『失われた時を求めて』を読んでみる 004

              

Mais si le photographe…
|| 写真家がしりぞけられ、代わりに画家による建築物や自然物の描写のほうを選ぶとしても、お祖母さんが買うときにはそれらの絵を写真家が写真にしたものが印刷されているわけだ。お祖母さんには写真家のそのような介入がまた気に食わないので、絵を版画にしたものはないのかと探すことになる。絵を写真に撮ったものよりも趣がある。その版画も写真に撮って印刷したものを買うのだが、プルーストはそこまでは言わない。 || Arrivée à l’échéance de… 保険などの毎年の支払いや月極めの支払い cotisation の請求書には、しばしばこの語が用いられる。前に払った料金によってカバーされる有効期限 exigibilité がそろそろ切れるので、また払ってくださいというような請求書だ、avis d’échéance 。請求書以外でこの語が用いられることは通常はない。arrivée は名詞ではなく、動詞の過去分詞で、ma grand’mère était arrivée à…ということ。|| reculer encore トドメを刺すと訳してもいいと思う。

Il faut dire…
|| ne furent pas toujours très brillants 直訳的には、「いつもウケがよかったとは限らない」という意味であるが、実際の意味は、「ウケがよかったことは、ほとんどなかった」ということの婉曲表現。|| est censé avoir… たぶん何々があるのだろうと思われるのだが、はっきりとは判別できない。|| On ne pouvait plus faire le compte de… たくさんあるという意味。|| dresser un réquisitoire contre 非難する

Mais ma grand’mère…
|| aurait cru 条件法過去を用いて推測を表す。素敵な古い家具は華奢なほうが品があると考えていたようだ。|| du passé これは過去と訳すにしても昔と訳すにしても、時間的に過去に属するということではなく、過去による、過去の持つというような意味かと思われる。この語は前の小さな花、微笑み、そして楽しい空想にかかっている。時間的に過去において作られた花ではなく、過去が咲いている花、たとえば桜の花というような語の修飾関係のような意味での過去の花であり、モナリザの微笑みというような語の関係における過去の微笑みであり、そして過去による想像という意味だ。encore は、いまだになおの意。つまり、いまだに過去が咲き、過去が微笑み、過去が夢見ているところの木製家具である。椅子に花の浮き彫りがしてあるのが薄っすらと見えるなどと訳すと誤訳となる。|| effacée この語は直前の métaphore にかかっている。métaphore は、まるで何々のような何々だという言い方ではなく、直接的に何々と言ってしまうことである。まるで妖怪のような老婆が歩いていたとは言わず、妖怪が歩いていたという言い方がmétaphore である。ちなみに前者を comparaison と呼ぶ。前のセンテンスにあった、小さな花、微笑み、空想は métaphore である。これはたとえば過去のもつ優しさ、暖かさ、人間味、素敵さ、楽しさといったような抽象的要素の譬えと考えられる。|| où この関係副詞は manières にかかる。|| notre moderne langage 今のという形容詞が名詞の前に置かれているのは、私たちの言語は今のものであるのは当然であるからであろう。|| par l’usure de l’habitude この表現は冗談であり、面白い。古い語が消えてなくなったのはその語を使わなくなったからではなく、使いすぎてなくなったのだ。あたかも、たとえば、一つの語が使用される予定数が百万回と決まっていて、その百万回を使ってしまったのでその語が消えてしまったというような表現だ。いかにも古い語が磨り減って消えたという感じだ。 d’une façon à laquelle nous ne sommes plus habitués も、同じ意味である。たとえば、「とにかく、急ごう。だって時は金なりだからね」のような陳腐な言い回しを現代人が日常会話で使うことはもうないが、古典落語の枕などで、「えー、昔から時は金なりなどと申しまして、」と言ったなら、それはそれなりに味がある。

Or, justement…
|| or お祖母さんの古い物好きも困ったものであり、やめにして貰いたいのだが、ところが、まさしく・・・・。だが、|| ainsi qu’un mobilier ancien, なぜ単数で書かれているかというと、椅子などを贈り物にする場合と同じようにということ。|| imagé ラルースの辞書には、comparaison や métaphore が多く用いられている文章を imagé というと出ている。|| de préférence à d’autres, 好きなために、他の物品よりも、意識的にそれらを選んでいる。|| comme elle eût loué… : comme si の意味で接続法大過去で用いられて、次の条件法過去とともに反実的な想定を表す。|| pigeonnier gothique, 昔は畑の真ん中の石造りの小さな塔のようなところに鳩を育てて食用にしていた。今でもフランス料理には鳩というものがある。|| exercent これは直接法現在と同形であるが接続法現在であり、関係節の中でその関係代名詞の先行詞の存在目的や用途を満たすという意味がある。文脈において何かを探すような意味があるはずである。たとえば、このコンピューターが入るようなカバンを見つけて買うといったような文になる。Je cherche un sac qui puisse contenir mon ordi 口語的な文において、接続法現在は話の時に関係なく使われる。

