『失われた時を求めて』を読んでみる 003

              

 

プルースト
失われた時を求めて 003

L’angoisse que je…
|| 誤読に注意するところだ。ここでの不安とは、母親がキスをしに部屋に来てくれなかったら寂しいという不安であり、もしスワンに伝言の紙を見られたら笑われてしまって恥ずかしいという不安ではない。L’angoisse que je venais d’éprouver, これは名詞を置いて関係代名詞で修飾しているものであり独立名詞句と呼ばれる。venir de 先ほどまで感じていたが今は消えた不安。正しくは、もしスワンが伝言の紙を見てしまったら、少年の不安が笑われてしまうであろうという意味である。注意すべきは、s’en serait bien moqué の en は de cette angoisse であり、en avait deviné の en は de la lettre であるということ。|| or, au contraire, comme je l’ai appris plus tard, この le は、中性代名詞であり、以下のことがら全体に関する代名詞として動詞の直接補語となっている。or は、三段論法 syllogisme の小前提 la mineure の頭につける接続詞だが、ここでは我々の視点をスワンのほうへ向ける役目をもっている。スワンが長い間、経験していた似たような不安に関しては幼少であった頃の語り手の知るところではなかったので、これはもっと後になってから理解 appris したことであるが。|| n’aurait pu me comprendre この条件法、推測の意。|| 以下、プルーストが l’amour (男性名詞)と l’angoisse (女性名詞)について書く。愛するがゆえの不安。(1) スワンの例によって記述される不安と (2) 少年の例によって記述されるの二通りの不安がある。(1) lui スワン。成人の異性への愛情 cette angoisse qu’il y a à = il y a cette angoisse à inf. 何々には不安がともなう。cette angoisse à sentir l’être 好きな人のことを想う際の不安。 sentir の直接目的語は l’être (人物)。dans un lieu de plaisir スワンが結婚した相手は娼婦のような女性であった。où l’on n’est pas この être は être là の意味で、自分自身(スワン)はその場所には今いないという意味。où l’on ne peut pas le rejoindre, この le は l’être 。その場所に自分自身もいたとしても、かならずしも会えるとは限らない。彼女が他の男性と一緒にいる場合もある。c’est l’amour qui la lui a fait connaître, まず、好きだという異性への愛情があり、その愛情が原因でスワンはこの種の不安というものを知るようになった。l’amour auquel elle est en quelque sorte prédestinée, この不安は、異性への愛情に必然的に伴うものである。par lequel elle sera accaparée, spécialisée この不安は漠然とした不安ではなく、好きな人物への愛情によって対象がそれだけとなっているような不安である。(2) mais comme pour moi 幼少の少年であった頃の語り手。quand elle est entrée en nous avant qu’il ait encore fait son apparition dans notre vie 異性への愛情というものがまだはっきりと意識される以前に時折感じられる不安。nous とは、子供時代から大人に成長していく人間としての我々の意。en l’attendant 異性への愛情を知る以前。sans affectation déterminée 愛の対象の人物がはっきりと決定される以前に。au service de 何々の役目において。|| 異性を対象とした愛情に必然的に伴う不安は、異性への愛情が意識される以前においては様々な別な漠然とした優しい気持ちのようなものとして漂っている。親子のやさしい気持ちや同姓の親友への友だちとしての気持ちなどは、異性の人物への愛情にともなう不安が、まだ対象なく漠然と漂っている状態である。

Et la joie avec…
|| apprentissage 通常、若い職人が仕事を覚えることであるが、ここでは人生が自分の思うようにはならないということを「経験をする」という意味。|| ma lettre serait remise 過去における近い未来の条件法。給仕係りによって伝言の紙が母親に渡されるであろうということをフランソワーズは少年に告げた。|| joie trompeuse 糠喜び。que 以下は現在時制で書かれている。|| quelque parent = quelqu’un de la famille ここでの quand 以下の文の主語は cet ami であるが、前半は cet ami を主語とする en なしのジェロンディフであり、後半は nous を修飾する現在分詞である。|| se trouver は、人がそこにいる、物がそこにある、を表すとても一般的な言い方。|| redoute 同格名詞は無冠詞でコンマや接続詞の後に続ける。redoutable という形容詞は、何かが恐ろしいものであることを表すので、redoute が恐怖という意味であるかと思うと間違いで、社交ダンスをするホールという意味。現在、フランスで La Redoute といえば安い服を売っている店の名前。パリのそこかしこに店がある。また、かなりのボリュームの持てば重いカタログが郵便受けに入っているのでその宣伝費のほうが redoutable だ。私はカタログは女性の下着のページを眺めてから妻か娘に渡す。|| première 現代では映画の封切りの上映であり、ちなみに試写会は avant-première と呼ぶが、ここでは演劇の初演のこと。|| où il va la retrouver この il はスワンではなく、その女性を知っている男 cet ami のことだ。その女性に会いたいのは nous という人称で書かれている。la femme que nous aimons と書いてあるので、我々は男性としての我々である。もしも la personne que nous aimons と書いてあったならば personne も人称代名詞は elle で受け、友人などは男性で代表させるので面倒な注意が必要となるところだ。ホテルといってもパリの大きな高級なホテルのことで、建物のなかにホールがいくつもあり、会議を行ったり、ダンスパーティーが開かれたり、HISの団体観光客の朝食会場になったりする。また、劇場も大きなものになるとなかにホールが二つ、三つあったりする。いずれにしても、入り口を入ると階段があり、階段を上ってホールに行く。cet ami はダンスパーティーや演劇の初演をみるためにホテル、あるいは劇場にやって来た。そのダンスパーティーか演劇は彼女も来ているはずのものであった。cet ami は建物の入り口を入ったところで、招待もされていず、チケットもなく、馬鹿みたいに待ち続けている nous がいるのに気がつく。hôtel を大邸宅と訳すのは文脈にそぐわない。他人の邸宅の入り口付近でいつまでも立ち続けているわけがない。

Il nous reconnaît…
|| sa parente ou amie 二つ目の名詞が最初の名詞に予備的に付け加えられているので所有形容詞の反復が避けられている。特に二つ目の名詞が ami(e, s, es) である場合は所有形容詞の反復が避けられる傾向があるようではあるが、通常は各々の名詞に所有形容詞が付く。|| Que nous l’aimons 感嘆符はないが感嘆文。|| bien intentionné 好意的な || d’un mot たったの一言によって || vient de 近い過去 || tourbillon この語は渦潮も意味するのだが、通常は風の渦を思い浮かべる。竜巻が彼女をさらっていくように思われていたのだが。|| la fête inconcevable, infernale プルーストは inconcevable という少しめずらしい形容詞を用いた。何々を何々にするという動詞があるので、形容詞 supportable, humaine, propice に対応しているといえる。inconcevable の意味は insupportable に近くなるわけだ。さきほど少年が階段を悲しい気持ちで上ってくるときに歯痛のたとえがあったが、目が覚めて意識が理性的に痛みを認識した時に耐えられるものとなる。不快なものを概念的に認識ができないと耐えられないという理屈で inconcevable と insupportable が意味的につながる。形容詞 absurde に意味が近い。|| des tourbillons ennemis, pervers et délicieux 渦巻きが複数で書かれていることが重要だ。意味のとても離れた複数の形容詞が三つも続いているので、たくさんの渦巻きである。名詞が複数なので形容詞も複数になるのは当然ではあるが、読み方によっては、沢山の敵意に満ちた沢山の渦巻き、沢山の変態性に満ちた沢山の渦巻き、沢山の快楽に満ちた沢山の渦巻きといったようなイメージを社交ダンスのイメージとともにもつことも可能だ。そこまで誇張しなくてもいいのだが、いずれにせよ、敵意のある、変態的な、快楽的な「ひとつの」渦巻きとして読むと誤りとなる。|| la faisant rire de nous 直接目的語は現在分詞の前に置かれる。この faire の主語は沢山の渦巻き。rire という動詞はフランス語ではあまりいい意味をもっていないのかもしれない。日本語でも英語でもそうかもしれない。若い女性がニコニコして明るくさわやかな感じがするときには、elle est souriante、シャレを言ったりして冗談で笑ったり笑わせたりするときは elle rigole と言う。フランス語の会話や文章の中では elle rit という言い方はしない。 Ça me fait rire は実際には歯を見せて笑うのではなく、悪いことに対してあきれる状態だ。間接目的語なしで笑うのも薄気味悪いのだが、前置詞 de とともに、嘲るという意味で使われることが多い。ちなみに、悪い冗談のあと、相手が気を悪くした場合に、今のは単なる冗談だよという意味で C’est juste pour rire. と言う。|| juger d’A par B: これは B を比較の基準として A を判断するという言い方。文中の en は les autres invités のこと。|| être un initié de… 発音はイニシエ。直訳としては、専門家。ここでは、参加者という意味。|| les cruels mystères この mystères という語はキリスト教・ユダヤ教以前の古代多神教やミトラ教などにある秘教的な物語を暗示し、わけのわからない儀式的な感じを「茶化した」言い方。親切な第三者が現われ、パーティーに来ている上流の人々に対する劣等感や敵意やキガネのような気持ちが消え、それらの人の集まりをなんでもないものとして考えることができるようになった。 cruel という語を茶化した意味、錯覚的な、落とし穴のような意地悪、イジメ的なものとして解釈しないと誤りとなる。|| ne rien avoir de adj. 何々的なところは何もない。文中の bien はそれに続く形容詞を強調する副詞であり、この言い回しの要素ではない。発音の際には rien と avoir を故意にしっかりと区切って読まないと n’avoir rien à voir と混同して聞かれる可能性がある。(ちなみに、故意に区切って読む大切な例として peut être がリエゾンなく読まれ、peut-être との混同が避けられる。)|| この《親切な人》を最初から悪意があり、彼女を連れてくる気などさらさらないものと解釈すると誤読となる。ここで語り手は、期待が糠喜びとなることが往々にしてあるのが世の中だということを知る出来事について言っているのであり、口で「はい、はい」と言いながら心で笑っているような意地悪な人がいるという文意ではない。この《親切な人》は本当に彼女を連れてこようとしているのであり、それでもダメな結果となるのが人生、よくあることだというのが趣旨である。ここで語り手は、人の世の、ことの運びの残虐さを les cruels mystères と呼んでいる。そして、この《親切な人》も期待に添えなかったことの後悔を経験するという意味で initié となるのだ。この語は、前出の apprentissage と対応する。この《親切な人》は本人もそれと知らずに悲劇を生み出しているので悪魔的なのである。

