの《筋肉内感覚》が現れることもある。そのときは、その不快な身体感覚の意識化をする。また、一分おきにチックの動作をしていた患者のチック症がKurikiメソッドによって治り、もしも一時間に一回、絶対的強迫のないチックの《筋肉内感覚》が現れたとしても、それはチック症の《強迫性筋肉内感覚》の現れの頻度がゼロに収束していく過程である。チック症の《強迫性筋肉内感覚》とチックの動作の間の絶対的強迫の消失は患者自身にとって明白であり、それに次いで、必要性のない上層部がしだいに忘れ去られていく。絶対的強迫の中ではチックの動作は絶対にしなくてはならなかったのであるが、カタルシスの後のチックの動作はせずにいられるものとなる。そして、不快な身体的感覚が正しく不快と感じられるようになる。意識と不快な身体感覚が直接的な関係にあることが大切である。

チック症を一回だけのカタルシスの大爆発で即座に治すといった勘違いがくれぐれもないよう、Kurikiメソッドは「三ヶ月で治す」と書いているが、そこに個人差があることは当然である。長さが三ヶ月と書いてあることを基準として、読者はカタルシスの進め方を具体的に把握してほしい。三ヶ月を九十日のことだとは思わないように。毎週一回のカタルシスの爆発は小さいほど安全であるのに対し、毎日の生活のなかでの不快な身体感覚の意識化は遠慮なく、できるだけ強く意識する。微小なチック症の《強迫性筋肉内感覚》も含めて、生きている身体には常にある身体的不快感の意図的な知覚とともに、チックの《筋肉内感覚》の頻度がゼロに収束する。一般的な神経症は抑圧対象の言語化による除反応によって劇的に治るものなのであるが、チック症は感情的カタルシスとともに徐々に治っていく。チックの動作の減少に比べて、チックの《筋肉内感覚》の頻度の減少のほうがゆっくりになる。チックの動作の減少は絶対強迫の減少である。