薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §41

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§41

 

チック症と恐怖症における増幅
もしもチック症と恐怖症は似ていると言った場合、チック症の人にチックを怖いと思ったことは一度もないと言われてしまうであろうが、チック症の《強迫性筋肉内感覚》と恐怖症は、ともに意識の中で意識対象への集中が増幅するものである。どちらもひとつの身体的感覚の変化に対する意識がその変化の原因となり、結果と原因が循環し、その身体的感覚が増幅する。身体的感覚の変化は身体的知覚であるから、これは意識内での意識と身体との衝突である。身体が意識を裏切り、意識の中で意識を支配する状態である。ひとつの恐怖症は二重の引き金をもっている。第一の引き金は蜘蛛などの意識対象(物、あるいは状況)であり、第二の引き金としての意識対象はアドレナリンの効果による身体的違和感である。第二の引き金に対する恐怖が、身体的恐怖に対する恐怖として増幅する。すなわち、パニックは身体的パニックに対する恐怖による身体的パニックの増幅である。チック症における第一の意識対象は身体上の一点への位置的な集中感である。第二の意識対象は身体的な強迫の不快感覚の増幅である。
神経症は病的な抑圧の仕組みによって方向づけられた意識状態。ひとつの《強迫性筋肉内感覚》の増幅によって、すなわち、抑圧対象の再帰的な増幅によって意識はさらに強く方向づけられる。絶対的強迫は神経症の構造の大きな枠であるから患者には知覚できない。症状として患者が知覚する対象は身体感覚である。この増幅は病気の症状であり、健康な状態の精神には身体感覚への意識集中の増幅はない。

チック症上層部における《強迫性筋肉内感覚》の再帰的増幅
たとえて言えば、なにか見たくないような物があったとき、左の壁に掛かっている絵を見るという抑圧の仕組みがあるとする。今、机の上に嫌いな蜘蛛がいるので、左の壁に掛かっている絵を見たら、それがまた蜘蛛の絵であった場合、今度はその絵の蜘蛛を抑圧するのであるが、抑圧の仕組みが「左の壁に掛かっている絵を見る」と言う仕組みであった場合、さらに強く、その蜘蛛の絵を見ることになるというようなことである。

雪だるま式
《強迫性筋肉内感覚》の身体部分の一点の極めて微かな刺激が先ず現れ、次に意識がその点に方向づけられて増幅する。すべての《強迫性筋肉内感覚》は増幅において再帰的被抑圧感覚である。抑圧対象の身体感覚と抑圧手段の身体感覚が同じ一点で重なる。チックの動作という身体的行為によって、意識は《強迫性筋肉内感覚》の増幅の外に出る。恐怖症の恐怖感の増幅は、その場から脱出するという身体的行為で解決される。
《強迫性筋肉内感覚》と恐怖がどちらも身体感覚であることの認識が大切。これらの身体感覚は実際は弱い感覚なのですが増幅の構造によって拡大され、意識内で極めて強力なものとして知覚される。患者はこれらの拡大された不快な身体感覚のトンネルの外に出ることを強制される。

