薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §47

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§47

 

絶対強迫

一般には compulsion という単語は強迫性障害における「考え」、あるいは同時に「行為の実行」を指す。しかし、Kurikiメソッドでは Absolute-Compulsion「絶対強迫」という語によって神経症の病的構造の枠を指すのである。絶対強迫とは、一言で言えば「見えないトンネルの壁」である。知覚可能、観察可能な現象を症状と呼ぶならば、絶対強迫は病気の症状ではなく、病気の構造である。
チック症の《強迫性筋肉内感覚》は増幅する。これは筋肉収縮のない筋肉収縮感が増幅するのではない。増幅は随意筋に関する不動性の強迫の増幅である。このような意味で、肩チックとガス栓の強迫性障害は確認の強迫性において同じものである。ところが強迫性が身体的であることは神経症患者の病的な特徴のひとつであり、患者が知覚する《強迫性筋肉内感覚》は、筋肉の特殊な感覚の増幅であり、精神的な強迫性の増幅ではない。

身体的強迫感覚と絶対強迫
《強迫性筋肉内感覚》とチックの動作は絶対強迫の中にある。チック症の人はチック症が治ったときに絶対強迫が消えたことが理解される。《強迫性筋肉内感覚》の力が強く、直接チックの動作を強いているように思えたのが、チックが治ると《強迫性筋肉内感覚》とチックの動作のまわりに絶対強迫という枠組みがあったことが分かる。たとえば、ひとつの洗濯ばさみで腕の皮膚をはさんだ場合、痛みがあるが、それを我慢して見ていることは可能である。しかし、《強迫性筋肉内感覚》が随意筋の中に現れたときは、チックの動作をせずに、じっとそれを我慢して見ていることはできない。ひとつのチックの動作をひとつの《強迫性筋肉内感覚》につないでいる絶対的な強迫がある。洗濯ばさみの痛みと洗濯ばさみを取り去る手の動きの間には絶対的な強迫はない。チックの動作は 1000ドルくれると言われても我慢できない随意運動である。随意運動のみが絶対強迫の対象となりえる。強迫性障害にもこの絶対的な強迫があり、無意味な考えと無意味な行為をOCDの《強迫性身体感覚》にまっすぐにつなぐ。考えと行為は強迫性障害の副次的症状であり、強迫性障害の治療は上層部の身体的不安感覚の意識化と下層部の除反応である。上層部の中の合理化は単に任意な症状の選択、および抑圧機能の隠蔽であり、絶対的な強迫の力はない。絶対強迫の力は抑圧の力である。チック症の《強迫性筋肉内感覚》やOCDの《強迫性身体感覚》(たとえば、皮膚感覚など)による身体的不安感覚は再帰的に増幅するが、それは洗濯ばさみではさんだ以上に「痛い」身体的感覚ではない。絶対強迫は厚い壁のような不可抗力であり、入り口ひとつ、出口ひとつのトンネルである。身体的な《強迫性筋肉内感覚》の再帰的増幅による身体的強迫感覚の増幅、あるいは身体的なOCDの《強迫性身体感覚》の再帰的増幅による強迫的不安感の増幅の枠組みとして絶対強迫の力がある。《強迫性筋肉内感覚》が意識の中で知覚されると、身体的不快感覚は身体的強迫感覚として増幅される。万力のような身体的強迫感覚が形態の正確に決定されているチックの動作を絶対的に強制する。筋肉収縮のない筋肉収縮の身体的不快感覚だけならばチックの動作への絶対的強制にはならない。チックの動作は身体的不快感覚を消し、また身体的強迫感覚も消すことになる。通常、チック症の人は《強迫性筋肉内感覚》に際し、身体的強迫感覚が増幅する前にチックの動作によって《強迫性筋肉内感覚》の身体的不快感覚を消す。《強迫性筋肉内感覚》が意識対象となった瞬間に、増幅を待たずに、すでに自動的にチックの動作をする。絶対強迫は強迫性障害にもみられるから、チック症の上層部の中だけの要素ではなく、上層部全体の土台の構成要素であるといえる。絶対強迫が絶対的である理由は、何らかの上層部によって感情のかたまりが抑圧される必要性が絶対的であるということ。チックの動作は身体的不快感覚の増幅と身体的強迫感覚の増幅に強制されてなされるのであるが、絶対強迫の領域でチック症の構造を見る場合は、強迫性障害と同時に推論できる必要がある。絶対強迫は下層部の内容ではなく、下層部の仕組みの一部ですから意識化の対象となることは不可能。絶対強迫を意識化することによって強迫を消すということは不可能である。絶対強迫の存在はチック症が治った際に初めてひとつの消えたものとして理解される。チック症は、まず下層部の絶対強迫が治り、そのあと《強迫性筋肉内感覚》(上層部での不定的抑圧)が治る。絶対強迫は力ではなく、神経症の構造の存在そのものであるともいえる。

パニック障害
パニック障害の古典的な治療法のページがある。(その内容はチック症および強迫性障害の治療法である Kurikiメソッドには含まれない。)
神経症患者の絶対強迫は暴君的であり、合理化のための正当性が少しでもあるならば機械的に意識を支配する。患者は先ず絶対強迫をもっていて、あとから引き金(trigger)が選ばれているのである。絶対強迫の構造の中で、「戦うか逃げるか反応」fight-or-flight response のアドレナリン作用の感覚が身体的強迫感覚として利用される。引き金は嫌な経験により正当性をもつ。引き金に対する感覚が強くなりパニック発作に展開するのではなく、逆に絶対強迫が引き金を利用してパニック発作として出現するのである。絶対強迫は患者には見えないので、患者にとっては引き金となる状況からの脱出が強迫である。
パニック発作は身体的恐怖を恐怖の対象とした身体的恐怖であり、そのループ(loop 同じものの輪状の繰り返し)のなかで増幅する。パニック発作の可能性そのものが引き金となっている場合は、あたかも引き金がないように見え、それゆえにパニック障害と呼ばれもする。しかし、パニック発作とパニック障害は同じものである。なぜならば身体的恐怖が身体的恐怖の増幅の実際の引き金であるからである。なぜならば、患者の最初のパニック発作の実際の引き金は強い予期不安であったからである。物や状況ではなく、恐怖が増幅の実際の引き金である。怖い物が怖いだけならばパニック発作にはならない。「身体がもっと怖がったら身体がもっと怖がる」という増幅がパニック発作である。物や状況を引き金をA、アドレナリン作用への恐怖を引き金Bとするならば、治療は引き金Bのレベルでの理解となる。