薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §40

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§40

 

子供がチック症らしい動作を始めたとき。
Kurikiメソッドでは、チック症の上層部を身体感覚の抑圧の仕組みとして考える。チックの動作にしないように煩うことが他の身体部分の感覚を抑圧するための手段となってしまうので、子供のチックの動作を指摘したり、動作をしないように注意したりしてはならない。子供のチックの動作は完全に無視する。その意味で、子供がチック症らしい動作を始めた場合、病院に連れて行って医者に見せてはいけないということになるが、チック症ではない別の病気の可能性もあるので、筆者の責任上、「医者に見せてはいけません」と書くことはできない。読者の子供の症状も知らずに、筆者が「病院に連れて行ってはいけません」などと書くことはできない。Kurikiメソッドの理解は読者の理解力が問題となるが、医者に見せる前に、まずこの Kurikiメソッドの50のセクションを全部読むことを勧める。一般的に言って、純粋なチック症である場合は、たとえチックの動作が大きな動作であったとしても、急いで医者に見せる必要はない。読者の子供が別の病気かもしれないという可能性については筆者には分からない。(診断では特に、てんかん質とジストニアの有無、および自閉症スペクトラムが大切である。)
子供のチックの動作は完全に無視する。しかし、原因は無視してはいけない。子供の「無意識の中では、実は」というふうに考える。謎解きであるから、親が簡単にこれが原因であるなどと思いつくようなものではない。謎解きの鍵が子供の描いた絵に無意識的に表現されることがしばしばある。
1. 赤ちゃんのときから幼稚に誤解されたままの何かのイメージがずっと無意識の中に残っているのかもしれない。父親は人間の男、母親は人間の女ということに矛盾するような幼稚な誤解。毎日見るもので直感的に不気味なもの。誰かの身体的特徴。抑圧された感情は何十年でも無意識の中に残る。
たとえば、
母親が、身体の痛そうな部分にピアスをしていると、赤ちゃんは誤解した判断の表現を抑圧し、恐怖の感情はそのまま無意識の中に残る。
たとえば、
親の刺青などについても赤ちゃんの無意識は何か誤解していたかもしれない。皮膚の中に絵が描いてあることを抑圧するかもしれない。母親が蝶の刺青をしていれば、母親は蝶であると大人になっても無意識は思っているかもしれない。
たとえば、
誰かの大きな怪我の跡なども赤ちゃんの無意識には非現実的に解釈されえる。
2. 子供の今の生活の中での性的性器的抑圧。
子供が何かを抑圧するときは、平気な顔をしてものである。いやなことをいやがりながらするときは、抑圧ではない。いやであることを、子供自身も気づかずに、あるいは楽しそうしていることを抑圧と呼ぶ。
たとえば、
子供は卑猥なポルノ画像などから守られる。親自身が裸体で子供の入浴に参加するのも、もちろん極めて卑猥なことである。子供は楽しそうにするが、それを抑圧と呼ぶ。子供は、その汚らしさに対する嫌悪感の抑圧に気がついていない。毎晩、大人の性器を見なくてはならない無意識は一生懸命に不快感を抑圧する。卑猥さや汚らしさは意識されても、怒りは抑圧されている。無意識内での不快判断が身体的表現をもっていず、抑圧機能によって不快判断が忘れさせられる。神経症的な子供には地獄のようなトラウマ。子供の入浴は身体を清潔にするためものであり、親まで裸体になる必要はまったくない。小さな子供の入浴は同性の親が服を着て、やさしく沢山会話をしながら手伝ってあげるものである。
たとえば、
親が子供の身体を撫で過ぎるのは、子供の無意識にとっては理由が不可解。通常、子供への人間的な愛情は言語で表現されるものである。
エディプスコンプレックスは、三角関係の明白で健康的な衝突であり、エディプスコンプレックスが明白でない場合が害になる。エディプスコンプレックスの三角関係は言語によって明瞭化され、家族内の身体的な接触は言語によって否定される必要がある。そして、子供の性欲は家庭の外に向かうものである。これをエディプスコンプレックスの解決と呼び、反抗期は奨励される。一般的には悪い意味での「エディプスコンプレックス」という語は、これとは逆に三角関係が不明瞭であった場合を指す。