恐怖症とパニック障害の古典的な治療方法のページ。

意識の健康な活動の土台は健康な抑圧機能である。身体的感覚が抑圧機能に巻き込まれたときにヒステリーのループが起こる。ループとは一回転の産物がさらなる一回転を起こさせるような輪状の繰り返しの仕組みこと。被抑圧イメージにおける身体的要素が身体感覚の抑圧の身体的仕組みを引き起こす。抑圧は精神機能の中心的な機能であり、ヒステリーのループは頑強に意識を凌駕する。ヒステリーのループは回転速度を増し、回る独楽のように安定する。悪い意味での安定である。ヒステリーのループの安定を伴ったままで精神活動が安定のバランスをとるようになるとヒステリーが慢性化する。抑圧は無意識内の機械的な機能である。身体的感覚の神経と精神的な感情の直接的関係が存在し、抑圧された感情が意識外で身体的に現れた場合、その身体感覚の意味は意識には理解されない。Kurikiメソッドの理論は、KV、すなわち身体的抑圧の理論である。身体感覚を巻き込んだ抑圧の仕組みの理論。チック症の上層部の抑圧対象は不定的身体感覚と原始的身体感覚であり、そしてそれらは再帰的に増幅する。
無意識の活動と身体的感覚の関係が過敏な人がいる。そのような人たちの一部は、多様な個人差とともに自閉症スペクトラム障害やADHDに含まれる可能性がある。トゥレット障害や強迫性障害などの神経症になりやすい人、パニック障害になりやすい人もいる。また、ASMRの特殊な身体感覚をもつ人々もいる。
強迫性障害がひとつの恐怖症であるとみなされうるのであるが、それと同時にパニック障害がひとつの強迫性障害であるという見方も可能。一般に神経症は身体的な症状をもつ。つまり、身体的感覚の現れによって強迫的増幅が始まり、必ず身体的な随意運動による行為が絶対強迫の出口となる。身体的な行為の伴わない神経症は存在しない。チック症は《強迫性筋肉内感覚》の随意筋の身体的不快感覚で強迫的増幅が始まり、チックの動作が絶対強迫の出口となる。強迫性障害は身体的不安感覚、多くの場合に強迫性障害特有の不安的な皮膚感覚で始まり、強迫行為をすることが強迫的増幅の出口になる。パニック発作はアドレナリン感覚で強迫的増幅がはじまり、絶対強迫の出口は文字通りその場所から脱出するという行為。引き金に対する恐怖が大きくなりパニック発作になるのではなく、患者は先ずパニック障害という病気をもっていて、そのパニック障害が引き金を選んでいるのである。物や状況の引き金を引き金A、アドレナリン感覚を引き金Bとするならば、パニック発作の直接の引き金は引き金Bのほうである。引き金Aは引き金Bの引き金にすぎない。引き金Bは身体的感覚であり、この身体的感覚の強迫的増幅は患者の意識にその場所からの脱出を強制する。パニック障害の患者は引き金Aと引き金Bの境が明白に理解されていないので、患者は引き金Aへの恐怖が増幅するとみなす。患者は絶対強迫を見ることができない。患者はまずパニック障害という病気をもち、神経症の構造の中で合理化が恐怖の対象として患者にとって個人的に正当性のある引き金Aを選んでいることが見えない。最初にパニック発作があり、そのパニック発作を恐れることがパニック障害になるのではない。パニック障害という病気を患者が先ずもっていたので最初のパニック発作が起こったのである。パニック発作の構造の準備ができていたので最初のパニック発作が起こり得たのである。

パニック障害の患者が満員電車に乗れないのはなぜか。
駅で降りるのが困難かもしれない、狭い、車両内の気温が高い、気持ちが悪くなりやすい、などの理由によって満員電車を避けるという合理化の選択が正当性をもつ。満員電車は引き金Aであり、すなわち満員電車は引き金Bの引き金にすぎない。満員電車の恐怖から最初のパニック発作が起こり、満員電車のパニック障害になるのではなく、まず患者は神経症をもっていて、その神経症がパニック障害という形で現れ、合理化が満員電車を引き金Aとして選んでいるのである。引き金Bは特殊な身体感覚であり、強迫的に増幅する。患者にはそのことは理解できない。患者には絶対強迫は見えないからである。引き金Aは合理化によって何らかの正当性とともに任意に選ばれるから、引き金Aには重要な意味はない。罠にはまった動物の気分だけで正当化には充分である。満員電車が引き金Aである患者もいれば、ほとんど人の乗っていない車両が引き金Aの患者もいる。その引き金Aに患者の個人的な引き金としての正当性があるならばパニック障害という病気は任意にその引き金Aを選ぶ。パニック発作の実際の引き金は引き金Bのほうであるから、引き金Bの起こる可能性の連想が引き金Aとなる場合には、いつでもパニック発作は可能である。引き金Bが引き金Bの引き金になる。引き金Bはひとつしかないので、この循環で引き金Bは増幅する。その際の絶対強迫による意識対象は、その場所から出るという身体的行為である。パニック障害の患者がひとつの引き金Aによるアドレナリン感覚、強迫的増幅、脱出までのパニック発作の時のみにパニック障害の患者であり、普通の状態の時にはパニック障害ではないことにはならない。黒板の字が見えない瞬間だけ近視であるのではなく、近視であるから黒板を見た時に字が見えないことと同じである。満員電車のパニック障害は、家ではパニック障害ではないということは意味しない。顕在的なパニック障害は潜在的なパニック障害の一部であり、この潜在的なレベルでの病気の構造の理解によりパニック障害は治る。パニック障害とパニック発作が同じものであることの理解、パニック障害という病気の構造が引き金Aを任意に選んでいるというレベルでの理解である。パニック障害の患者である人には理解できないことであろうが、アドレナリン作用のパニック発作が、いつ、どこで、どのような引き金で起こるかということは重要ではない。たとえば、爪噛み癖(習慣および衝動の障害 habit and impulse disorders)の患者がその都度「ここに、爪切りがないからだ」という考えが頭に浮かぶのと同様、引き金Aには病原的な意味がない。引き金Aとして容易に正当性をもつということのみである。パニック障害の患者が満員電車に乗れないときの理由が「気持ちが悪くなったときに困る」というのは、満員電車が引き金Aであるための正当性でしかない。それは、パニック障害というひとつの病気をもっていることの理由ではない。パニック障害をもっていなければ最初のパニック発作はない。パニック障害という病気が満員電車を選んでいるのである。引き金Aと引き金Bの区別、そして絶対強迫の構造についての正しい理解によりパニック障害は治る。