Maman s’assit…
|| ジョルジュ・サンドの書いたフランソワ・ル・シャンピを読みたい人はこちら。ジョルジュ・サンドは自分を修飾する形容詞に男性形を使っていた変な女性で、フランソワ・ル・シャンピの最初のところの自分とひとりの男性との会話の部分は、そのことを承知の上で読む。|| distincte 男性形の場合でも、通常 ct を発音する。ここでは、はっきりとというような意味ではなく、月並みではない人物、他の人たちからは際立った人物という意。|| de vrais romans 不定冠詞複数の付いた des romans に形容詞が入ると de が不定冠詞に代わる。 || le type du romancier 定冠詞を二回使って、「典型」の意。 || à imaginer quelque chose d’indéfinissable et de délicieux || とても漠然とした考えに対し動詞 imaginer が使われた場合に想像する、思い描くと機械的に訳すと意味不明となる。イメージがないものを思い描くことはできない。ここでは、Cela me disposait déjà à imaginer で、予期するといったような意味となる。

Les procédés de…
|| 日本人の読者には複雑な構造の文に見えるかもしれないが、フランス人には単純な文であり、フランス語で自然に考えるままに、語を単にだらだらとつなげているに過ぎない。|| 中央にある形容詞 communs は男性複数なので、qu’un lectuer の関係代名詞 que の先行詞は façons ではなく procédés である。simples は男性か女性かは語形からは判断できないが、動詞 paraissaient の主語は procédés と見たほうが文の形では正しいようだ。するとコンマの中の部分は独立名詞句であり、avec を添えて avec certaines façons de … として読まれる。そこでの qui éveillent の主語は façons とするのが自然なので、結局、この文の関係代名詞 qui と que は先行詞が異なるので注意が必要だ。ハイフンの中の記述は à moi… として、前の間接目的補語 me の説明となる。最後の une émanation 以下は paraissaient の属詞として simples と同格である。すなわち、Les procédés me paraissaient une émanation. を膨らませた文といえる。文意としては、フランソワ・ル・シャンピにおけるジョルジュ・サンドの文体がフランソワ・ル・シャンピの性格そのものと直接に関係していることが少年プルーストには分かっていたということだ。 || un peu 肯定的な意味であり、「多少とも・・・な人ならば」という意味。|| non comme 日常語では pas comme と言う。ここでは、後の mais と対になる。 || émanation 意味がとても曖昧な名詞であるから、はっきりとは理解できないかもしれない。ちなみに、台所などのガス漏れにもこの語が用いられる。液体や気体などが「流れ出ている」状態なので光のようなオーラという語で訳すわけにはいかない。あとに続く前置詞 de は、何々からと、流出の出どころを示しているのであり、流出物の成分、あるいは流出物そのものを示しているのではない。エッセンスから流れ出ているのであり、エッセンスが流れ出ているのではない。 || essence この言葉は哲学的な用語、すなわち宗教的な用語であり、日本では本質という語で訳される。正三角形の本質は鉛筆と定規で描かれなくとも、すでに抽象的に決まっている。その本質に従って紙の上に描かれたとき一つの正三角形が実在するというわけだ。先に述べた文の形から、流出物は文体であることが分かる。フランソワ・ル・シャンピのキャラクターという本質があり、その枠の中から流れ出るのものが文章の文体となる。

Sous ces événements…
|| je sentais comme une… : この comme は直接目的語に付き、何々のようなものの存在を感じたという意味になる。別の名詞を直接目的とし、それを例えを使って、何々を何々のように感じたと言っているのではないので、比較の第一項を探す必要はない。|| L’action s’engagea 物語の筋が始まった。少年には話の筋がだんだんわからなくなってくる。 || rêvassais : 不定詞は rêvasser であり、rêver の活用形ではない。 || s’ajoutait : この動詞の主語は qu’elle passait toutes les scènes d’amour という節全体. || passer ここでは他動詞で、とばす、抜かして読むの意。//