Ces heures inaccessibles…
|| Ces heures プルーストはこのようにキーワードのような名詞を文の頭に置き、それをいろいろな代名詞や同格語で受けて文を続けるのが好きなようだ。フランス語には時間と訳される単語が二つあるが、この文章では長さを表すほうの時間のために les だけではなく où や y といった空間的・場所的な代名詞が使われている。|| où elle allait goûter des plaisirs inconnus 話のこの辺はすべて現在時の話として書かれている。そこにおける半過去の allait inf. 今から少し前は何々しそうなところであったが、というような意味。たとえば、J’allais tomber は、あぶな、もうちょっとでこけるとこだった、J’ai failli tomber という意味。すなわち、sans moi が書かれていないので補って解釈される。過去の話のなかでの近い未来と解釈すると誤り。この aller inf. には、すぐ前にある inaccessibles に対応して空間的・場所的移動の印象も加わる。|| この inconnus が誰にとって inconnus なのかは文脈のみにより判断される。goûter des plaisirs に続く形容詞なので彼女にとって経験のないと解釈する。もしも goûter des plaisirs qui lui étaient inconnus あるいは、goûter des plaisirs inconnus à elle と書くとあたかも我々は知っていることのような印象を与え、また神秘性がなくなり、また、inconnus_à のリエゾンが音的に美しくない。|| par une brèche inespérée nous y pénétrons さきほどの少年の言伝により、いわば彼が大人たちの夕食のテーブルのところに行くのに等しい価値をもつということに対応する。|| un des moments dont la succession les aurait composées 過去分詞が女性複数なので、この les は ces heures。条件法過去で、その瞬間が割って入ることによって連続が完璧でなくなることが表される。反実仮想として S’il n’y avait pas ce moment, la succession des moments aurait parfaitement composé ces heures. その後は le moment が代名詞 le で文中の大切な直接補語となる。|| voici の後に接続詞 que が置かれることにより名詞ではなく、節が待たれるのであるが、ずいぶん長い間が空いてから nous nous le représentons などの四つの短い節が来ている。したがって、この voici は un des moments にではなく、これら四つの節に表されている出来事に向けられていると言える。|| presque この副詞は、かなり自由な位置に置かれる。

Et sans doute…
|| 時間が五段階になっている。(1)ひとりで入り口を入った付近で馬鹿のように機会を待っていた時。(2)彼女を知っている第三者《親切な人》が自分を発見し彼女をこちらに来させることになったとき。(3)豪華なパーティーの最中に《親切な人》により自分が外で待っていることを伝えられると彼女は迷惑がるんじゃないのかという懸念とともに待ち始めたとき。(4)そして、この Et sans doute… の文。彼が言い残していった言葉により、彼女はそれほど迷惑がるわけでもないはずだと自分を励ます。(5)そして次の文、Hélas! ところがその男がひとりで入り口に下りてきて、糠喜びであったことが分かる時。|| もしも《親切な人》が自分に、すぐ彼女を連れてきてやるよ、とだけ言って、すぐに建物の中に入っていってしまったのであれば、楽しく派手で豪華なパーティーの時間に較べて、自分が外にいることを告げられた瞬間は彼女にとって詰まらない瞬間であるかもしれないと懸念されはずであった (dût) のであるが、このときは《親切な人》が付け加えて言い残していった言葉によって自分は励まされるのだった。階上は詰まらないから彼女は喜んで降りてくるだろうと《親切な人》が言ったことにより、自分が下で待っていることを彼女が知るであろうその瞬間に較べて、その前後に過ぎていくパーティーの時間がそれほど勝っているというわけでもないのだと考えることもできるのであった。悲観的なキガネは要らないのだと自分に言いきかす。センテンスは現在時で書かれているなかで、ne devaient pas être が推量の devoir (何々に違いない)の半過去であり、「なんだか恥ずかしいが、よく考えてみれば、さっき彼がそう言っていたのだから、それほど卑下する必要はないとも言えるんじゃないのか」という気持ちである。推量の devoir 「何々のはずだ」の根拠が puisque 「なぜなら」以下の部分である。この qui は関係代名詞で先行詞なしのもので、celui qui などに等しく、ここでは ne rien avoir de ce qui ··· ということ。ce moment は、男が「階上は詰まらないのだ」という前は悲観的な瞬間であったが、その言葉によってそんなに悲観的に考える必要はなかったものとしての瞬間に変わる。dût と接続法になっているのは、「何々の目的にかなうような、何々の場合にふさわしいカテゴリーに入るような、何々となる手筈になっているような」という「・・・であるような」という意味の接続法である。たとえば、Je cherche un sac dans lequel je puisse mettre mon ordi. (ちなみに、接続法は話が過去でも現在形が使われる。接続法半過去は江戸時代の言葉であり、「せっしゃ、それがしに、たてまつってごさる」のような雰囲気なので、いかなる場合でも接続法半過去を使うとフランス人に笑われる。あるいは、笑いをこらえている。気取った小説の文章にだけ、お目にかかることがあり、通常、ありふれた動詞でも、かなりちゃんとしたフランス人でも自信を持ってその接続法半過去の活用を言うことはできない。動詞を接続法で言うべきフレーズは必ず接続法で言わなければ誤りとされるが、動詞の接続法は常に接続法現在を使う。)

Hélas ! Swann en avait fait…
|| 言い回しとして、faire l’expérience de… という使い方が既に決まっている。|| intentions この語は通常、このように定冠詞や所有形容詞とともに複数で使われる。|| この部分で、《親切な人》が決して、からかい半分の人間ではなかったことも明らかになるので、これ以前の部分で、どうせいい加減な男であろうと思いながら読んでいたのならば改めなくてはならない。

