『失われた時を求めて』を読んでみる 002¤

              

 

プルースト
失われた時を求めて 002

Pourtant un jour que ma grand’mère était allée demander un service à une dame qu’elle avait connue au Sacré-Cœur (et avec laquelle, à cause de notre conception des castes, elle n’avait pas voulu rester en relations malgré une sympathie réciproque), la marquise de Villeparisis, de la célèbre famille de Bouillon, celle-ci lui avait dit: «Je crois que vous connaissez beaucoup M. Swann qui est un grand ami de mes neveux des Laumes.»

|| Pourtant 語り手の身内の人たちが本当にスワンのことを彼らなりに作ったスワンの人間像により単に平凡な人物としてだけ評価していたかというと、そうでもなかったのだ。|| Le Sacré-Cœur モンマルトルの丘の上の寺院だが、発音は無理にカタカナで書くとしたら、サクレケャーに近い。 Société du Sacré-Cœur de Jésus という宗教的な集いをする団体があったらしい。|| à cause de notre conception des castes ユダヤ人の語り手の身内の人たちはフランス貴族の人たちと気安くつきあえるとは思っていなかった。|| rester en relations この単語は、人と人とのつきあいの場合には通常このように複数扱いになる。|| une sympathie réciproque 初めて会った人と妙に話が合い、友人になってしまうことを自動詞で sympathiser avec という。私は on s’est sympathisé や nous nous sommes sympathisés という言い方があるとばかり思っていたが、辞書にはそのような言い方は載っていない。ちなみに、前文のところで貼ったビデオの女性はパメラ・アンダーソンは sympathique だとも言っていたが、人当たりの良い人の形容詞には非常にしばしば sympathique を使い、略して Elle est très sympa. サンパなどと言う。|| la marquise de Villeparisis 町の名前にもなっている。de がついて、いかにも貴族の苗字だ。ヴィイパリジと読む。ちなみに、ムッシュやマダムのあとに苗字を続ける際、de の付いている苗字は、その苗字が一音節の場合のみに de を付けて呼ぶ。|| Bouillon 昔、ブイヨンという苗字の貴族の家柄があったのだが子孫がなく、1802年に家系が途絶えた。その後、自分はブイヨン家の血を引いているのだ言う連中が数多く現れたのだそうだ。|| les Laumes 貴族の苗字はしばしば地名となっている。

Ma grand’mère était revenue de sa visite enthousiasmée par la maison qui donnait sur des jardins et où Mme de Villeparisis lui conseillait de louer, et aussi par un giletier et sa fille, qui avaient leur boutique dans la cour et chez qui elle était entrée demander qu’on fît un point à sa jupe qu’elle avait déchirée dans l’escalier. Ma grand’mère avait trouvé ces gens parfaits, elle déclarait que la petite était une perle et que le giletier était l’homme le plus distingué, le mieux qu’elle eût jamais vu.

|| お祖母さんは帰って来た時に、大叔母さんなど、家の人たちにスワンがヴィイパリジ家と交流があるのだということを喋った。| 動詞 louer 家や部屋を貸すときにも借りるときにも使い、どちらであるかは文脈から判断される。ここでは借りるほうを意味し、関係代名詞には que ではなく où を使っているのでこの動詞は他動詞でありながら直接目的語がないが、この動詞の使い方はこれで正しい。|| qu’on fît un point この不定代名詞 on の使い方は、父親か娘のどちらかという意味よりも、店全体、さらに一般化された意味、受動態的な内容を能動態の形で書くときの on である。|| les gens は男性複数の名詞であるが、形容詞が前に付く場合のみ形容詞は女性複数になる。ここでは trouver qqch adj. の形なのでそのようにはならない。|| distingué 言葉遣いや物腰が慇懃である様子。|| mieux は副詞 bien の比較級であり形容詞 bon の比較級は meilleur のはずと思われるかもしれない。l’homme le plus distingué という形容詞に続くのならば le meilleur ではないのかと思われるかもしれないが、人物に関しては通常 bon という形容詞は使われない。普通は、il est bien と言う。bien がいつも副詞だと思うと間違いで、この語は形容詞でもある。この文は比較最上級であり、接続法が続く。mieux は形容詞でもあるのだ。||

