薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §21

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§21

 

除反応

被抑圧感情の意識化を除反応と呼ぶ。神経症にならない子供は常に自然な除反応が行われているといえる。健康な子供は自然な抑圧もし、自然な除反応もする。神経症の子供は自然な除反応が阻止されている。上の写真はハチドリである。ハチドリは空中停止ができるが、そのためには翼を動かし続けなくてはならない。ハチドリは意識の対象となり、意識の感情のかたまりの自然な除反応をブロックする。ハチドリは意識の注意を惹く。チックは意識と感情のかたまりの間で常に忙しく邪魔をしている。チックは除反応が偶然になされることがないように常に動いて意識の志向を遮蔽している。

チック症の構造の上層部
チック症の構造の上層部では、被抑圧対象はさまざまな身体的感覚である。ハチドリつまり、チック症の《強迫性筋肉内感覚》は椅子が硬い、足が疲れた等の身体的不快感覚の自然な除反応を妨げるために飛ぶ。

睡眠中
意識は寝ているため除反応がなされることはなく、したがってチック症の《強迫性筋肉内感覚》は抑圧機能として必要ない。もし、チック症の《強迫性筋肉内感覚》が現れたとしても意識による増幅がない。合理化も受け取られない。チックの動作は意識的な随意運動であるから、睡眠中はチックの動作は不可能。
呼吸は自動的な随意運動であり、寝ているときも自動的になさる。イルカの呼吸は自動的になされないので麻酔などで眠らせると窒息してしまうそうである。イルカは左脳と右脳が交代で寝るのだそうだ。

チック症の構造の下層部
神経症の人は抑圧が極度に強く、不快判断の自然な意識化がなされない。感情のかたまりが形成されるので、治療として被抑圧対象を意図的に意識化する必要がある。除反応の対象、つまり被抑圧対象は精神的トラウマの裏の不快判断である。精神的トラウマのイメージは極めて個人的な物のイメージであり、患者自身が探すものである。患者が小さな子供の場合は親が探す。精神分析医やセラピストの推測を患者に言うのは禁止。逆転移を即、そのまま発音してしまうようなセラピストは治療には不向きである。

患者がトラウマイメージの方向を見つけたときは、そのような探す途中で見つけたヒントは逃げないから、急ぐ必要はまったくない。精神的トラウマの物が見つかったら、チック症の治療として感情的なカタルシスを行う。イメージの裏の不快判断を不快感情で表現するのであるが、感情のかたまりはとても肥大しているから、除反応は必ず少しずつ少しずつ行われる。一週間に一度、三秒間のペース。精神分析医は除反応のブレーキの役目であり、カタルシスの大爆発は禁止。
子供は感情的カタルシスは行わない。親が精神的トラウマの物を見つけ、それを子供に言葉で説明する。その際、子供が言葉によるその説明を完璧に理解する必要はない。精神的トラウマの物のイメージが言語に置き換えられたという事実が大切である。むしろ、ぼんやりと少しずつ理解するほうが子供が中心のペースになり、好ましいとも言える。また、小さな子供のトラウマ探しに子供の描いた絵を使うのは役に立つのであるが、大人が絵を描いて子供にトラウマイメージを説明するのは悪いことである。イメージをイメージで説明するのは、トラウマを意識の態、言語の態で表現することにはならない。子供は不快な判断を意識の中で言葉で表現するという作業を学ぶ必要がある。

除反応は箱の蓋を一気に大きく開けるようには実施されない。心の病気をその場で一発で治したがる悪いセラピストは、その危険性に関して全く無知な素人である。
「それでは、私が一発で治してみせましょう」
子供の親もセラピストがその場で一発で治してみせることを要求してはいけない。除反応はひとつの実際の大きなかたまりの摘出である。

不快なもの、そしてそれによる不快感情
先に書かれているように、Kurikiメソッドの記述にみられる「不快感情の抑圧」という語には矛盾がある。不快さが抑圧されたのならば不快ではないからである。したがって、不快感情とは「もし抑圧されないならば不快であるはずの感情」のこととする。まさにこの矛盾こそが患者の無意識の負担となる。健康な抑圧は平穏な精神活動および個々の状況に適切な精神活動のために必要な機能である。抑圧機能が弱いならば、健康的な幻想や強い欲望のなかでの楽しい精神活動が困難になる。不快なものに二種類あるとする。ただし精神分析学であるから、もちろん性的な不快さ、性器的な不快さ、すなわち原始的な身体的不快さのみを問題とする。精神分析学はヒステリー症の身体症状の治療法のひとつである。
(不快なもの A) 不快であると意識されないもの。すべての不快感情は抑圧される。
(不快なもの B) 不快であると意識された事に対し、不快感情が部分的にのみ表現される。
不快感情は量的属性をもっている。
健康な抑圧においては、
(不快なもの A) 自然な除反応により、不快なものが次第に意識され、同時に不快感情も次第に表現されていく。
(不快なもの B) 自然な除反応により、残りの不快感情も次第に表現されていく。
フロイトの精神分析学では、除反応とは抑圧されていたもの、および抑圧されていた感情を言葉で表現することである。チック症治療の Kurikiメソッドでは、言語化だけでは除反応として不充分。チック症の治療における除反応には被抑圧感情の身体的表現、すなわち感情的カタルシスが必要である。どちらの場合でも、治療の除反応や自然な除反応には意識内での言葉による表現が必要。抑圧とは言葉で表現されていない感情が意識化されない状態である。アスペルガー症候群の人の多くはチック症が伴う。言葉で表現されていない気持ちの認識が難しいという症状は、一種の抑圧状態であり、自然な除反応が困難である可能性がある。
しばしば「チック症には、一過性チック症と慢性チック症の二種類がある」となどと非論理的なことを言う人がいるが、実際はチック症は一種類であり、患者の自然な除反応の傾向により治る早さに個人差があるということである。自然な除反応により早く治る場合が一過性チック症と呼ばれている。