Ma mère ne vint pas…
|| 使役の助動詞 faire の使い方でも、言う、与える、などの直接目的語と関節目的語を常に伴う不定詞の場合は複雑である。言わせる faire dire は、ひとつに結合しているので、この二つの動詞の間に目的語がはさまることはない。上の文では ces mots の後に何を言ったかが更に続いているので、この語順にしてあるが、もしそれがなかったのならば Ma mère me fit dire ces mots par Françoise となったであろう。もし、万一、Ma mère me fit dire. という中途半端な文があったとしても、me が不定詞 dire の動作主となることは絶対にない。母は私に何かを言わせた、という意味には絶対にならない。dire が他動詞であるからだ。不定詞が自動詞の場合には me は不定詞の動作主となる。Ma mère me fit rire. 使役の助動詞 faire の使い方は難しいかもしれないが、続く不定詞が他動詞であるか、自動詞であるかによって大きく分かれる。|| engagé à ce que… 目下のところは何々の成り行きに係わっている、|| la recherche dont = le résultat de la recherche || que la fable de la recherche ne fût pas démentie 探しものに関するウソがバレバレで、ないがしろにされるというようなことになっていないこと。|| elle était censée m’avoir prié … 「まだ探してるのかしら。見つかったら言ってね」と母親が気に掛けているようであれば、それは自尊心の救いとなるのであるが。|| 母親はフランソワーズに何も言わなかったので、その何も言わなかった母親の状態がフランソワーズに「何も言わなかったわよ」と言わせた。|| depuis 通常は前置詞であるが、ここでは副詞。|| entendre +名詞+不定詞 : 何々が何々するのを耳にする。|| palaces これは英単語であり、バッキンガムなどの宮殿のことであるが、ここでは大きな劇場や大きなホテルを意味する。|| des concierges : des は複数の不定冠詞。大きなホテルでは réception が客の部屋や料金に関する事務的な仕事をするのに対し、concierge は客への手紙や小さな荷物を預かったりなど、金銭的でない仕事をする。 || des valets de pied de tripots ホテルやナイトクラブのようなところの入り口には、しばしば制服を着た男が立っている。自動車が着いたらドアを開けたり、雨の時は自動車と入り口の間で大きな傘をさして客が濡れないようにしたりする。|| Comment ! 感嘆詞として使われるときには、リエゾンはしない。

Et – de même qu’elle assure…
|| 気の毒に思い、なぐさめてくれる人にも放っておいてもらいたい気持ちが、若い女性の話は現在時制で、語り手の思い出は過去時制で書かれている。|| assurer n’avoir pas besoin de : 不定詞 avoir の否定形は ne pas avoir であるが n’avoir pas とする場合も頻繁に見られる。|| bec ガス灯。前記の通り、構造は石油ランプ。|| rare めったに見ることのないという意味の形容詞であるが、ここでは会話がとても少ないことを意味する。フランス人は普段は始終、喋りどおしであることが前提となっている表現。この形容詞は髪が薄くなり、本数が少ないことにも使われる。|| propos sur le temps qu’il fait échangés 時間を “le temps qui passe” というのに対し、天気は “le temps qu’il fait” という。échangés は複数の propos を修飾している。昔、英語の下手なサルコジはフランスに来たヒラリークリントンを大統領官邸で迎えた際に、あいにくの天気ですねと言うつもりで Sorry for the time. と言った。|| chasseur ホテルのボーイ。|| faire rafraîchir dans la glace la boisson d’un client シャンパン、白ワイン、ロゼ、赤でもボジョレヌーボーの瓶は栓を抜く前に氷の入った小さなバケツ seau の水につけてよく冷やしておく。あまり早くから氷につけておくと、テーブルに出すときに氷が解けていてしまう。自動詞としての rafraîchir 「冷える」を使役の faire とともに使って faire rafraîchir du champagne 何々を「冷やす」などのように言う。直接補語がビンの場合は他動詞「冷やす」だけを使って rafraîchir une bouteil de champagne となる。いつも部屋で夕食をとる客が白ワインかロゼが好きなのか、あるいは特別なパーティーの準備かもしれない。faire のあとの不定詞を他動詞と考え、第三者に par qqn.「冷やさせる」とすると誤り。台所に行って「シェフ、そろそろシャンパンを冷やす時間ですよ」と言ってくるようにコンシエルジュがボーイに命令したのではない。ボーイ自身がしかるべき場所で飲み物を「冷やす」のである。le concierge envoie un chasseur faire rafraîchir la boisson || office ここでは、皿やグラスなどの食器の戸棚がある部屋のこと。|| café フランスでは夕食でワインを飲んでいてもデザートの後でコーヒーを飲む人がとても多い。レストランではデザートの後、コーヒーと勘定書きを一緒にギャルソンに頼む場合が多い。”Monsieur, deux cafés et l’addition, s’il vous plaît.”

Mais au bout de quelques…
|| ce mot 外国人には、なかなか単数では使えない語かもしれない。日本のテレビのクイズ番組で、みのもんたがそれがファイナルアンサーか聞くものがあったようだが、フランスでは同じ番組をジャン=ピエール・フーコーという司会者 animateur がやっていて、C’est votre dernier mot? と聞いていた。|| 従属節を始める que は必ず繰り返されるので、この文の les battements… 以下は、je sentis que les battements… ではなく、新しい文節である。(ちなみに、もしも les battements が sentis の直接目的語であった場合は devenaient は不定法となる)。最初の文節 je sentis que je m’étais barré… は間に二つのジェロンディフをもち、その二つはコンマで分けられながら社会の窓のチャックのように交差して組み合わさっている。フランス人がフランス語でグズグズ考えるときにはこのような順序で言葉が頭に浮かぶということであり、これを立体的な構造として練られた文と見るのは誤り。|| si…que の形なので、 toucher の直接目的語は le moment であり、母親ではない。「触れる」というよりも、「機会を手に入れる」というような意味に近い。|| 少年は最初から諦めておとなしく寝ればよかったものを手紙を書いてフランソワーズに頼んだりしたためにかえって動揺している自分に後悔の念を持つ。|| en m’approchant près d’elle 手紙を書き、それを母親がテーブルのところで読むというイメージが少年の気持ちにとっては母親の傍らに行くことでもあった。 || les battements de mon cœur… 諦めて静まれと思えば思うほど、逆に心は乱れるのであった。白熊のことを考えるなと思えば思うほど白熊の姿が頭に浮かぶようなものだ。

Tout à coup mon anxiété…
|| de l’embrasser: これは prendre la résolution に続く語であり、ne plus essayer に続く語ではないことは文脈からのみ判断される。|| 誰々に対し腹を立てるは être fâché contre であるが、怒られた状態で仲が悪くなった場合にはこのように être fâché avec と言うのならば、この語はしばしば誤用されていると言える。Je suis fâché avec elle を、私は彼女に対し腹を立てているの意で使うと誤りとなるわけだ。|| quand elle remonterait は l’embrasser coûte que coûte に続いている節である。|| le calm résultait de mes angoisses finies 原因と結果で言うならば、かたが付いた不安が原因であり、心の静まった状態が結果である。|| non moins que という句の両側で、二つのことがらが天秤にかけられている。片方には心の静まる状態、もう片方には心の動揺がある。静まる方は、母親は遅かれ早かれ寝るために寝室に上がってくるのであり、そのときに、いかなる手段を用いてもキスをするのだと決心したことにより、必ずキスができる、悲しい気持ちで寝ることになる心配がなくなるという安心。少年は、それによって心が静まる。動揺の方は、危険が近づいていること、危険への少年らしい挑戦の気持ち、危険への怖さ。l’attente の直後のコンマは et の意味であり、それに続く二語と non moins que によって比較されていると読むと誤読となる。