Aussi tous…
|| このセンテンスのなかの動詞のうち se produisent と trouvent は時制の一致として、半過去や単純過去などの過去時制で書かれるべきであると私には思われる。|| respectif 粉屋の女の振る舞いと子供の振る舞いのそれぞれを別々に || sans que je susse pourquoi : sans que に続く文の動詞は接続法であり、日常文では過去の話でも常に sans que je sache pourquoi となる。虚辞の ne が入ることもある。|| empourprée 字から推し量られるような元気のない紫色ではなく、真っ赤に近い、紅潮したというような意味。

Si ma mère…
|| この si には仮定の意味はなく、事実を提示する表現であり、直接法が続く。この節全体を受けて c’était aussi…が用いられている。elle était aussi… では si に対応しない。|| infidèle 愛が語られている部分などを読まなかったりする。|| son プルーストは、ここで「声」という語を用いなかった。

Même dans la vie…
|| exciter ここでは「生じさせる」の意。|| avec quelle déférence 読み間違えやすいかもしれない語であるが、敬意のこと。詠嘆形容詞 quel を使った副詞句。その前にある他動詞 voir の直接目的補語は文法的に何どの語であるかを探すと面白い。詠嘆形容詞は疑問形容詞を使った文からクエスチョンマークをはずしただけのものにほかならないので、この場合は従属疑問文の形に従う。すなわち、avec 以下のすべてが voir の直接目的補語であり、従属節である。(= de voir le fait qu’avec quelle déférence elle…) || écartait の直接目的補語が後に続く三つの tel···qui 条件法過去 (eût pu は条件法過去第二形)。過去時制において、もし避けなかったのならばそれらの結果となるのだが、避けていたのでそのようにならなかったのであるから過去の反実仮想であり、したがって条件法過去が使われる。|| ménage 家の掃除、洗濯など。ちなみに、家事手伝いの家政婦さんは femme de ménage という。|| savant 何か特別なことの研究を本なども沢山読みながら黙々とやっているような人。fastidieux は、現在では時間がかかり根気がいるような作業に使われる形容詞であり、ここでのように興味が沸かないといった意味では使われない。

De même, quand…
|| 前半は時況節、elle fournissait からが主節である。|| respire qqch. 何々という特徴をはっきりと表している。|| cette dictinction morale 「心のきめのこまかさ」は、それに続く二つの関係節 que…, et que… で説明される。|| dans les livres 実生活に対し、文学的な読書においては。|| attentive 過去分詞の用法のひとつとして、助動詞を省略して用いられた形容詞は副詞節の代用となる。en étant attentive à 。この形容詞は母親と一致させるために女性形になっている。|| empêcher le flot puissant d’y être reçu 話の筋の力強い流れが声の中に入ることを妨げる。そんなに気取って、やさしさにあふれて読んでいたら力強い流れが本の中を流れなくなるからダメだと、のちになって語り手は母親に教えた。|| elles réclamaient 複数の女性名詞はないので、文脈より les proses のことと思われる。|| tenir dans qqch. 何々の中にきちんと収まる。ジョルジュ・サンドの散文は、あたかも母親の声の表現の微妙さの内に充分に収まるものとして意図的に書かれたものであるかのようであった。sa が声のことであることは、registre という語がソプラノ、アルト、テノール、バスの区別にも用いられる語であることより明らかである。まるで、作曲家が自分の好きなひとりの歌手のために特別に作曲した曲のようだ。

