薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §01

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§01

 

リビドー的に不快であるべきはずであったもの

通常、小さな子供達の生活には大人とは違うかたちでリビドー的に不快なことがらが毎日繰り返されているのが普通である。リビドー的不快とは、性的、性器的、身体的、あるいは生命的な不快を意味する。親の奇妙な人格、身体を触られる、大人の裸体、何かグロテスクなものを毎日のように見なければならなかったりするなど、いろいろなことがある。個人差とともに、リビドー的に不快なことがらが少なからずあるのが普通である。そこで問題となるのは、小さな子供達は何が自分にとって不快であるべきものなのかを知らないかもしれないということである。神経症の原因となる類の本来リビドー的に不快であるべきはずのものは、しばしば身体的である。身体的であればそれがそれで当然であり、この世界はそういうものであると子供は考える。不快で「あるべきはずであった」という言い方をするのは、実際は意識の中では不快さがないからである。直感的に不快であるべきものを不快であると正しく認識できるほどには判断力がまだ自立していない場合がある。子供は自分がどの食べ物が大嫌いかは知っていても、たとえば、自分のどの身体部分には触ってほしくないかについては意識が向けられないというようなことである。アスペルガー的な嫌悪に対するアスペルガー的な抑圧が意識内にないのは当然である。ある種の身体的ことがらに対し、「これは、ほんとうに気味が悪い」「これは絶対にいやだ」といったような不快判断が子供の意識の中にない場合がある。「ある種の身体的ことがら」という漠然とした対象は患者各自によるトラウマ探しによって具体的になる。不発に終わった不快判断は意識の対象とはならずに、無意識の中での遮断された状態が続く。不快感情は不快判断の意識の中での表現手段であるのだが、抑圧状態の場合は意識の中でこの拒絶的な判断が感情表現されることはなく、強い拒絶の直感的要求がポテンシャルな感情エネルギー、すなわちストップ状態の感情として無意識の中に留保される。ポテンシャルとは、電池の中の電気エネルギーのように、ひとつのエネルギーの状態が他の状態にまだ変換されていない、言わば凍結状態を意味する。記憶の中でトラウマは、ありふれたイメージとして他の無数のありふれたイメージと一緒に並んでいるが、裏には非常に強いポテンシャル感情が詰まっている。抑圧が強くない子供ならば、拒絶の要求は後日、意識の中で自然に不快感情《いやだ!》として表現されるのであるが、少しアスペルガー的な子供は抑圧がとても強く、拒絶の要求は自分の意識の中での表現方法を与えられないまま留保されつづけ、毎日の同じトラウマの静かな繰り返しによりポテンシャルな感情の大きなかたまりが形成されていく。そしてさらに別の新しいトラウマイメージが既存のトラウマイメージを包む。抑圧の強い子供は結果として楽しそうであるから、現在にも過去にも何の問題も見当たらないとみなされるような生活が続いていく。もう少し正確に言うならば、強く健康な抑圧は健康な精神活動のための当然の条件であるが、もしも抑圧の仕組みが身体に関与するものである場合ば、その仕組みはヒステリー的な症状として現れる。勿論、定義としてヒステリー症状は常に身体的症状である。以下の 50 のセクションは、アスぺルガーの身体的抑圧の仕組みが強迫性を必要とする場合としてのジル・ド・ラ・トゥレット症候群、および強迫性障害についての記述である。Kurikiメソッドの理論のすべてが 50 のセクションで完結しており、その先の展開というものは存在しない。

Kurikiメソッドの適応症;
チック症の治療 (ジル・ド・ラ・トゥレット症候群の治療)
強迫性障害の治療
薬品は使わない。(ただし、てんかん、ジストニア、うつ病の要素がある場合には、それらの要素のための薬は必要である。)

チック症は、一分おきぐらいに身体の一部を動かしたり、声を出したりなどしなくてはならないという病気。Kurikiメソッドは、この病気を神経症とみなし、精神分析学的に治療する方法である。神経症の正しい理解のために、患者は最寄りの精神分析医と一緒に個人的な考察する必要がある。どの派の精神分析医でも結構。(認知行動療法は精神分析学ではなく、不可である。)Kurikiメソッドは一貫性のある明白な理論であるが、理解は読者による理解である。患者自身が理論を個人的に理解する必要がある。Kurikiメソッドは単なる大まかな宝の地図であり、患者が時間をかけて行って探した末に極めて個人的な理解が見つかるのである。また、精神分析医が読む場合は、なぜフロイトの古典的な精神分析学ではトゥレット症候群が治せないのかということを問題として読んでほしい。