J’ouvris la fenêtre…
|| m’assis au pied de mon lit この pied は四本あるベッドの足ではなく、また山のふもとや木の下の幹の傍らなどのようにベッドが置いてある傍らにじかに床の上に坐ったのでもない。この語は、ベッドの上で枕が置いてないほうを意味する。少年は夏のバカンスでコンブレーに来ており、小説の少し前のところで書いてあったように、部屋の中が暑いので鉄枠の小さな別のベッドを大きな暑苦しいベッドの横に置いて使っている。この場合、そのどちらのベッドかは定かではないが、ベッドの頭のほうはたぶん壁の側にあるので、小さなベッドの窓から外が見えるほう、寝たときに足がくるほうに腰を下ろした。|| d’en bas 庭から二階を見上げて。|| les choses アルプス、ピレネーといったような山地を除いて、フランスの田舎には山というものはない。窓から見える物には何があるのだろうか。他の家の屋根や壁、塀、納屋、草木といったところだろう。木に関しては少し後に書かれているので、ここでは別の家の屋根や壁などしかない。そのように具体的には書かず、幾何学的な物体を散在させたような風景だ。下のほうに paysage という語があるのだが、はたして広い平野を展望しているのか、近所の家々だけの視界なのかは不明である。この語は、視野が狭くても使うことができるからだ。近所の paysage かもしれない。月が照っているとき、はたしてどのように見えるであろうか。|| le clair de lune, le reflet de lune どちらも男性名詞で、月には定冠詞は付かない。前者は月の照っている地面の明るさ、場所の明るさを意味し、満月ならばこの光で au clair de lune 新聞が読めるほどかもしれない。後者は、そもそも月は太陽光線を反射しているので、月を見るときは月の表面の反射光を見ているのである。la lumière de lune とは言わずに le reflet de lune と言う。見える月の形の光っている部分からの光線だ。月からの光という意味では両者は同義語であるが、明るさと光線の違いがある。ただし、ここでは le reflet de lune という語は一度も使われておらず、reflet 反射光のみが使われている。Cf., したがって、クロード・ドビュッシー clair de lune という題名は、月そのものを見上げているのではなく、月に照らされた風景の全体を指すものとして解釈される。|| ムードを壊すようだが、私が前にも書いたように、少年がコンブレーにいる季節では、暗くなるのは10時を過ぎてからであり、7月13日と14日の花火は夜11時からと決まっている。夕食が終わった時刻ではまだ青空のはずであり、テニスの全仏オープンもライトなしで試合ができるのだが、その矛盾はしつこく追求はしない。しないと言いいながら繰り返ししている。|| le clair de lune, doublant et reculant chaque chose par l’extension devant elle de son reflet, plus dense et concret qu’elle-même まず、ひとつひとつの家や納屋を見る。女性名詞はこれらの物体。reflet という語に対応する日本語はないように思われる。光が当たっている部分の光っている表面をその表面そのものから分離させて表現する語である。たとえば湖に富士山が逆さまに写っていれば、水の表面に reflet が浮かんでいるわけだ。上の文の reflet は家々の壁が明るく照らされて、表面から浮かび上がっている光を意味する。extension は月からの光線が家々まで延びて壁や屋根に届いていること。月の光線は家々の壁や屋根の表面に届くと、その表面を覆うように、「光っている部分という面」を新しく作る。明るい虚像は二重に浮かび上がり、不自然に新しい絵の具を乗せたように、実体よりも濃く、はっきりと見える。|| le clair de lune avait à la fois aminci et agrandi le paysage comme un plan replié jusque-là, qu’on développe 次に風景全体を見る。地図は大きな一枚の紙を四つ折り、八つ折りにするのではなく、屏風や扇子のように縦長に折ってたたんである。地図の話をするときに山の線と谷の線という折り紙の用語は紛らわしいのだが、山・谷・山・谷・山・谷と縦の線で折りたたむ。したがってたたんである地図を見るときは、開くというよりも左右に引っ張って平らに延ばす感じだ。風景の突き出した膨らみがなくなり、同時に広がるのだ。風景の上半分が夜空、下半分は立体的な膨らみを完全に失い、平らに押し広げられた感じだ。

Ce qui avait besoin…
|| 英語の辞書には可算語 C と不可算語 U の区別が必ず記されているが、フランス語の辞書にはない。複数形にならないことが多く、しばしば部分冠詞がつくような名詞の、少ない量の表し方として「quelque +単数」がある。この文ではマロニエは単数で書かれているが、マロニエの木の数は複数であったかもしれない。マロニエの葉だけが動いていたと、単数が美しく使われる。パリの街路のマロニエはきれいに背の高さをそろえて切ってあるが、田舎や郊外のマロニエは自由に十数メートルも伸びていることがある。大きなマロニエの木は田舎の象徴のひとつとも言える。マロニエの葉は日本でのヤツデの葉にように大きい。動くもののない風景のなかでどうしても動くマロニエの大きな葉だけがガサガサと動いている。|| total マロニエのたくさんの葉がどれもこれもそれぞれ動いている様子。

Exposés sur ce silence…
|| 前にも述べたとおり、フランス人がフランス語で取りとめもなく考えている際には、関係代名詞や接続詞などで短文が続くことになり、結果として文が長くなるように見えるかもしれない。これは短文が自然にだらだらとつながっているだけであり、大きな立体的な文を構築しているといったような錯覚をしてはならない。日本語訳をする場合には、ばらばらの短文を単語を重複させながら並べるだけでよいであろう。|| Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire という名前の楽団が 1828 年から 1967 年まであった。Conservatoire は通りの名前でもあり、当時は 2 bis rue du Conservatoire で日曜日の午後にコンサートをやっていた。この場所は、現在は Conservatoire national supérieur d’art dramatique になっている。rue de Trévise はすぐ近くにある。一般に、通りの名前としての “rue de ···” の前には定冠詞を付けない場合も多い。|| les bruits les plus éloignés 文の主語。その前で、n’en absorbait rien の代名詞 en が表している。|| venir de jardins situés à l’autre bout de la ville : これは、des jardins とすべきだ。私の想像では、恐らくプルーストは最初に venir de quelques jardins と書いたが、あとで上の方を書き直す際に quelque feuillage でその語を使ったので、こちらを消したのだが、その代わりの語を入れなかったからではないだろうか。|| 本当は遠くからの音ではあるのだが、あまりに細かいところまでちゃんと聞こえるので、あたかもそれらの音が故意に小さく出されていることによってあたかも遠くの音のように聞こえるがごとくであった。fini は netteté の意味であるが、括弧に入れてあるのは、あたかも技巧的に職人芸として音が小さく出されいているように思えるからだ。|| motifs メロディーと訳してしまってよい。|| quoiqu’on n’en perde pas une note, 楽器の演奏の際、とても小さな音で演奏されていても、客席ではすべてちゃんと聞こえているのであるが。|| on croit les entendre loin de la salle du concert 会場の外のどこか遠くの方からの音として聞こえる。|| tendaient l’oreille 耳は二つだが、聴覚を意味する場合は単数。|| comme s’ils avaient écouté 反実仮想なので、過去の話の時には大過去が続く。qui n’aurait pas encore tourné これは条件法の構文とは関係なく、また推量とも関係ない。トレビーズ通りを曲がるのにはまだまだ時間がだいぶある状態を意味し、過去前未来と呼ばれる。

2 rue du Conservatoire 75009 Paris

Je savais que le cas…
|| de tous これはドゥトゥースと読み、次の celui qui にはつながっていない。de tous les cas を意味し、比較最上級 les conséquences les plus graves の比較の補語。|| 文の後半として追加されている部分では plus graves が比較級として使われ、この比較の第2項は qu’un étranger n’aurait pu le supposer || bien plus graves qu’un étranger n’aurait pu le supposer, このフレーズは大切な文法的要素を三つ含んでいる。(1)中性代名詞 le は、しばしば形容詞の代名詞となる。とくに比較の文の中で形容詞を名詞化したものの代名詞となる。すなわち、ここでは le は文脈的な内容全体を意味するのではなく、gravité として名詞化される形容詞 grave を意味する。この形容詞のための中性代名詞 le の使い方はフランス語の文法としてはとても大切な規則である。(2)肯定文が比較の形であり、比較の第二項が節になっているときには動詞の前に虚辞の ne が置かれる。(3)条件法過去が使われているのは過去における反実仮想であり、s’il y avait eu un étranger qui supposait la gravité, il n’aurait pu la supposer という意味。|| (la gravité) de celles、この celle は動詞 produire の直接目的補語 les conséquences のこと。|| de la part de mes parents 子供のしつけをする親の立場においてという意味。

Mais dans l’éducation…
|| on ひとつのセンテンスのなかで不定代名詞 on が三回使われているが、前のふたつは語り手の両親を一般家庭とは対照的に示しているのに対し、最後は子供を意味している。異なる二つ以上の意味で、ひとつのセンテンスのなかで on が使われているのであるが、何かの規則のようなことがらの内容の説明において、主語にこのような不定代名詞 on が使われていることがある。禁止の意味が強く感じられるべき文にする場合に効果的である。|| l’ordre des fautes 数々の過ちの種類を一番悪いものから並べた場合の順序。英語でもそうであるが、順序と命令が同じ語であるのは不都合がある。 || y avoir の特殊な用法のひとつで、関係代名詞 contre lesquelles の先行詞は en である。すなわち、il n’y avait pas d’autres fautes contre lesquelles の意。|| j’eusse 主節が否定文であるため、関係節の動詞は接続法になる。|| dont が使われているので leur ではなく les と書かれるべきであるように思われるのだが。長い関係代名詞に直すならば、les caractère commun desquelles je comprends maintenant est qu’on…|| 当時、数々のフロイトの著作が出版され始め、精神における無意識の領域の存在が人々の間で語られてはいたが、精神分析学の目的が神経症の治療であることは一般には理解されていない。精神分析学の用語がしばしば健康な状態における心理学のなかで誤って用いられることは現代でも少しも変わっていない。私が精神分析学について書き出したらとてもここには収まりきらないので、プルーストが彼なりに理解したであろう誤った内容のなかで解釈することにする。ただ、nerveux という語は神経症の身体的な症状がある場合にのみに使われなくてはならない語であること、impulsion は精神分析学的な意味はなく、pulsion という語がリビドーの説明において用いられること、1923年にフロイトの精神分析学用語に大きな変化があったことを書いておく。ここでは、プルーストは子供の我儘な願望が理性によって抑制できない状態としてこの語を使っているようだ。現在、impulsion nerveuse という語は正しくはシナプス内の電流を意味するので、ここでの文脈とはまったく無関係である。