Elle retrouvait…
|| 母親を少し褒めすぎているかもしれない。|| pour les attaquer 文章を読み始めるに際し。les = ces phrases || accent cordial : ton qu’il faut がジョルジュ・サンドの散文の音読にふさわしい声の音色をさしているのに対し、accent は音読のリズムのこと。心のこもった丁寧な読み方をする際のリズムである。|| ここは時制を守るならば、たとえ時間の前後を越えた事実であっても次のように書かれるはずのものである。dans le ton qu’il fallait, l’accent cordial qui leur préexistait et les eut dicté, mais que les mots n’indiquaient pas || leur préexiste et les dicta : 代名詞は前の文中の ces phrases のこと。作家が真剣に文章を書くときは声に出して読んで不自然ではないかどうかを判断することがあるそうだが、言葉の音的な美しさ、リズム的な美しさの基準は本質的に個々の文章に先立っているようだ。dicter は社長が誰かに手紙などを出すときに口述して秘書がタイプを打つようなこと、小学校の国語の先生が文章をゆっくりと読んで生徒に正しい文法で書き取りをさせること(dictée)などを意味する。新しい文学作品などを紹介するテレビ番組をもっていた Bernard Pivot が年に一度フランス全土を対象にテレビで dictée のコンクールをやっていた。書かれる文章が dicter の直接目的補語となる。ジョルジュ・サンドのリズム的な美の基準がペンを持つジョルジュ・サンドの横に立って文章を書き取らせているというイメージだ。|| mais que les mots n’indiquent pas : しかし、リズムは書かれている語によっては直接的には表されていない。朗読者である母親の直感によるものだ。|| au passage : 通常、この語は通った「ついでに」という意味だが、ここでは「朗読している文章の箇所に関して」という意味。|| grâce à lui = l’accent cordial || amortissait toute crudité dans les temps des verbes, : フランスのパン屋さんでサンドウィッチを買うとき、バゲットの半分の長さのものを売っている。チーズやハムの類だけを挟んであるものに対し、トマトやレタスなどの生野菜をゆで卵とともにマヨネーズで挟んであるものを crudité と呼ぶ。cru- は cruauté, crucial, crucifier, cruel などのドギツイ語が連想される音であるが、cru は生の食べ物のほかに、色などのけばけばしさを表す形容詞である。動詞の時制のけばけばしさのショックをやわらげる。たしかに、三人称単数の未来形や単純過去などの語尾のアの音はぶっきらぼうな感じもしないこともない。|| donnait à l’imparfait et au passé défini la douceur qu’il y a dans la bonté, : プルーストも調子に乗って好き勝手なことを言う。la douceur qu’il y a dans la bonté とは大阪弁で言うところの「まったりした」という感じかもしれない。そのようなリズムを半過去や単純過去に与える。|| la marche des syllabes pour les faire entrer, quoique leurs quantités fussent différentes, dans un rythme uniforme, : 複数の代名詞は音節のこと。quantité は各音節の長さのことであり、単語のひとまとまりの音節の数のことではない。音節に長短の違いがあっても一定のリズムを崩さずに朗読する。長い音節が短い音節の二倍の長さで八分音符と十六分音符の関係のように想像できる。英語のように重要でない語の複数の音節が曖昧母音となって一拍に凝縮されることやストレスのある部分が大きな拍となることとはまったく違う。|| la marche des syllabes の des は de + les であり、 de + des ではない。それは、朗読におけるすべての音節に関して述べているからである。|| elle insufflait à cette prose si commune une sorte de vie sentimentale et continue. この名詞 vie は修飾している形容詞から明らかに「日々の生活」の意味において訳されるべきものであろう。

Mes remords étaient…
|| Je savais qu’une telle nuit ne pourrait se renouveler : 過去における未来は条件法現在を使う。ne pas pouvoir の活用の際、気取った文では pas はしばしば省略される。|| que le plus grand désir que j’eusse au monde, 比較最上級に続く関係節では動詞は接続法を用いる。que はさまざまな語の代わりに用いられるが、この最初の que は文脈より、なぜこれきりであるのかの理由を述べるための comme の代用と考えられる。|| trop…pour que 接続法の形であるが、tous のあとのコンマは打たないほうがかえって文の形がより明らかとなるような気がする。|| en opposition avec : avec を使わないと間違えとなる。ちなみに faire opposition à la carte bancaire という言い方を知らない人は、いざというときのために憶えておかなくてはならない。|| vœu 通常、この単語は謹賀新年以外には使われないが、ここでは願いという意味。|| on lui avait accordé : 父親が母親に。

Demain mes…
|| 名詞 angoisse は、非常にしばしば複数で使われる。複数の場合は、恐怖感という意味が強まる。|| 過去における未来が条件法で書かれる。|| je ne les comprenais plus その時は母親が一緒にいたので、明日の苦しみのことは「忘れてしまっていた」。|| là は、ここにいるという意味で、むしろ ici よりも頻繁に使われる。指さした場所が là であるので、ここを指させば、ここが là となる。私はここにいる Je suis là. この意味では Je suis ici. とは絶対に言わない。|| demain、これは le lendemain を使わなくてはいけないような気がするが、プルーストのほうが正しいのであろう。|| aviser 自動詞として目的語なく用いられ、決心する、心を決める、決断するなどの意。 || 動詞 faisait の主語は l’intervalle