前出のリストをもう一度見る。
トラウマの可能性のリスト(不快判断の抑圧)
毎日繰り返されたこと、たとえば、
父親の裸体、
母親の裸体、
兄弟姉妹の裸体、
さわられるのがいやだ、
本当は、好きな子は誰か、
自分の性器的感覚への罪悪感、
男性性器の勃起と快感の秘密、
女性性器の快感の秘密、
性的ことがらに対する罪悪感、
排泄、
完全に無意識な同性愛的要素、
父親の同性愛的要素、
母親の同性愛的要素、
本当の同性愛、
誰かの特別な身体的特徴、
オイディプス、
など。
列挙を控えたことがらもいくつかある。
チックの動作の形態とトラウマの内容とは意味上の関係はない。
チック症の原因が見つかったときは子供に説明する。子供が赤ちゃんの頃どのような幼稚な誤解をしていて、今、どのようなことがリビドー的に不快であるかを言葉ではっきりと子供に説明する。言語化という親の行為が大切であるから、説明の内容を子供が完全に理解するかどうかは問題ではない。また、子供が説明に即座に反応する必要はない。当たり前のことであるが、親は子供に性器を見せてはいけない。冗談でも子供に性的に触ってもいけない。子供の勉強などのストレス、学校のストレス、社会的ストレスでは、チック症にはならない。神経症の原因は必ず性的、性器的な要素が中心となる。毎日の日課の中での性的に不快なことがらのなかから抑圧対象を探す。
たとえば、
肛門、直腸、膀胱、尿道、性器、亀頭、クリトリスなどの原始的感覚も無意識において不快なものかもしれない。上層部の抑圧対象が性器的身体感覚である場合、子供の偶発的な自慰的感覚に関する判断の抑圧かもしれない。性器的オルガスムに驚いてその出来事のイメージを抑圧する場合もありえる。男子の子供の性器的オルガスムはドライオルガスムで、前立腺の空の動きである。出来事の場所などの具体的なイメージの意識化が必要。健康な人間には性器的感覚があり、罪悪感が伴う。無意識は、性器的感覚ゼロ、罪悪感ゼロの状態に判断を凍結しようとする。意識において性器的感覚100%、罪悪感100%の状態が健康的である。アスペルガー的な要素のある子供には原始的感覚、とくに性器感覚についてのはっきりとした言語化が必要である。
たとえば、
チック症の原因を性器の感覚の抑圧とした場合で、さらに時間を幼児期にさかのぼって推論を続けるならば、無意識の中で幼児が性器の感覚の抑圧をする可能性のある姿勢がいくつかある。沢山の可能性のうちのひとつ。出来事の場所と物の意識化が必要。
原因にはいろいろな可能性がある。読者はチック症の原因のトラウマイメージを探す精神分析的方向の理解が必要である。八歳の子供が医者の診断を受け、「原因は学校のストレスです」と言われたとしても、トゥレット症候群は先天的な病的素因であるから、実際は三歳ぐらいからすでにチック症が始まっていることもある。
「親がきびしすぎる」というような誰にでもすぐ気がつくような極めて明白な不快判断、それによる不快感情が子供の無意識の中にいつまでも抑圧され続けているわけがない。「親がきびしすぎる」というのは、絶対にチック症の原因にはならない。子供の意識の中で不快指数100パーセントであるからである。
それに対し、親が子供の身体をやさしく実際に触っているイメージのほうがトゥレット症候群やアスペルガーの子供にとってはむしろトラウマ的である可能性がある。トゥレット症候群の人は実際の皮膚接触が大嫌いな場合が多く、スキンシップなどとんでもないことである。