Car pour elle, la distinction était quelque chose d’absolument indépendant du rang social. Elle s’extasiait sur une réponse que le giletier lui avait faite, disant à maman: « Sévigné n’aurait pas mieux dit! » et, en revanche, d’un neveu de Mme de Villeparisis qu’elle avait rencontré chez elle : « Ah! ma fille, comme il est commun ! »

|| car の前でコンマを打って二つ目の文としてつなげていない。car の文が独立した形で書かれているのには違和感がある。|| Sévigné n’aurait pas mieux dit! 条件法が使われているのは、事実ではなくもののたとえであるから。条件節を補うならば、Même si c’était Madame de Sévigné (公爵夫人で書簡文が上手かったとされる) qui avait répondu, elle n’aurait pas mieux dit que ce giletier. しかし、プルーストがこの洋服屋の台詞を記してないのは変だ。|| Ah! ma fille, お祖母さんが庭の中をぐるぐるまわるところで、お祖母さんは語り手の母方の「お祖父さん」の家系には今までになかった性格をコンブレーに持ち込んだとして、このお祖母さんは語り手の母親の母親ということとなる。このヴィイパリジ婦人の甥というのは、物語で後に登場するサン・ルー、あるいはシャルリュースのことらしい。

Or le propos relatif à Swann avait eu pour effet, non pas de relever celui-ci dans l’esprit de ma grand’tante, mais d’y abaisser Mme de Villeparisis. Il semblait que la considération que, sur la foi de ma grand’mère, nous accordions à Mme de Villeparisis, lui créât un devoir de ne rien faire qui l’en rendît moins digne et auquel elle avait manqué en apprenant l’existence de Swann, en permettant à des parents à elle de le fréquenter.

|| dans l’esprit de ma grand’tante 私が最近買った Folio 版 1993 ではこのように修正されているが、昔買った Folio 版 1982 では dans l’esprit de ma grand mère と印刷されていた。|| sur la foi de 誰々からの情報によれば。誠実な心というような意味は全くない。|| manquer à son devoir 義務をおこたる、義務どおりにしない。|| s’accorder considération à 敬意をもつ。|| 否定形 ne rien faire に続く関係節では接続法が使われ、rendît となる。|| お祖母さんはヴィイパリジ婦人の家に行った際、スワンのことが話題となっても気にも留めず家のことや洋服屋のことで喜んで帰ってきた。お祖母さんは社会的な階級には無頓着であったからだ。or ところが、大叔母さんはお祖母さんの話を聞いて多少の不満を抱いた。大叔母さんは交際は階級に則したものであるべきと考えていたため、貴族のヴィイパリジ家の人々 parants à elle が身分の低いスワンと交際があることが気に入らなかった。高貴な人々と交際があるスワンを喜ばしく思うことよりも、スワンと交際があることは高貴な人々の汚点となるものと考えた。貴族のヴィイパリジ婦人に対し大叔母さんは敬意をもっているのであるが、その気持ちががっかりさせられるような事態に関しては、大叔母さんは見ざる聞かざるでいたいのである。大叔母さんはそれを自分の義務のように感じていたのだが、知るという不可抗力的な行為により義務を守らないという能動的な遺憾な行為をしてしまう。プルーストは apprendre (知ってしまう)と permettre (なすがままにしておく)の二つの能動的な動詞を使っている。高貴な貴族であるヴィイパリジ家の人たち parents à elle がブルジョワのスワンごときと交際があることを大目に見るという行為においては大叔母さんは見ざる聞かざるの義務を怠っているわけだ。