Mais alors on ne prononçait…
|| ここでの les, lesquelles, celle などの女性形の代名詞は、みな faute のこと。|| Mais alors しかし当時は、まだ。この不定代名詞 on は世間一般の人々のこと。前出の mot という名詞は petit mot で少年の書いた母親への伝言の手紙のことであったが、ここでの mot は直前の impulsion を指す。語り手が幼少であった頃には、精神分析用語「衝動」は一般には広まっていなかった。もしも当時、この語が世間に広まっており、少年自身もそれを理解していたのならば、この衝動を不可抗力として容赦されるべきものと自分に言い聞かせることもできたのであるが。prononçait は、何々について話題にして話すというような意味。déclarait 分析的に明らかにする。|| me faire croire que 語り手自身が思うという意味であり、語り手のことを両親に分からせるという意味ではない。|| 何々を見ることによってそれと判別するという意味での reconnaître…à… という言い方であるから、à la rigueur は「最悪の場合には」という副詞ではなく、厳しさによってそれと判別できるという意味。comme は et aussi の意。誤った行動に先立つ不安、そしてその後の罰の厳しさによって、どのような種類の過失を両親が最悪のものと考えているかを経験的に知っていた。 || celle que je venais de commettre 母親へ伝言の手紙をフランソワーズに渡してもらったこと。 || famille 種類 || un autre の複数を d’autres と言う。(ちなみに quelqu’un d’autre の複数は quelques autres である。) || grave は単数なので、比較において、母親に伝言を渡してもらうことのほうがとても悪いことであったという意味。

Quand j’irais me…
|| et qu’elle verrait この que は quand の反復を避けたもの。過去の話のなかでの未来には条件法を使い、これを過去未来と呼ぶのだが、ちなみに、もしも条件文が si で始まっていた場合には、現在ならば si の文には未来を使えないという理由で、半過去となる。si j’allais…, et elle voyait… || collège 現代ではフランスの中学がコレージュ、高校がリセであるが、当時は今とは違っていた。プルーストは、まず 11 歳からリセに行っている。プルーストの時代の子供の collège や pension について調べたい人は自分でインターネットで調べてください。|| dussé-je… : devoir の接続法半過去の倒置した形だ。たとえ何々しようともという現在の節を作る。後に続く主節には未来が使われる。条件法 j’aimerais は過去未来であり、反実の条件法よりも気持ちが強い。もしも反実の条件法であったならば、j’aurais aimer となる。”dussé-je” は “ne fût-ce que” や “ne serais-ce que” などと同様に、動詞の活用や法ではなく、固定された句として憶える。

Ce que je voulais…
|| maintenant と c’était maman の間にはコンマは打たれていない。|| c’était lui dire bonsoir 不定詞が名詞的に用いられる場合、主語に中性指示代名詞を使った c’est のときには de は不定の前に付かない。ただし不定詞が être の場合は c’est d’être… となる。主語が名詞のときには不定詞の前には de が付く。|| dire bonsoir, j’étais allé trop loin… このコンマは等位の接続詞 et の代用。|| j’étais allé trop loin… 少年の衝動の中において、後戻りができない状態。|| reprendre de la glace au café et à la pistache コーヒー味に細かく砕いたピスタッシュが混ざっているアイスクリームをおかわりする。

Je l’ai trouvée bien…
|| quelconque たいしたことはなかった。それほど美味しいというほどでもなかった。母親の謙虚なものの言い方であり、いや、とても美味しかったよという返事が誰からもないのは、母を好きな少年にとっては不愉快であった。|| 通常、”essayer un autre parfum”と言うのであるが、essayer de faire の直接目的語がアイスクリームであるため、”essayer d’un autre parfum” と副詞句となっている。いずれにせよ、essayer は常に他動詞である。|| Je ne peux pas dire comme この comme は副詞であり、間接感嘆文が続く。|| un vieux 形容詞の名詞的用法。

Et mes parents du reste…
|| du reste 私の両親は人が常に若いときのままでいつづけるとは思ってはいなかった。「とは言うものの、それでも」スワンの老けかたには異常なものがあるとは想い始めていた。|| vieillesse méritée des célibataires, 独身者に「よくありがちな」老けかたと書いてから、その説明を付け加える。méritée de tous ceux pour qui il semble que… その人たちにとって何々が何々であるような。これこれのような人たちによくある老けかた。|| le grand jour qui n’a pas de lendemain soit plus long que pour les autres : この les autres は他の人たち、すなわち多くの既婚者たちを意味する。人生にまたとないような楽しい日が一日あったとしても、だらだらとしていて時間がなかなか経たないような感じであろうような。 || parce que pour eux il est vide, : eux は独身者たち。たとえそのような日でも本質的に無意味である。il = le grand jour qui n’a pas de lendemain || et que (= parce que) les moments s’y additionnent depuis le matin sans se diviser ensuite entre des enfants.: 足し算と割り算。たとえば、楽しいハイキングをするといっても、一人でハイキングをしても楽しくも何ともない。sans être partagés avec des enfants || スワンが、そのような生活をしている独身者たちにありがちな異常な老けかたをしているのはどういうわけであろうか。

« Je crois qu’il a…
|| 語り手の母親の台詞。スワンの妻と娘は、シャルリュスという男の家に住んでいる。|| faire remarquer は間接目的語を伴わないことが多い。|| aussi moins souvent : 後に que が続いて、劣等比較の文を作る。同等比較級 aussi souvent que に moins が挟まったもの。ここでは比較の第二項 que son père が省略されている。

« Mais naturellement il …
|| se conformer à は、はい左様でございますかと意見に従うこと。話を鵜呑みにすること。s’empresser de は、努めて何々するという意味。|| au moins は ses sentiments d’amour の間に挟まって、少なくとも恋愛感情に関してはという意味になる。ne laisse aucun doute sur 何々に関して明らかなものにする。|| vous voyez, そら見たことか、ワシの言った通りじゃろう。

« Comment, nous ne l’avons…
|| tourner 言い回しに凝った言い方をする || délicatement 慎重に || remercier 不定詞の名詞的用法の際は、c’est de inf… のときの肯定文にのみ「de 不定詞」の形になることが可能である。20 行ほど下のほうにある Si maman m’avait dit un mot, ç’aurait été admettre que… にも de が入っていない。|| du diable si… 以下に続く節の強い否定。

Mon père et ma mère…
|| かくのごとき会話は少年が盗聴マイクをどこかに仕掛けておかない限り聞くことはないのだが、プルーストの読者はこれをフィクションとしての私小説の画期的な構造として高く評価することになっているようだ。|| rester seul 他の人たちから少し離れた所にいる。|| l’office すでに前出の語であるが、食器などの棚がある部屋。|| la porte treillagée du vestibule qui donnait sur l’escalier. この関係代名詞 qui の先行詞は文脈より vestibule である。母親は庭から網のようになっている戸を開けて玄関に入る。その玄関の奥か横が階段になっている。

Bientôt, je l’entendis…
|| je l’entendis qui montait : 人称代名詞 la が関係代名詞の先行詞となっている。|| avoir de la peine à… : これに似た言い回しに avoir du mal à… がある。|| mais du moins il ne battait plus d’anxiété, : du moins という語は、すでに mais の意味を含んでいるとも言える。否定的なことを述べたあとで、しかしながら、少なくとも何々であったと肯定的な内容を述べる言い方である。試合には負けたが、少なくとも全力を尽くすことはできたなど。|| (pas) d’anxiété, mais d’épouvante : 日本語に訳す場合、épouvante を「恐怖」などと機械的に訳すと不安ではなく恐怖であったとなり、それに続く喜びという語と並ぶと意味が滅茶苦茶になってしまう。「スリル」と訳したらいいかもしれない。 || dans la cage de l’escalier la lumière projetée par la bougie : 階段は上の階に一直線に上るのではなく、真ん中の踊り場で 180°折れる。まわりは壁になっているのだが、少年が上で待ち伏せしていると、踊り場の壁が下からのロウソクの光で照らされ始めた瞬間だ。|| je m’élançai : 間接目的語 sur elle を省略することにより、階段を踏みはずしはしないかと思われるような無我夢中の状態が表現される。|| avec étonnement : avec のあとの名詞 étonnement には冠詞は付かない。|| ちなみに、動詞 étonner の過去分詞 étonné が形容詞としてと使われ、それが副詞になるときは女性形の étonnée に ment が付く代わりに a が入り m が二つになって étonnamment となる。|| pour bien moins que cela : そのようなつまらないことが一回あっただけで。|| on ne m’adressait plus la parole pendant plusieurs jours : 主語が文脈のなかで明確であっても、ne pas や ne plus とともに、「もう何々はしないのさ」ということを多少皮肉を含んだ形で言うときに、主語に不定代名詞 on のが用いられることが会話などでしばしばある。何々しないということに関して、あたかも一般化された理由が存在しているかのような雰囲気をもつ。