C’est ainsi…
|| 本では大きく段落が分けられて、文が始まっている。|| pan 壁の表面のように、ある程度の面積をもった垂直な平面。|| 光源としてベンガル花火、あるいは電気の光と挙げられているが動詞が複数形になっている。ou を挟んだ複数の主語は、対立関係のもののひとつが選択される場合は動詞は単数、類するものとして全体的にとらえる場合は動詞は複数になる。|| amorce 最初の部分、入り口。|| inconscient スワンは自分がこの少年に気の毒な事をしているとは思いもよらなかった。|| コンブレーという名称はコンブレーの家を指している。いびつなピラミッド型の広い底の部分と頂点の自分の小さな部屋の間は悲しい階段によってできている。実際の二階建ての家は直方体であるが、語り手の記憶の中でのイメージはピラミッド型が黒い背景から浮かび上がっている。

et, au faîte…
|| les vieilles pièces パリの劇場での公演では既に大きな背景が作られているような馴染みの劇でも、演劇団が地方巡業をする際には町から町に運ぶ荷物が多くならないように芝居の台本の冒頭部分に指示されている背景用の絵が最小限の大きさのものになっている。déshabillage 日中着ている服からパジャマに着がえるときなのだが、フランス人はパジャマを着なかったり、パジャマを着る場合でも下着は着用しないことが多い。したがって、うかつに「着替え」と訳すことはできない。

À vrai dire…
|| 小説『失われた時を求めて』を書き始めた主題であり、この題名の意味でもある概念であるから、しっかりと理解して読むべき部分である。『サント=ブーヴに反論する』Contre Sainte-Beuve 参照。語り手が思い出したいものは意識的、意図的な回想の産物ではなく、突然に何かのトリガーによって思い出されたものなのである。コンプレーでの少年期の気持ちは既に意識的に語られた思い出に過ぎない。感動のない回想である。都会の大金持ちの人や田舎で昔から農業を営んでいる人などの家では、赤ちゃんの頃からずっと同じ一軒の家に住み続けていることもあるかもしれないが、多くの場合、引っ越しの一回や二回はしているであろう。誰が何をした、誰がどのような人間であったかなどの思い出はいつでも思い出すことが可能であるが、それだけに感動がない。ところが、何かの拍子に、たとえば、かつて住んでいた家の壁についていたシミが何かの姿に似ていたこと、どこかの窓枠に釘の頭が出ていたこと、どこかの壁と柱の間に隙間があったこと、などのようなつまらないことを思い出す瞬間には、その時の自分の気持ち、その時の時間の流れの様子などを実際に体感するような感動がある。それが語り手の言うところの過去そのものなのである。ところが、そのような物は、何かのトリガーが偶然に思い出させるものであり、思い出したくて思い出すものではない。これから先、二度と再び意識に浮かび上がってくることはないかもしれないという意味において、死んだ記憶なのである。|| À vrai dire で始まる文が、たずねられることなどないのだが、もしもたずねられるのだったならばという反実仮想で条件法過去であるのに対し、Mais comme で始まる文は À vrai dire ではないという意味において、反実仮想であり条件法過去が使われる。なお、接続法大過去は条件法過去の第二形である。je m’en serais rappelé は、過去における未来の完了ではなく、反実仮想の条件法過去である。je n’aurais jamais eu envie de も、もしたずねる人がいたとしても、思い出そうとして思い出すことはないであろうという意味で反実仮想の条件法過去になる。|| rien de lui : この lui は le passé 。

Mort à jamais…
|| 偶然のトリガーによってのみ思い出される物。恐らく、思い出されることはないのであろう。二つ目の偶然、すなわち自分の死によって、最初の偶然、すなわちトリガーに出会うことはなくなってしまうのだろう。それらの物は思い出されることもなく、死が来ることによって時間切れとなる。

Je trouve très…
|| jusqu’au jour, qui …, où … この関係代名詞 qui および où の先行詞は le jour 。|| se trouver entrer en possession de qqch 偶然、手に入れる。|| sitôt que ind. 何々するとすぐに。

Il en est ainsi…
|| 本当の意味における私たちひとりひとりの過去とは、このような過去の自分の感じていた時間と空間そのものの偶然的な想起である。過去の事物の概念的な記憶のことではない。|| peine perdue 徒労。

Il y avait déjà bien…
|| 『サント=ブーヴに反論する』Contre Sainte-Beuve では現在のパリのプルーストが冬、帰宅して、お手伝いのおばさんが珍しく硬いトーストと紅茶を出してくれた時のことが書かれている。|| se raviser 意見を変える。場面の情景を書くときには単純過去になっている。ここで注意して読まなければならないのは、コンブレーでのその他のことはもう忘れてしまっていると書かれているので、この部分は語り手の現在であるということだ。帰宅した語り手は現在の大人であり、母親は歳をとった母親である。ちなみに、プルーストの実際の母親は1905年、プルーストが34歳のときに亡くなっている。『失われた時を求めて』が書き始められたのが1908年だ。