チック症の診断
・患者のチックの動作が不随意運動、脊髄反射ではないこと。すなわちチックの動作は随意運動である。
・(幼児を除き)階段を七階まで上る程度の量の運動をした際のチックの動作の頻度およびその強迫性を調べる。
・てんかん、およびジストニアの要素の有無を記する。
・自閉症スペクトラム障害、および注意欠陥多動性障害の要素の有無を記する。
・強迫性障害、パニック障害など、他の神経症の有無を記する。

チック症の症状の非器質性
1. たとえば、てんかんのために左手が痙攣する人の場合には大脳の左手に関する部分に発火があるので、痙攣は常に左手に現れ、他の身体部分が痙攣することはない。それに対し、トゥレット症候群患者の《強迫性筋肉内感覚》は、その患者の全身のあらゆる随意筋において可能であり、複数の随意筋肉群において、しばしば優先順位が変わる。チック症の身体症状は、チックの《強迫性筋肉内感覚》が現れる身体部分に関する脳神経の器質的症状ではない。
2. 両手で手を叩くのチックの動作、標的となるものにツバを飛ばすチックの動作など、しばしば複数の随意筋が意識的運動単位のもとに随意筋肉群としてまとまっていること。
3. 汚言症(コプロラリア)の単語は必ずその国の言語において悪い意味をもっている必要があること。
4. 子供のチック症がひとりでに消えることがある。小さな子供たちのチック症は必ずしも慢性チック症とは限らず、一過性チック症の場合もある。
5. 純粋なチック症の場合、その発病は三歳から十歳ぐらいまでの間であるが、もしもチック症が器質的原因のみによる異常であるのならば、生後12ヶ月以内には症状が見られているはずではないだろうか。たとえば、八歳頃に症状が現れた場合などは、器質的原因のみによる異常とみなすには遅すぎるのではないだろうか。

器質的素因、非器質的症状、および非器質的治療の混同
両親が肥満の体質ならば子供も肥満になりやすくなる。この遺伝的、器質的原因をもつ問題に対して栄養学的解決がなされる。肥満の先天的体質が必ずしも実際の慢性的肥満状態を決定するとは限らない。肥満状態の治療は肥満の器質的原因、つまり遺伝子を変えなくてもできる。遺伝的要素を器質的原因とする病気の症状への治療が必ずしも器質的である必要はないと言うことである。統計が示すように、トゥレット症候群にはチック症になりやすい遺伝的要素、すなわち器質的な原因がある。チックという強迫は器質的症状ではない。Kurikiメソッドは、この器質的疾病素質による非器質的症状への非器質的治療である。

Kurikiメソッドは訓練ではない。患者ひとりひとりが自分のチック症の仕組み、強迫性障害の仕組みを理解するための理論である。患者は三ヶ月以上かけるつもりでゆっくりとそれらを理解し、理解とともに神経症を治す。小さな子供のチック症の場合は両親がこのメソッドの理論を理解する必要がある。

Q.; Kurikiメソッドのチック症の治療は何をするのか?
A.; 1. (チック症の上層部) チック症の動作が随意運動であること、およびチックの《強迫性筋肉内感覚》が不快な身体的感覚を抑圧する仕組みであることを理解する。
2.(チック症の下層部)上層部に関する患者の理解が抑圧の密封性を妨げ、その結果、下層部のトラウマイメージが自動的に発見され始める。
・大人の場合は感情的カタルシスで感情のかたまりを少しずつ減らしていく。
・子供の場合は感情的カタルシスはせず、子供の被抑圧感情を言葉で説明する。言葉による古典的な除反応である。日常生活において、チック症の子供が泣くことがあった時に、泣き止むように命令してはならない。自発的なカタルシスを促す活動を奪うことは有害である。

Q.; 費用はいくらかかるのか?
A.; 感情的カタルシスはとても強力であり、したがって危険であるため、少なくとも最初の四セッションは最寄りの精神分析医とともに行われる。精神分析医は、どの学派の精神分析医でも結構。