Si maman m’avait dit…
|| 母親が喋ってくれない場合を前提とした強い危惧を伴った推量が、もし、しゃべってくれたのならばという反実の仮想で書かれる。条件法過去の ç’aurait été admettre のあと、m’eût paru plus, eussent été puérils, c’eût été le calme, などの接続法大過去は条件法過去第二形である。|| s’engager 兵隊に行くこと。|| alors que = tandis que

Mais elle entendit…
|| il me ferait 過去未来の条件法。現在での s’il m’a vu, il me fera la scène を過去にすると s’il m’avait vu, il me ferait la scène となる。|| Sauve-toi 発音はソフトワ。ちなみに、これは sauf toi のようにも聞こえる。|| qu’au moins ton père ne t’ait vu ainsi: ne が pas を伴っていない。pour que +接続法の場合ならば pas が省略させることはない。したがって虚辞の ne として解釈すると、この que は、たとえば avant que などの代用であり、接続法が続く。avant que に続く文は、ここでのように接続法過去となることが多い。au moins は ainsi attendant comme un fou に掛かっていて、父親に姿を見られるのは、トイレですとか何とか言えるが、少なくとも馬鹿みたいにいかにも母親を待っていたようには見えないようにという意味。
|| sur le mur 階段の踊り場の壁 || allait の主語は pour éviter que… の節が入る前の maman || Sans le vouloir 中性代名詞 le は、次に続く文の全体をさす。「それを望まずに」と訳すと意味不明であり、反射的に、即座にという意味で、「思わず」と訳される。|| Je suis perdu! ここでの être perdu は「万事休す」「負けた」という意味。少年にとって、これは一か八かで挑んだ戦いであった。迷ったと解釈すると誤読。

Il n’en fut pas…
|| Il n’en fut pas ainsi. フランス語の常套的な言い回しに Il en est ainsi 「それは、そんな風だ」がある。この主語は非人称。前の文にある、自分が勝負に負けたということに対して、そう思ったが実はそうではなかったという意味。父親は子供のしつけに関して、かなり気まぐれであった。子供に権利が与えられていたことがらに対し、何となくだめだと厳しく言ったり、逆にだめと決められていたようなことを、気まぐれで許可したりする。 ここで、まずは、厳しい場合について、なんでもダメダメと言う場合について述べられる。|| permissions consenties dans les pactes plus larges たとえば、子供用のマンガならば何を見てもいいという規則があるのならば、ひとつの特定のマンガを見るということはその規則の集合に含まれるので許可されるべきではあるのだが・・・。|| ギユメに入れられた principes : たくさんの規則ができる場合も、それらに共通する根本的な考え方に沿っている。ラテン語では中性の principium (したがって複数は principia) であり、法律の根本的な精神を表す。|| Droit des gens ローマ法 Ius Romanum で、市民法 Ius Civile に対して、万民法 Ius Gentium があった。敵の人間や外国人にも適応される法である。ここでは、家のなかでは大人に対して階級の低い身分である子供にも適応される基本的人権というような意味で茶化して使われている。|| 許されていることの集合に入ることならば、許されるべきであるのだが、父親は規則の原則的な考え方などには細々と気を払わうことはなかった。

Pour une raison…
|| telle promenade : tel は、あたかも特別なというような意味がありそうに見えるが、それは逆で、何でもない、普通のという意味である。|| consacré ここでは habituel と同義である。|| promenade si adj. … qu’on ne pouvait m’en priver sans parjure, この que は si…que の que であり、promenade を先行詞とした関係代名詞ではない。promenade は en のほうであり、en priver が priver de la promenade のことである。散歩を取り上げるのは約束を破ることになるという意味。|| principes (dans le sens de ma grand’mère) お祖母さんは、他の人への尊敬や思いやり、礼儀などを大切にしていた。それは、ある意味では遠慮とも言えるものであった。しつけとして何かを禁止する場合も、「残念ながら禁止せねばならない、なぜならば・・・」という理由、大儀とともに禁止していた。|| à proprement parler : ここでは、logiquement の意。規則というものの根本的精神から持ち合わせていないので、そもそも、当然のことながら規則に厳しいということもあり得ない。

Il me regarda…
|| justement つい今しがた || moi je 通常、この人称代名詞強勢形のあとにはコンマを打つ。|| mon ami 自分の夫への呼びかけとしては一般的な語。所有形容詞は名詞を定冠詞のように限定し、唯一のという意味になるので、日本語での単なる「私の」とは限定の強さが異なる。|| ne change rien à la chose, 直接補語は rien であり、そのあとに à 定冠詞が続く。chose は物事の道理を一般的に表す。動詞 change の主語は que による節の全体 “que j’aie envie ou non de dormir” || habituer は常に他動詞「慣れさせる(qqn à)」であり、「慣れる」という自動詞はなく、その場合は再帰動詞として使われる。ちなみに、「・・・には慣れています」je me suis habitué à ce que+接続法

« Mais il ne s’agit pas…
|| tu seras bien avancée! 反語、「大成功というわけだ。」しつけのつもりで厳しくしていても、子供が本当に元気がなくなってしまったのなら、それは、むしろ逆効果となる。子供を病気にするぐらいなら、しつけなどしないほうがましだという意味を反語的に言ったもの。|| pas si nerveux que vous, : vous は複数で母親と子供の意。

On ne pouvait pas remercier…

On ne pouvait pas remercier mon père ; on l’eût agacé par ce qu’il appelait des sensibleries. Je restai sans oser faire un mouvement ; il était encore devant nous, grand, dans sa robe de nuit blanche sous le cachemire de l’Inde violet et rose qu’il nouait autour de sa tête depuis qu’il avait des névralgies, avec le geste d’Abraham dans la gravure d’après Benozzo Gozzoli que m’avait donnée M. Swann, disant à Sarah qu’elle a à se départir du côté d’Isaac.

|| On ne pouvait pas remercier mon père うっかりすると On ne pouvait pas assez remercier と読んでしまいそうだ。また、感謝の気持ちがなかったと読むのも誤読となる。on は自分 je のことであるが、remercier は、ここでは口で「ありがとう」と言葉にして礼を述べることを意味する。|| on l’eût agacé 感情的な要素を伴った「推測」としての接続法。直接法で書いたら、いらいらが父親の顔に表れていたことになってしまう。|| des sensibleries 不定冠詞の付いた複数で書かれ、ひとつの範疇 la sensiblerie に入る数々の実例を指す。|| sans oser faire un mouvement : sans…un ひとつもせずに || cachemire ここでは、カシミアのマフラー || la gravure d’après Benozzo Gozzoli 昔の印刷技術では絵画の複製などの出版は版画のような印刷方法によって行われていたようだ。

Il y a bien des…
|| bien des choses 多くのもの || que je croyais devoir durer toujours, この que は choses を先行詞とする関係代名詞であり、aussi bien…que といった比較のための接続詞ではない。 || de nouvelles, les anciennes 形容詞の名詞的な用法であり、前者は不定冠詞の付いた des choses nouvelles すなわち de nouvelles choses のこと、後者は定冠詞の付いた les choses anciennes のことだ。名詞が繰り返されることを避けて形容詞のみを使った場合は、冠詞は名詞が付いたときのものをそのまま使う。ものには新しいものとそうでないものがあり、新しいものが不定冠詞で書かれたときに古いものは限定され、定冠詞が付く。|| Il y a bien longtemps aussi que mon père a cessé de pouvoir dire à maman : «Va avec le petit.» 子供が七、八歳ぐらいが限度であろう。その限度は父親が判断したものだ。

La possibilité…
|| La possibilité de telles heures ne renaîtra jamais pour moi. 前の文に pouvoir という語があり、ここでまた possibilité という語が、しかも主語として使われている。小さな子供は一年ずつ大きくなっていく。renaîtra という未来形は、物語的な単純未来の形であり、「のちに、・・・ということになるのであった」という意味。母親に甘える気持ちからドラマチックな行動をしてしまい、泣いたりするようなことも、小さな子供の時代から一年たち二年たつうちには不可能になっていく。pour moi と書いてあるが、語り手の子供時代の場合にはという意味だ。物語的単純未来を使って、「この時が最後だった」という意味。「このようなことは、これからはもうないであろう」のように現在時での普通の未来で訳すと誤訳となり、エディプスコンプレックスの未解決といったような誤った解釈がなされがちである。小説を書いているときの大人のプルーストの気持ちではないからである。|| heures 「その時に流れていた時間と私の気持ち」であり、この heures を偶然的に呼び起こした場合の感動がこの小説の主題(モチーフ)となっている。|| さて、その次に今度は現在時として書かれているのが、小さな子供の時代から一年たち二年たつうち一旦忘れられてしまっていたのだが、今、大人の自分が耳を澄ませるとあの時のシクシク泣いていた声が聞こえ、小さい頃の自分の気持ちが鮮明に回想され、認識されるようになってきたということだ。