Elle envoya…
Elle envoya chercher un de ces gâteaux courts et dodus appelés Petites Madeleines qui semblent avoir été moulés dans la valve rainurée d’une coquille de Saint-Jacques.
|| フランスではマドレーヌと同じ味で、数百グラムのもっと大きなかたまりで売っているものにキャトル・キャー quatre-quarts がある。キャトル・キャーは煉瓦のような直方体であったり、円盤型であったりし、ナイフで切り分けて食べる。 お菓子のマドレーヌはパリのマドレーヌ寺院とは全然関係ない。マドレーヌ寺院の近くで元祖マドレーヌ本舗の店を探しても無駄だ。商品名ではないので、スーパーマーケットでいろいろ売っているが、プルーストの顔がパッケージに印刷されていることはない。スペリングに注意。ここでのプルーストの文章では、大文字で始めて、複数で Petites Madeleines と書いてあるので、商品名のように見える。この petite という形容詞は、マドレーヌの起源が昔のどこかの金持ちの家の女中さんの名前なので、お菓子のマドレーヌのひとつひとつが小型ということではなく、可愛いマドレーヌちゃんが作ったという意味だ。ホタテ貝の形とは言うものの、日本のホタテ貝のイメージほど円形ではなく、縦長である。|| フランソワ・ル・シャンピを読んだ人はマドレーヌという名前がプルーストにとって意味の深いものであることがすぐに分かる。このプルーストの有名なくだりの感傷的な要素を理解するうえで、シャンピが愛したマドレーヌという心優しい女性、大人の女性、美しい母親のイメージをつかんでおく必要がある。それは、プルーストは自分の小説の表現にジョルジュ・サンドの作品を利用しているとも言えるからだ。
フランソワ・ル・シャンピを読みたい人は、こちら
また、私が書いたエディプスコンプレックスの説明は、こちら

Et bientôt…
|| ここでは大人の語り手が凍えて帰宅し、母親がお手伝いさんに買ってこさせたマドレーヌを紅茶に浸して食べた時に得られた特別な感覚的喜びが書かれている。

Il m’avait aussitôt…
|| 最初の主語の il は、前の文の un plaisir 。この語は次の文での joie とともに一応、喜びと訳すことができる。これがどのような形での喜びであったかをプルーストが言語で表現しようとしているので、感傷的に読み流すだけではなく、なるべく正確にその概念を理解したい。|| rendre + qqch. +形容詞、という形が省略とともに繰り返されている。la vie には様々な訳語があるが、ここでは文脈より人生が適当であろう。人生の浮き沈み vicissitudes をどうでもいいものにし、人生の悲しい出来事を何でもないものにし、人生の短さを単なる錯覚にすぎないものとする、そのような喜び。|| brièveté ブリエフテと読む。|| まるで愛がそうするかのような、同じような作用をもつと書いてあるので、この喜びは愛のことではない。|| essence という語は哲学用語、したがってもともと宗教的な語であり、existence によって後から満たされるべき輪郭、物が存在するために前もって点線で描かれた設計図のような意味であるが、ここではそうではなく apparence の対となるような意味であり、文脈より「中身」と訳すことができる。この文の主語が喜びであるので、中身が喜びなのではない。この喜びは貴重な中身によって私を満たす作用をもつ。そして、この中身とは私の精神の奥底にあるのではなく、この中身こそ私自身なのだ。つまり、この喜びは私自身の存在によって私を満たす作用をもった感覚であるということか。 || J’avais cessé de me sentir médiocre, contingent, mortel. この大過去は、その時の状態を表し、「もはや・・・でない状態であった」と訳すと分かりやすい。

D’où avait…
|| 他動詞 appréhender の動作主は、私。私はどのようなものとしてこの喜びの感覚の正体を知ればよいのだろうか。語り手が問題としているのは、この喜びの感覚の内容がどういうものであるのかではなく、この喜びの感覚がどのようにして起こったのかにある。喜びの感覚の出現の正体が問題なのだ。

Je bois…
|| この部分は現在時制で書かれている。 || le breuvage 飲み物として、ここでは一杯の紅茶をさしている。この男性名詞が、続く文での男性の代名詞となっている。とくに Il l’y a éveillée の il は、あたかも非人称のように見えるが、そうではなくて紅茶のこと。そして y は em moi である。|| tout à l’heure あとで、また甦らせたくなったときには、容易に。 || C’est à lui de trouver la vérité. この lui は mon esprit である。 à lui は、正体を探す場所「・・・で」ではなく、動詞 trouver の主語「・・・が」である。|| pays ここでは領域といったような転義的意味。bagage ここでは知識や理解力など。

