薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §06

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§06

 

Kurikiメソッドの理論の公理
絶対的真実であると人間が断言できるものなど何もないという意味において、世の中の理論はすべて仮説であり、さらに、今日通用している理論の多くが科学の進歩とともに将来には誤ったものとなるとも考えられる。

(精神分析学は神経症の身体的症状の治療法であり、様々な精神分析学用語は治療法の理解のための記述表現、精神の病的な振る舞いに関する記述表現にすぎない。たとえば、「無意識」とは、「無意識が存在する」のではなく、「無意識というものが存在するという風に考えると治療法が説明しやすく、したがって治療法が理解されやすくなる」という記述表現である。「無意識」「リビドー」など、すべての精神分析学用語は神経症の治療以外では意味を持つ必要がない。精神分析学的な治療の記述は、心という未知の領域に関する想像上の比喩であり、そこに科学性や論理性を要求することは馬鹿げている。)

公理
公理は、理論の推論がどこから始まるかを明示するスタートラインである。公理は、理論からは独立した形で、理論の基礎として基本的な要素を前もって示す。公理のひとつひとつは、それらの真実性は証明される必要はないが、人々が一般に事実とみなしているようなものでなくてはならない。ところが、Kurikiメソッドの理論の公理となる事実、すなわちチック症における事実、強迫性障害における事実には一般には知られていない事実が含まれている。Kurikiメソッドの理論における推論の理解のためには、読者には、まずチック症や強迫性障害の症状に関する大切な事実の認識が必要である。Kurikiメソッドで明白な公理とみなされているような事実が一般には理解されていないということがチック症や強迫性障害が治らない病気と誤解されることにつながっているように見える。これらの公理のなかには観察が不可能であるような事実が含まれており、その場合、筆者には明らかな事実も読者の目には空想的な理論の一要素と映るかもしれない。

Kurikiメソッドの理論の公理は次の通り。(これらの事実は別のページで個々に追って説明される)。
・トゥレット症候群の患者の30%は強迫性障害でもあること。
・定義として、神経症の症状は必ず身体的な症状である。(何らかの身体的な症状が現れている患者に身体的な原因が見つからない場合にのみ、その患者は神経症と診断される可能性がある)。強迫は身体における強迫的不快感覚と強迫的随意運動の関係の中にある。
・神経症になっている無意識は神経症が治ることに対して抵抗する。したがって意識はKurikiメソッドを読みたいと思えない。
・強迫性身体感覚 :
チック症; 《随意筋の中の不快な身体的感覚》+《筋肉の不動性に関する強迫》⇒ 意識内での強迫の増幅 ⇒ 決まった随意運動の必要性
強迫性障害;《アドレナリン分泌を模倣したような不快な身体的感覚》+《物に関する強迫》⇒ 意識内での強迫の増幅 ⇒ 決まった身体的行為の必要性
・強迫性身体感覚は極めて意識的であり、強迫的動作や強迫的行為の随意運動も極めて意識的である。したがって premonitory urge という語を用いるのは誤りである。
・チック症における筋肉的な不快感覚と強迫的随意運動との間、および強迫性障害の身体的不快感覚と身体的行為との間に絶対的強迫がある。チック症の動作、および強迫性障害の行為は身体的に絶対的に強制され、それらをせずに我慢することは不可能である。
・チック症の動作は随意運動である。患者は随意運動と不随意運動の神経学的な正しい定義を知らなくてはならない。« 随意運動とは何か。不随意運動とは何か。»
・運動や行為の意図性が器質的領域を超えている。手拍子のように手をたたくチックの動作、定めた標的にツバを飛ばすチックの動作など、多くの筋肉がひとつの正確な動作をするためにグループとなる。汚言症では、その国の幼児語やくだらない単語、したがって患者の意識とって恥ずかしい、困る単語のみが選択されて発音されること。
・チックの動作は個人において正確に定められた様態をもった速い運動である必要である。ほとんど同じであるような動作によってその代用とすることはできない。汚言症の単語も、似た単語によってそれの代用とすることはできない。
・ KV(身体的抑圧の仕組み)の先天的、遺伝的基盤が自閉症スペクトラムに含まれる器質的素因であり、治ることはない。Kurikiメソッドによる治療の結果とは、KV の神経症的状態から強迫性が除去された状態、つまり神経症的ではない KV を意味する。
・チック症の強迫性は、しばしば意図的な感情的カタルシスなしで自然に除去されることがある。症例は一過性の症例でありえる。一過性の症例が存在する。強迫的な身体的症状は抑圧の身体的作業である。
・自閉症スペクトラム障害の人の多くがチック症や強迫性障害をもつ。一過性の自閉症スペクトラム障害というものは存在しないのに対し、チック症や強迫性障害の症状には増減があり、一過性であることもある。

自閉症スペクトラム障害
自閉症スペクトラム障害は様々な症状の総体に十把ひとからげに付けられた単なる名称である。自閉症スペクトラム障害には様々なタイプがあるが、チック症や強迫性障害が頻繁に見られ、チック症や強迫性障害をもっているということが自閉症スペクトラム障害の診断の要素のひとつであるとも言える。アスペルガーやADHDは治療ができなく、チック症や強迫性障害がそれらの属性であるとすれば、チック症や強迫性障害は治療できないと思われそうであるが、実は、自閉症スペクトラムと神経症の症状の間には絶対強迫の必要性が存在し、絶対強迫の必要性を治療することにより神経症は消失する。この必要性とは、トラウマ・イメージの裏に隠れた感情が抑圧され続けて普通のイメージの状態に保たれることの必要性、無意識内での抑圧の必要性のことである。

身体的抑圧の必要性のエネルギー = 身体的強迫的行為の必要性のエネルギー

チック症 = 先天的チック + 強迫性

チック症や強迫性障害は、自閉症スペクトラム障害に見られるような特殊な身体感覚における神経症であり、抑圧の必要性の除去、すなわち抑圧対象の除去により強迫性を失う。

Kurikiメソッドの治療の後、チック症や強迫性障害は強迫性を失う。しばしば、しかし徐々に少なく、強迫性を失ったチックの筋肉内の身体的不快感覚が、身体的な疲労や身体的な痛みなどの明らかな不快感覚に対してのみ現れることがある。神経症の治った後の、純粋な先天的チックには強迫性はない。純粋な先天的チックは神経症性チック症とは大きく異なる。チックの筋肉内の不快感覚が、たとえば性器と下着との間の無意識な接触などを抑圧するために強迫的に現れるというようなことはなくなる。治療は、抑圧されている感情を外在化し、意識の志向性への囮としての症状の必要性をなくす。神経症の絶対的強迫、チック症の身体的感覚や強迫的な随意運動、および強迫性障害の身体的感覚や強迫的行為を理解するために、患者は身体的抑圧や身体的感覚に関するアスペルガー的な特殊性を知らなくてはならない。

N.B.,
チック症の治療法や強迫性障害の治療法はKurikiメソッドの他にもあるかもしれないが、それらはKurikiメソッドの説明の中では記述されない。