En réalité ils…
|| ils n’ont jamais cessé この ils は les sanglots のこと。|| cessé この語は、すぐ前で使われている。|| la vie se tait maintenant davantage autour de moi もちろん物理的な音の静けさを言っているのではないのだが、同時に物理的な音の静けさという意味も若干含んでいるようにも思われる。プルーストが部屋をコルク張りにしたのは 1910年であるから、この部分の執筆はコルク張りの部屋でなされていたのかもしれない。

Maman passa cette…
|| au moment où : lorsque と同義であるが、ここでのように「しかしながら」というような意味とともに使われる場合は bien que や tandis que のように反対の方向への物事の成り行きが表される。|| plus que je n’eusse : プリュースクと発音されることが多い。肯定文の主節に続く副詞句の場合は虚辞の ne が伴う。この副詞節は不平等比較節と呼ばれる。そして、語り手の驚きが接続法で表される。|| 裁判の判決の際のような文章が続く。|| à l’heure où : 時刻ではなく、上の au moment où と同義。|| elle = récompense || arbitraire : 裁判官の独断的な判断からの。|| immérité : 形容詞。|| 次の qui の先行詞は quelque chose d’arbitraire et d’immérité。代名詞 la や二回出てくる elle は la conduite de mon père à mon égard のことであり、この名詞 conduite は子供のしつけに関する姿勢を意味する。|| tenait à ce que : ここでは、「常に何々であることに関して矛盾がないように」という意味。この語は文脈により数々の意味をもちうる。|| plan prémédité は通常、被告の「計画的な犯行」を意味するのだが、ここでは意味が違う。父親の語り手に対するしつけの姿勢が、「しっかりと出来上がった指導方針」に基づくものではなく、むしろその場その場の都合のよさのよるものであったということ。父親の判断には一貫性がないのであるが、言い方を変えるならば、一貫性がないということにおいて一貫性がある。

Peut-être même…
|| même que : 語り手に対するしつけの姿勢と「ともに」、そこに見られるべき厳しさも少々特殊なものであった。|| sa nature, : いかにもプルーストらしい文の組み立て方で解釈するならば、この所有形容詞 sa は la nature de sa sévérité ということで、どのような厳しさであったかのことであり、「父親の性格」と訳すと誤訳となる。ところが、 la leur との比較において解釈すると残念ながら la nature de mon père とせざるを得ない。そこで、この nature という名詞を和訳するならば、機械的に性格とするよりも、性分や気質などが適切かと思われる。|| plus différente en certains points de la mienne que n’était la leur / 二つの言い方が組み合わさっている / différente de…、何々とは異なる / plus…que、比較 || que ne l’était la leur ではないのかと思う人が多いはずだが、比較の第二項では中性代名詞 le は省略されることがめずらしくない。父親の性格と語り手の性格の違いは、母親やお祖母さんの性格と語り手の性格の違いよりも大きかった。プルーストは本当は多分 que ne l’étaient celles de ma mère et de ma grand’mère のように二人を分けて書きたかったはずだが、それではグチャグチャの悪文となる。

Pour mon père…
|| je ne sais pas s’il aurait eu ce courage 間接疑問節。父親は母親やお祖母さんのように子供に甘えさせないためにあえて冷たくなれる強さを持っていなかったという文意の中で、もし仮に冷たくしていられる強さがあったとしてもという反実仮想において条件法過去が使われる。|| 父親は、いい加減なので、子供が悲しそうにしてるのに気が付くと、もしも母親やお祖母さんのような強さをもっていたとしても、すぐに甘やかせてしまった。

Maman resta…
|| d’aucun remords すでに s が付いているが単数名詞。余計な後悔の気持ちなどをもつことによって。ne gâter ces heures のあいだに割り込んで書かれている。|| qui me tenait la main : この関係代名詞の先行詞は文脈より母親である。|| Qu’a donc…? キャドン。最後の c は発音しない。ちなみに、Qui a donc…? の c は発音することもある。後に母音が続くか、子音が続くかは影響しない。|| このセンテンスは長すぎて、始めの comme pour ne pas gâter… が maman lui répondit の説明になっていることが読み手には離れすぎていて伝わり難い。つまり、Maman ne voulait pas gater… であるのだが、読者は Je ne voulais pas gater… であるかのように読んでしまうのではないだろうか。

Ainsi, pour la…
|| officiellement : 公式に判例となった, || n’avoir plus à… 何々する必要がない || mêler de qch à qqch 何々を何々に混ぜるという言い方にこのような形もある。|| j’avais le soulagement de n’avoir plus à mêler de scrupules à l’amertume de mes larmes 誤読に注意。de scrupules は副詞句であり、気づかって、びくびくして、などの意。「涙のにがさ」に混ぜなくてもよいのは「安堵」である。すなわち、書き換えれば、j’avais le soulagement, qui était pas obligé d’être scrupuleusement mêlé à l’amertume de mes larmes ということ。mêler の直接目的語を無冠詞の scrupules と解釈するのは誤り。

Je n’étais pas…
|| pas médiocrement fier とてね誇らしかったという意味になる。 || non plus : 否定文における「何々もまた」である。前の文では語り手が自分自身に対して誇らしい思い、そしてこのセンテンスでは、さらにフランソワーズに対してもまた誇らしかった。|| grande personne 子供ではなく、大人としてという意味。 || m’avait fait dédaigneusement répondre の主語は母親。母親は私に寝るよう(フランソワーズに)言わせた。m’élevait および m’avait fait atteindre の主語は関係代名詞 qui、その qui の先行詞は “ce retour des choses humaines”

J’aurais dû …
|| J’aurais dû être heureux 過去の反実仮想としての条件法過去。たとえば、si ç’avait été possible などを補って理解する。devoir が、何々すべきであるか、何々に違いないであるかは文脈による。ここでは、すべきのほうである。もしできるものなら、私は喜ぶべきであったのに。 || je ne l’étais pas. : 形容詞 heureux に代わる中性代名詞 le である。|| Il me semblait que 直接法が続く。畳み込むような書き方で、二つのセンテンスが連続してこの語に従っている。|| conçu pour 何々のために作られた、何々の目的のために考えられたなどの表現に頻繁に用いられる便利な語である。|| elle, si courageuse, s’avouait vaincue. この si は副詞「とても」で si courageuse qu’elle fût 「強い心を持っていたのであるのにもかかわらず」の意。単に、「とても強い心を持っていた母親」という解釈だけでは不充分。条件の接続詞 si による節 si elle était courageuse の省略された形ではない。形容詞 courageuse は、ここでは子供のしつけを優先させるだけの母親としての「厳しさ」をもっていた、「心を鬼にすることができる」という意味。|| remporter une victoire このように名詞には、それに伴なって用いられる適切な動詞との正しい組み合わせというものがある。これを間違えると、いかにも外国人らしいミスとして目立つことがある。逆に、しゃべるときの発音が悪かったり、テンポが遅かったりしても語の選択が正しい場合は、ある意味で充分に美しい外国語と言える。|| l’âge まるで母親自身が病気になったり、悲しいことがあったり、加齢などによって気持ちが弱くなることがあるように、少年は彼女の気持ちを弱まらせることに成功してしまったのだった。|| cette soirée commençait une ère この動詞 commencer は他動詞で、この晩の出来事が長い年月の始めとなったという意味になる。それ以後は、母親による語り手のための厳しいしつけが汚点をひとつ残したもの、「ところがだらしのない部分もあったもの」として続くことなるのだった。ちなみに、小説の冒頭の二ページ目あたりに、夢の中で意地悪なお祖父さんに髪の毛を切られるのではないだろうかという不安の話のところに date pour moi d’une ère nouvelle という表現があった。

Si j’avais osé…
|| on dirait この言い方は通常、何々のように見えるという意味であるが、ここでは今で言うところのというような普通の dire の意味で使われている。条件法は主観的な可能性の判断を表す。|| 母親の頭の中には en elle 二つの考えがあった。ひとつはお祖母さん譲りの「子供を甘えされてはいけない」という厳格な考え。もうひとつは「面倒臭いから、今夜はこれでよしとしよう」という割り切った考え。この時、後者のほうが優勢であり、一応、そう決めていたのだ。少年は直感的にそのことを察していたので「ここにいないでもいいよ」などと余計なことは言わなかった。|| aimer mieux これは好きという意味ではなく、「選択」を表す。|| m’en laisser du moins goûter le plaisir この en は du mal のことである。