Chercher ?…

Chercher ? pas seulement : créer. Il est en face de quelque chose qui n’est pas encore et que seul il peut réaliser, puis faire entrer dans sa lumière.
|| 精神の光の中とは意識のことである。探すだけでなく、意識の中にそれを創作するのだ。なぜなら、意識が意識の中で、そもそも何もないところに、そのなにものかの正体を持って来るのであるからだ。

Et je recommence…
|| 上の文で quelque chose と書いたものが、ここでは cet état inconnu と書かれている。所有形容詞 sa となる。|| laquelle 可能性のある女性名詞は évidence と réalité であるが、devant l’évidence de という言い方がされるので前者。|| les autres = les autres états, (qui étaient connus)

Je veux essayer…
|| par la pensée 頭の中での想像だけによって。プルーストは、こう書かないと実際に外へ出て「おかあさん、ただいま」からもう一度やり直すと思う読者もいると考えたのだろう。

Je retrouve…
|| このあたりは自分の精神の中を過去の方向に探っていく姿勢がこの小説『失われた時を求めて』全体の設定そのものであり、この設定がプルーストの文学的な主題でもある。ところが、細かく見るならば、プルーストの考えでは思い出して感動する類の過去の記憶は何らかの物体などの外的なトリガーによって思い出されるものであり、ここでのように、まず感動があり、それが何かを後から思い出そうと努力するものではないはずである。理想的には、偶発的に、マドレーヌと紅茶の組み合わせの味覚から即座にそれまでまったく忘れていた情景が頭に浮かび、そして感動すべきものである。

Et, pour que…
|| brise 接続法であるが、現在形と同形。|| dont = de l’élan がんばって || 代名詞 la は、前出の la sensation. || étranger 無関係なという意味の形容詞ならば他にもっと適当な類語がありそうなので辞書で探してみたが、結局のところ、この形容詞しかないようだ。|| abriter…contre //

Mais sentant…
|| distraction 気が散った状態 || suprême 最後の力をふりしぼった 

Puis une deuxième…
|| faire le vide 何もない状態にする。|| désancré という頻度の低い語を一つ用いることにより、しかし海、船という単語を使うことなく、海のイメージ、船のイメージ、海底のイメージを読者に与え、海の深いところ、ゆっくり浮上する、海水の抵抗、船の進む海原の潮騒といったようなものを連想させる語が続く。//

Certes, ce qui palpite…
|| à peine si せいぜい何々するのが精一杯だ。|| 探しているものが、過去のひとつのイメージらしいことが徐々に分かってきた。reflet とは、光を反射する平面上に写った何かの姿、あるいは、その反射光を意味する。様々な色が渦になっている中に、色のない影のようなものが一瞬、ぼんやりと見えた。
[046]
mais je ne puis…
|| ぼんやりとした何かの影。この影にプルーストは尋ねることができない。

Arrivera-t-il…
|| l’instant ancien 過去における出来事。まだ思い出されていない。un instant identique 記憶の底から出来事が蘇るためのトリガーであるような、現在の出来事や物。この現在の出来事が、あたかも過去から大切なイメージを連れて来ているような意味をもっているはずであると語り手は考える。

Maintenant je ne…
|| プルーストはここで一旦、諦めかける。|| boire mon thé このような所有形容詞はなかなか使えない。今、自分の目の前にある、カップに入った紅茶であり、具体性が伴う。du thé と書くと漠然と一般化されてしまう。|| remâcher 繰り返し考える。

Et tout d’un coup…
|| ミサは近所の教会で日曜日の朝10時ぐらいから始まる。近所といったが本当は小教区 paroisse と呼ぶ。私が初めてカトリックのミサというものに列席したとき、途中で隣に坐っていた人が急にムニャムニャムニャと言いながら私に握手をしてきたので、私は「はじめまして、私は××です」と言った。その時、まわりを見たら教会の中の列席者が皆、それぞれの隣の人とムニャムニャ言いながら握手をしていて、それは実は儀式の一部だったのだ。私はそんなこととは知らなかったから自己紹介をしてしまったのだ。

La vue de la…
|| 動詞 goûter を自動詞として前置詞 à とともに使う。|| les tablettes des pâtissiers パン屋の店のガラスケースの中の盆。|| si grassement sensuel sous son plissage sévère et dévot パリのマドレーヌ寺院のマリー・マドレーヌの名は日本の聖書ではマグダラのマリアとなっているはず。 男性単数の形容詞 sensuel が修飾している語は coquillage。修道女の guimpe との連想があるらしい。