Q.; Kurikiメソッドでチック症は絶対に治るのか?
A.; チックの動作をしないでいることが呼吸をしないでいるのと同じほど不可能な患者は治る。

Kurikiメソッドの考え方
ジークムント・フロイトの精神分析学ではチック症は治せなかったのであるから、当然、Kurikiメソッドには大きな違いがある。
・運動チック症、音声チック症などの動作は100%随意運動である。我慢しようとすればたとえ一秒でも止めていられるのならば随意運動であるということであり、それがチック症の特徴である。動作が随意運動であるときのみチック症と診断される。もしも患者の病的な動作が不随意運動である場合は、それはチック症ではない。
・チックの動作の強迫性は絶対的である。
・患者の意識にとってのチック症の主症状は筋肉的な不動性の感覚であり、チックの動作はこの感覚を解決するための強迫的動作である。絶対強迫は感覚としてあまりに身体的に現れるため、患者がこれを強迫として認識することは難しい。
・チック症は一種類しかない。すべての随意運動がランダムにチックの動作になりえるため、チック症を動作で分類することは無意味である。
・チックは身体的不快感覚の抑圧の仕組みである。神経症のひとつとして、チックが強迫性に支配されている場合がチック症である。
・チック症は、学校の勉強のストレス、社会的ストレス、親のしつけなど、非リビドー的、非性器的なストレスとはまったく無関係である。
・チック症患者のもつ精神的トラウマは幼児のトラウマであるため、ドラマチックな文字通り恐ろしいようなトラウマである必要はない。チック症患者の精神的トラウマは平和な日常生活で繰り返された、リビドー的に不快な、ごくありふれたものであることが多いはずである。問題は、アルペルガー的な身体的抑圧の仕組み(KV)が無意識内で怒りの感情の密閉保存および蓄積のために利用されることにある。
・チックの動作の様態は精神的トラウマの内容の表現としての意味は持たず、トラウマ探しの参考とはならない。
・「チック」と「チック症」: 抑圧は意識の対象 A から対象 B への連想の回避であり、別の対象 C の対象化が対象 B の抑圧の手段となる。対象 C としての先天的なチックにとって、対象 B は身体的疲労などの身体的不快感覚である。チック症の場合、対象 B はトラウマの感情のかたまりであり、チック(対象 C)は強迫性を帯びる。チック症の治療後は、対象 B は身体的不快感覚のみとなり、チック(対象 C)には強迫性はない。
・チック症の動作の様態は合理化により必ず何らかの正当化とともにランダムに選択される。
・KV、および発達障害の傾向は統計的に見て遺伝的であると判断される。
・感情的カタルシスが済めばチック症の再発はない。

強迫性障害
絶対強迫はトンネルのようなものであり、入り口 (強迫性身体的感覚) がひとつ、出口 (身体的動作・行為) がひとつだけある。チック症のトンネルの入り口は随意筋の中に現れる特殊な身体的感覚 (チックの《強迫性筋肉内感覚》)、随意筋の不動性に関する強迫観念の壁、出口は既に決められている随意運動(チックの動作)である。強迫性障害のトンネルの入り口は皮膚などに現れる特殊な身体的感覚 (OCDの《強迫性身体感覚》)、出口は既に決められている行為である。この意味において、チック症は随意筋の不動性を強迫観念とする強迫性障害であり、強迫性障害は強迫観念が筋肉的ではなく、行為であるようなチック症である。あらゆる随意運動においてチックの動作が可能であるように、あらゆる意識的行為において強迫性障害が可能である。したがって強迫観念および強迫行為の種類による分類は何の役にも立たないばかりか、むしろそのような分類は神経症の症状に関する無理解をあらわにしているものである。ひとりの患者の症状の様態は無意識の中でサイコロの目のように無作為にランダムに決定されている。Kurikiメソッドでは、何がチックの動作になるかの決定が無作為であること、何が強迫観念になるかの決定が無作為であることを「合理化」と呼んでいる。これはフロイト的合理化の解釈でもある。強迫性障害の特殊な身体的感覚 (OCDの《強迫性身体感覚》) は先天的素質であり、全身的感覚である。強迫性障害の患者の意識は、この身体的感覚をひとつのトリガーに関する「不安な気持ち」「不快な気持ち」として解釈する。チック症患者はチックの《強迫性筋肉内感覚》の筋肉的感覚を意識内に知覚し、チックの動作の身体的必要性がとても強い強迫観念であることが認識できない一方、強迫性障害の患者はOCDの《強迫性身体感覚》を不安感としてのみ知覚し、強迫観念を意識内にもつ。Kurikiメソッドにおいて強迫性障害の治療とチック症の治療は同じものであり、それはKVの構造の理解、および感情的カタルシスで成り立つ。

Kurikiメソッドは鬱病には治療効果はない。強すぎる感情的カタルシスは精神の量的バランスを一時的に崩し、一時的な強い不安感を引き起こすので、強迫性障害と鬱病の両方をもつ患者の感情的カタルシスは危険を伴う。