Certes, le beau…
|| この justement il は読むときにリエゾンしない。 || cela n’aurait pas dû être, 少年であった語り手には、まだ若くきれいな母親としては見えていなかったであろうという推測。être のあとに comme cela が省略されている。コンマは et の代わりとなる。|| eût été moins triste 反実であり、もし可能であったなら、母親はそのようにやさしく振舞うべきではなかったのだということでの表現。 母親はこの時、怒らなかったのであるから、この比較の第一項は反実であり、ここに用いられている接続法過去は条件法過去第二形である。もしも、母親が怒ったのであったならばそのほうが悲しみは弱いものであったであろう。このような初めて見るやさしさのほうが悲しいものであった。 || d’une main impie et secrète : 指と書かないところが、子供の手の小ささを表す。指とすると大人の指のようになってしまう。|| y = dans son âme 母親のやさしさの中に「精神的な」最初の皺、最初の白髪を見たのであった。実際に一筋の皺や一本の白髪を発見したのではない。|| プルーストの文章はゆっくりと丁寧に読まないと、あるいは丁寧に音読しないと重要な語を飛ばしてしまい、誤読しそうになる。

Cette pensée redoubla…
|| attendrissement、動詞 attendrir の名詞化であり、ある状態から別の状態に変わる場合の変わっていく様子を表した語である。たとえば、「やさしさ」という名詞ではなく、「やさしくしてしまうようになること」という意味であり、むしろ動詞で「ほろりとする」ことである。ここでの語の解釈は「愛情を見せてしまう」ということ。通常、フランスの母親は子供にベタベタにくっついているが、jamais ne se laissait aller à aucun attendrissement avec moi とは、かなり珍しい接し方をする母親だったようだ。|| je vis maman être gagnée par… : voir qqn inf で、誰々が何々するのを見る。|| le mien = un attendrissement de ma part || je m’en étais aperçu, : s’apercevoir de… 何々気がつく || pour peu que 接続法 : この言い方はフランス語として頻度が高いもののはずではあるのだが、実際は会話などではほとんど使われることがないような印象をもつ。上の文も、たとえば日常会話では単純に si ça continue と言われるであろう。その意味で、母親と小さな子供の会話のなかで pour peu que が使われていること、すぐあとに puisque が使われていることに、この母親の少々気取った口調がうかがわれる。その点に関して日本語訳では気をつける必要があるのかもしれない。フランスの金持ちの女性はこのような雰囲気を好むところがあるような気がする。

Mais je n’en avais…
|| Est-ce que tu aurais…, si je sortais…, etc. : si 半過去と条件法による婉曲的な疑問文 || ta grand’mère doit te donner この devoir は、「予定なっている」という意味。マルセル・プルーストの誕生日は7月10日なので、夏のバカンス中という筋書きと一致する。|| un paquet de livres dont je ne pus deviner, à travers le papier qui les enveloppait, que la taille courte et large, 本が複数でも、寸法はそれぞれの本の寸法のことであるのから単数で書かれる。長方形の包みを見れば本は当然のこととして縦長の本であるのだが、少年は包み紙を通して横長の本であると直感した。|| sommaire et voilé 前の名詞aspect を修飾している形容詞。はっきりと見えるわけではないのであるが。|| éclipsaient 池乃めだか師匠がしばしば用いる語。|| la boîte à couleurs フランスの子供たちは gouache グワッシュと呼ばれている水彩絵の具を学校でよく使う。ちなみにプルーストは十一歳まで学校には行っていない。|| les vers à soie 誕生日のプレゼントとしては、かなり奇抜なアイデアだ。餌の桑の入手が困難ではあるが、そろって同一方向を向いたときに地震の予知となるかもしれない。

C’était la Mare…
|| ai-je su depuis 挿入節における倒置。dit-il などと同じ類である。|| Car si elle jugeait…, elle ne pensait pas…, etc. / これは仮定ではなく、二つの文の並列である。最初の文が次の文の根拠となる。その意味において、初めの “Car” は不必要とも言える。|| Je ne pense pas que…などの文の補足節の動詞は接続法になる。|| 間に語が挟まっているが、avoir une influence sur 影響がある。そして que 以下でこの言い方の反復が省略されている。|| le vent du large 船で沖に出たときの海風 || お祖母さんは、最初、子供には難しい本ばかりを選んでしまっていた。

Mais mon père…
|| l’ayant presque traitée de folle en apprenant… : 現在分詞とジェロンディフの組み合わせ。traiter qqn. のあとは、通常は comme 何々であるが、悪い意味の場合には上のように de··· と使う。動詞 apprendre を習うや教えるではなく、最近の出来事について知るという意味。|| Jouy-le-Vicomte 架空の地名であり、コンブレーの近くにあるという設定のようだ。|| pour que je ne risquasse pas de… : pour que のあとはもちろん接続法が続くのだが、学習者は接続法過去は日常会話では絶対に用いられないことを知っていなくてはならない。日常会話では、たとえ過去の話の中でも接続法は常に現在形のみが用いられる。|| se rabattre sur : 何かの代わりに何々で我慢する。何かの代わりにの部分は pour ··· などとは言わずに、前後の文のなかで表現されるようだ。|| je ne pourrais me décider à donner à cet enfant quelque chose de mal écrit.: 条件法による je ne pourrais は、いかにせよできないのだという強い気持ちを表すものであり、婉曲表現とは逆である。

En réalité…
|| ne se résigner jamais à inf = refuser de inf. 上のプルーストの文では不定代名詞 rien が関係代名詞 dont の先行詞となっている。ne…rien という形ではない。この rien は肯定文における不定代名詞であり des choses の意である。= elle refusait d’acheter des choses dont on ne pût tirer un profit intellectuel || celui = un profit intellectuel || ailleurs que…, とは別なところで || les couverts, ナイフとフォーク

Elle eût aimé…
|| Elle eût aimé que j’eusse… : aimer que に続く節は常に接続法。主節の接続法大過去は条件法過去第二形であり、続くセンテンスによる文脈において反実的な意味をもつ。Si elle n’avait pas trouvé la vulgarité と組み合わせてこの条件法を考える。 || la chose représentée : この la chose は、一枚の写真に写された被写体を指す。たとえは、凱旋物の写真ならば実物の凱旋門そのもののこと。|| utilité パチリとシャッターを押したらそれでおしまい、あとは現像するだけで実物のような正確さで見ることができるという容易さ。|| la photographie 定冠詞がついて、写真術。「制作の方法」とは同格なので無冠詞であるのが普通であるのだが、写真術という語は常に定冠詞が付くものと決まっている。それに対し、不定冠詞複数のついた des photographies は一枚一枚の写真の複数を表すが、写真は通常は une photo, deux photos と言う。

Elle essayait…
|| essayait のあとに de ruser, d’éliminer, de réduire, de substituer, d’introduire の五つの de 不定詞が続く。|| sinon A, du moins B これは A とまでは言わないが少なくとも B とは言えるという構文。B 以上、A 未満の領域だ。|| y この人称代名詞は、ここでは à la banalité commerciale のことである。エッフェル塔のところにあるお土産物屋さんには、まさしくエッフェル塔の置き物らしいミニチュアのエッフェル塔が売っていて、多分その極度に陳腐なものが一番よく売れる。|| substituer 直接目的補語が、したがって勿論前置詞なしで続く。substituer de l’art à la banalité commerciale ということであり、この de l’ は部分冠詞である。encore は、このセンテンスの終わりにある faisait un degré d’art de plus と同じ意味であり、写真がすでに芸術的であってもさらに欲張った芸術性に置き換えるということ。|| introduire この他動詞の直接目的補語が見当たらないが、当然、部分冠詞の付いた de l’art である。|| « épaisseurs » 芸術的な豊かさとともに絵の具を塗った厚みを匂わせる。単なる厚みならば単数のはずであるが、plusieurs という数的な形容詞とともに複数で書かれることにより、油絵の絵の具の物質的な層 plusieurs chouches が表現される。|| pour la plus grande partie. 私が読んでいる FOLIO では、この語の前後にコンマがない。プルーストは写真が全面的に嫌いなわけではないであろうので、写真術が芸術的ではないというような意見が表面に出過ぎないよう少々遠慮しながら書いている。quelque grand peintre 「何らかのと何々」いう意味での quelque は、複数の答えが予期される場合でも単数で用いる。|| ce qui… 前の文章の内容全体が主語となる。

プルースト失われた時を求めて