薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §42

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§42

 

意識の病的な志向性

Kurikiメソッドはチック症および強迫性障害を治すためだけの理論を超えるものではない。KVの中での身体的感覚の抑圧、およびKVの存在による感情のかたまりの抑圧の理論は、チック症および強迫性障害の治療理論である。筆者には、「すべての種類の神経症」がその構造としてKVをもっていると言うことはできない。神経症全般へのKVの理論の応用は問いでしかない。たとえば、拒食症などにも適応できる可能性がまったくないわけではない。つまり、拒食症は、ひとつの合理化(抑圧手段の任意な選択)であって、トラウマの内容とはまったく関係がないとは考えられないだろうか?トラウマ判断の抑圧のために拒食症が意識の前面に出されるのではないだろうか?痩せることは良いことだという正当性を利用して合理化が超自我を通過し、無意識がリビドーの作用を使ってトラウマ判断を抑圧するのではないのだろうか?チック症の人がチックの動作を強制されるように、拒食症の人も食べ物の拒絶を強制されるのではないのだろうか?「抑圧は他のものへの連想の優先によって行われ、正当化の可能なものが症状となる。したがって症状とトラウマは意味上の関係はない」という考えが合理化である。症状は抑圧の結果ではなく、抑圧の手段である。無意識が「爪はきれいに切っておきましょう」という考えの優先を手段としてトラウマ判断の抑圧を続けるのが、爪噛み癖 (習慣および衝動の障害)。もしも無意識が痩せたほうが美しいという考えの優先を手段としてトラウマ判断の抑圧を続けると命取りになる。トラウマの内容には関係なく、ロボット的な超自我の支配下における合法性の正当化の容易さによって合理化がなされる。その合理化が症状となる。Kurikiメソッドはトラウマイメージのフロイト的な探し方をまったく否定するものと言える。

先天的素因
チック症の症状や強迫性障害の症状は身体的不快感覚の身体的抑圧方法である。これらの症状は神経症の上層部の仕組み、KVであり、この上層部の存在が下層部を抑圧する。下層部は感情のかたまりの存在であり、この感情のかたまりはトラウマの不快判断の抑圧の産物である。感情のかたまりの内容は先天的なものではないので、カタルシスによって減少させることができ、神経症の症状は消え、神経症は治る。一方、強い抑圧の傾向は神経症ではなく、患者の先天的な傾向である。

ADHD(注意欠陥多動性障害)
ADHDは神経症ではなく、まち自閉症スペトラムにも含まれない。抑圧は不快判断の抑圧と身体的不快感覚の抑圧であるが、それは意識対象の逸脱の仕組みによってなされる。意識対象の逸脱とは、他の対象が意識の志向対象となるということである。ADHDの注意欠陥は他の対象への志向集中である。健康な意識は散漫であり、いろいろな対象がたえず出入りする。ADHDの患者は意識の志向性が強く、ひとつの意識対象への集中の際には他の意識対象の出入りが排除される。まず、意識そのものが志向の機能である。意識は志向の一点に集中する。強い抑圧傾向、即ち強い志向傾向おいては意識対象が一点に強く集中する。ADHDの注意欠陥と呼ばれているものは、実は先天的に意識の志向性が強いということである。ADHDは、意識の狭い視野の強い集中であり、志向対象の移動の際には前の志向対象は、見ていた夢の内容のように、完全に抑圧される。

チック症と迷子
トゥレット症候群-強迫性障害-自閉症スペクトラムの関係のほかに、トゥレット症候群-強迫性障害-ADHD(注意欠陥多動性障害)の関係も周知の事実である。チック症をもつ子供が迷子になりやすくても何の不思議もない。

ASMRについての筆者の憶測
ADHDと色覚異常とトゥレット症候群の関係の記述は統計的資料を必要とする。さらに自閉症スペクトラム障害(アスぺルガー症候群など)やASMRについても統計的資料が必要である。資料のない理論は単なる憶測であり、間違いである可能性がある。しかし、筆者は公的な統計学的分析を百年も待つわけにもいかない。ASMRの感覚を知覚できる人の人口に対する割合は知られていない。トゥレット症候群とASMRの統計的関係の資料はない。筆者はASMRを間接的ソシアル・グルーミン social grooming と考える。間接的ソシアル・グルーミンの反対は鳥肌である。間接的とは二人の人間の間に直接的な皮膚接触がないことを意味する。必ず、ひとつの物体が存在し、音はその物体の音である。あるいは、二者の間接的接触の音としての囁き声や口の音などがある。これらの間接的ソシアル・グルーミンの感覚には実際の情的要素は問題とされず、ASMRは自閉症スペクトラムのとても知的な一例である場合もあるかもしれない。ASMRの行為は、整理する、創作する、美しくする、修理するなどのゆっくりな肯定的行為である。物をごちゃごちゃにしたり、壊したりというような速い否定的行為はトリッガーにはならない。チック症や強迫性障害などの神経症の原因であるトラウマは直接的な皮膚接触の可能性が高いと筆者は憶測しているが、その場合は、トゥレット障害の患者がASMRの感覚を知覚できる率が高くなるはずである。

この図には統計的資料はない。筆者の想像であり、部分集合を明らかにし、「すべてのAはBである」といったような誤解を防ぐための図である。トゥレット症候群および強迫性障害は病気であるが、他の四つの部分集合は病気ではない。また、各々の部分集合は夥しい数の個人差の集合である。
ASMRの感覚を知覚できる人たちの知性のレベルの高さは明らかである。もしも、アスペルガー的ならば、知性はカテゴリーによっては超越的であり、真面目と冗談の境界線がなく、コミュニケーションが制限される可能性がある。実際の人物との個人的なコミュニケーションの必要性は、そもそもない。
OCDの《強迫性身体感覚》の皮膚感覚は鳥肌のための立毛筋と何か関係があるかもしれない。

共感覚(Synesthesia)
ASMRは共感覚としては特殊であると言える。それはASMRの感覚は五感ではないからである。普通の感覚では、たとえば黒板を引っ掻く音には意味はなく、直接的な不快感を与えるが、ASMRの感覚のある人には、ASMRのトリッガーは意味をもち、間接的ソシアル・グルーミンの心地よい感覚を与える。

チック症をADHD、アスペルガー、ASMR、共感覚と比較する。
チック症を構成するの要素
・身体的な抑圧の仕組み(KV)
・随意筋における実際の筋肉収縮のない筋肉収縮感 (チック症の《強迫性筋肉内感覚》)
・《強迫性筋肉内感覚》とチックの動作の間の絶対強迫 (絶対強迫は知覚されうる感覚ではない。患者は《強迫性筋肉内感覚》の増幅を知覚する。)
・トラウマ感情の抑圧の密閉状態
・チックの動作の変化(チック症の中での合理化)