Mais, quand…
|| 匂いと味の極めて小さなしずくの一滴に記憶の底に広がる過去の世界があるのだ。

Et dès que j’eus…
|| dès que の後は直接法。quoique の後は接続法。|| reconnu この語を「はっきりと思い出した」と訳すと日本語として意味がよく通じる。|| パリなどの市内の appartement に対し、郊外の一戸建ての家を pavillon と呼ぶ。これは建物としての種類を表す。通常、我が家といった意味ももつ maison と区別されのだが、ここの文では、通りに面した大きな古いメゾンと庭の側にある小さな新しいパビヨンとがあるわけだ。sur(建物が)何々に面して。sur ses derrières 単数でもよいのだが、大きな建物は直方体とは限らず、裏と呼べる側が、二つの面が角度をもって、あるいはひとつがもうひとつよりも奥まっていたりした場合には、「裏側」は複数にもなりえる。少年であった語り手は、コンブレーでは両親と一緒にパビヨンにいたのだが、実はパビヨンの反対側には大きな古いメゾンがあり、そちらにはレオニー叔母さんの部屋があったのだが、語り手はそのことをすっかり忘れていた。pan という語はプルーストにとって便利な語であり、思い出の背景としての建物の部分的なイメージに使われる。ce pan tronqué que seul j’avais revu jusque-là 大過去。マドレーヌのことを思い出すまでは、思い出としてはメゾンの中に入ることもなく、メゾンの向こう側の通りを思い出すこともなく、パビヨンから見た建物のこちら側の壁のみが思い出されていたのだった。前置詞 avec は la maison のみに掛かる。メゾンを思い出し、それによって、その向こう側の通り、町の様子を思い出すことになる。|| プラスが定冠詞と大文字で始まっているのは、通りの交差点のようなところが広くなっていて記念碑とか花壇などがあるとプラス・ドゥ・何々という名前で呼ばれるからだ。 少し大きなプラスには、店が並んでいることが多く、また午前中には marché が出ることも多い。お昼の前にお使いをされられたというのは、たぶんパン、チーズ、果物など、簡単な諸々の食料品を買ってくるということであろう。|| depuis le matin jusqu’au soir et par tous les temps という部分は、『失われた時を求めて』の古い版では courses の後に直接つながっているが、朝から晩まで買い物をするわけがないので新版ではバラバラの原稿の編集の際に位置を変えたのであろう。何となく、変な部分であり、自筆の原稿ではどのようになっているのかが知りたいところだ。
新版 la ville, les rues où j’allais faire des courses depuis le matin jusqu’au soir et par tous les temps, la Place où on m’envoyait avant déjeuner, les chemins qu’on prenait si le temps était beau.
旧版 la ville, la Place où on m’envoyait avant déjeuner, les rues où j’allais faire des courses depuis le matin jusqu’au soir et par tous les temps, les chemins qu’on prenait si le temps était beau.
副詞句なので、直前の名詞 la ville ではなく、何らかの動詞を修飾するはずであるが、それらしい動詞は見当たらない。depuis le matin jusqu’au soir が  avant déjeuner に対応し、 par tous les temps が si le temps était beau に対応するのであろうが、へんである。|| 天気の良い日には遠回りをして帰った。昔はテレビもインターネットもなかったから、散歩も大切な楽しみのひとつだったのであろう。天気の良い日は、すぐに家に帰ってしまったら勿体ないという感じだ。|| vint comme un décor de théâtre s’appliquer au petit pavillon の主語は la vieille maison grise であるが、並行して la ville、la Place、les rues、les chemins が置かれている。les chemins は村の中心部の家々からは少し離れた場所での道を意味するのかもしれない。

Et comme dans…
|| plongés の後にコンマが打たれるはずであるが、打たれてない版もある。|| se contourner くねくねと、ゆっくりうねりながら形が変わっていくこと。|| des fleurs の後で文の構造として大きく区切られているのであるが、あたかも続いているように書かれている。|| tout cela の後にコンマが打たれるべきであるが、どの版でもコンマは打たれていないようだ。||「水中花」というもののことらしいが、私は個人的には一度も見たことがない。ガラスのコップに入れたならば横からも見れるが、磁器のボールに入れたら上からしか見えない。ジャポニスムとして浮世絵が与えた印象派への影響が睡蓮 nymphéas ナンフェアという語に見られる。|| La Vivonne 架空の地名。