薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §18

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§18

 

チックの動作様態の成立

たとえば「強制された動作」という表現では、はたして動作の様態(仕方)がどうあるべきかが強制されているのか、あるいは動作を実行することがその時に強制されているのが明確ではない。このセクションでは、動作という語を「動作様態」と「動作実行」の二つに分ける。したがって、どのような動作をするか、いつ動作をするかという文は、どのような動作様態をするか、いつ動作実行をするかという文になる。

1. モデル
これまでの過去にあった意図的な筋肉収縮の運動単位。
身体部分の軽い移動、たとえばテーブルの上の塩入れを取るというような動作様態ではなく、ポパイのまねをしてチカラコブをつくるというような動作様態によって、ひとつの筋肉収縮が既知のものになる。意識的筋肉収縮の動作様態であり、アンタゴニストの伸びを伴うこともある。あるいは、アンタゴニストを伸ばすためかもしれない。知らない動作様態のチックはないはずである。赤ちゃんは頭を動かすのが難しいので、何か横にあるものを見るときは眼だけを視野の限界まで動かすことが多く、眼球の筋肉の強い収縮や伸びは意識されている。その意味で、眼球チックには乳児性がある。大人の場合の腹筋のチックや腕チックは腹筋の体操や腕立て伏せなどで覚えた筋肉収縮かもしれない。ツバを飛ばすチックは、幼児のときにその運動様態を筋肉的に唾液の分泌を伴ってしたことがあるはずである。たとえば、ブドウの種を飛ばす、チューインガムを飛ばす、サクランボウの種を飛ばす、歯磨き、等。それらの筋肉収縮は、リビドーのレベル(身体的精神のレベル)で記憶され、チックの動作様態のモデルの選択肢となる。

2. 偽りの動機の理由の正当性、動作様態の承認
他の子供たちとの遊びのなかでの動作様態、親に言われた動作様態などが正当性を得る。偽りの動機が超自我を通過する際の正当性となる。たとえば、歯医者で合金を歯に詰めた後、「歯を食いしばってみてください」と言われた時のあごの筋肉の収縮の記憶である。歯をくいしばるチックは、あごの筋肉の緊張として記憶されている動作様態であり、歯医者によって正当性を与えられている動作様態である。

3. 既知の動作様態がチックの動作様態として合理化によって選ばれ、チック症の《強迫性筋肉内感覚》が作られる。
チック症の《強迫性筋肉内感覚》の属性
・身体上の位置
・偽りの動機
・正確な動作様態
正確なチックの動作様態がチック症の《強迫性筋肉内感覚》の中に限定されている。チック症の《強迫性筋肉内感覚》はチックの動作実行によって解消されることを前提として現れ、チックの動作実行を強制する。チックの動作様態とモデルの動作様態は同じものではなく、モデルとなる動作様態に較べてチックの動作形態のほうがずっと速くなる。アンタゴニストの動きはなく、動作のブレーキは筋肉自身の収縮でなされる。チックの動作形態とモデルとなった動作形態がチック症の《強迫性筋肉内感覚》の両側で互いに独立している。モデルの動作実行ではチック症の《強迫性筋肉内感覚》は消すことができない可能性もある。

4. 合法的判例
最初にチック症の《強迫性筋肉内感覚》を消すためにチックの動作が行われたとき、その循環は、いわば無罪の判例として許された合法的なチックの動作となる。そして、このチック症の《強迫性筋肉内感覚》・チックの動作の循環は繰り返される。
チックの動作形態はチック症の《強迫性筋肉内感覚》の中に属性として正確に限定されている。比喩をひとつ。犬が頭を撫でられることを目的として近づいてくるのと、まったく同じである。飼い主が犬の頭を撫でるから近づいてくる。撫でてもらう頭で近づいてくる。来るから撫でる、撫でるから来るという判例による循環である。チック症の《強迫性筋肉内感覚》とチックの動作形態は組として意識の中に入ってくる。
合理化による筋肉の選択においてはチックの動作形態はチック症の《強迫性筋肉内感覚》に先立っている。合理化はモデル動作の運動単位と既に単射的に限定されている筋肉収縮感覚を選ぶ。すなわち、まず筋肉が選ばれ、次いでその筋肉を使う数々の動作の中から一つの動作が選ばれるのではない。
チックの動作実行は随意運動であるから、意識が動作実行を必要とする状態である。チック症の《強迫性筋肉内感覚》が現れたので動かさなければならないという意識の状態。チック症の人はチックの動作実行をした時は、自分が今チックの動作実行をしたということに絶対に気がついている。意識がチックの動作実行を「する」のであるからである。「ひとりでに動いちゃうんだ」と子供が言う時は、それは親が理解できるようには説明ができないからであり、自分がチックの動作実行をしたことを知っているからそのように言うのである。チックをしたことを意識していないのならば、「してないよ」というはず。眼の虹彩の括約筋のしぼりは不随意運動であることと比較してもよい。チックの動作実行をしないように親ににらまれるから「ひとりでに動いちゃうんだ」と言うのであって、本当は随意運動をチックの仕組みに強制されて、意識がさからいきれずにしているのである。子供はチックの動作実行をしたところを親に見られるとビクッとする。自分の意識が「した」のであるからビクッとするのである。自分が今チックの動作実行をしたことを知っているからビクッとするのである。
また、親が背後から子供を観察している場合でも、子供は今、後ろから見られていることに気がついていて、気がつかない子供の役を演じているだけであるということがわからない親がいる。
チックの動作実行の強制は超自我とリビドーが組み合わせによる実際のガンコな増幅する身体感覚であるから、意識にはとてもさからえない。