« Comment ! elle connaît Swann ? Pour une personne que tu prétendais parente du maréchal de Mac-Mahon!» Cette opinion de mes parents sur les relations de Swann leur parut ensuite confirmée par son mariage avec une femme de la pire société, presque une cocotte que, d’ailleurs, il ne chercha jamais à présenter, continuant à venir seul chez nous, quoique de moins en moins, mais d’après laquelle ils crurent pouvoir juger — supposant que c’était là qu’il l’avait prise — le milieu, inconnu d’eux, qu’il fréquentait habituellement.

|| prétendre 言い張る。|| parents 家族の人たち。英語の似たような単語とは意味が異なるので注意。parente 名詞、親戚関係の女性 || Cette opinion de mes parents 家の人たちのうすうす思っていたこととは、スワンは単なるブルジョワなので、貴族の人たちとの交際などは恐らくまっとうなものではないのであろうというような否定的な考え。|| cocotte この部分ではこの語は娼婦を意味している。私が昔テレビで見た映画ではオルネラ・ムーティが演じていて、声はフランスの声優の吹き替えだった。通常、この語はそれほど悪い意味はなく、娼婦をしている女性のことをずばりと示す場合は、テレビのニュースなどでは prostituée、悪口では pute を使う。pute は putain の派生語であるが、putain! は現在では何か運の悪いことが起こったときに「ちくしょう、ついてねえな」という意味で、若い女性でも平気で使える。それから、ちなみに、全然関係ないが、フランスでは cocotte minute という鍋があって、セブ seb という会社の商品名なのだが、社員をたくさん解雇して、この会社は潰れたような気がしていたのだが、まだ潰れてはいなかった。|| d’après は、これでひとかたまりの語とみなしてよい。動詞 juger に続いて juger d’après という言い方になる。ちなみに、d’après に似た形の語として d’avec がある。séparer qqch. d’avec qqch. などというように使われるが、通常 séparer qqch. de qqch. のほうがよく使われる。多分、 d’avec という語の音の響きが美しくないからであろうと私には思われる。|| 貴族の上流社会とブルジョワの金持ちの社会が交わる第三の社会は、ここでプルーストは le milieu という語を使っているが、高級娼婦がいたりするような不真面目な金持ちの遊びの社会だ。

Mais une fois, mon grand-père lut dans son journal que M. Swann était un des plus fidèles habitués des déjeuners du dimanche chez le duc de X…, dont le père et l’oncle avaient été les hommes d’État les plus en vue du règne de Louis-Philippe. Or mon grand-père était curieux de tous les petits faits qui pouvaient l’aider à entrer par la pensée dans la vie privée d’hommes comme Molé, comme le duc Pasquier, comme le duc de Broglie.

|| スワンが自分の社会的階級もわきまえず貴族たちと交際があるという事実を知って、語り手の祖父さんは単純に喜ぶのだが、大叔母さんは不満であった。ブルジョワはブルジョワとして真面目に生活する限りにおいて安定した階級社会のなかで平穏に暮らせると考えられるからである。|| une fois : 一回という意味ではなく、ある日、何々があってという意味。ちなみに、童話などでは物語の最初は Il était une fois une petite fille… などと始まり、il était は il y avait の意、une fois は漠然とした時を表し、昔々あるところに何々というような女の子がいましたなどという意味になる。また、une fois は si の意味で使われることもあり、これは英語の once や日本語の「ひとたび何々すれば」などにも通じる。si が純粋に条件を示してはいない場合もあり、この une fois は「なぜならば、何々だったので」のような理由節が続いていると考えられ、お祖父さんが新聞に何々という記事を発見「したので」と訳すことができる。すなわち、事実としてあったことがらを条件のように表す言い方である。|| les hommes d’État les plus en vue du règne de Louis-Philippe. この du は「定冠詞+plus」にかかり、比較最上級が定義される領域、何々の中で一番何々を表す de であり、これは en vue に続く du ではない。すなわち、”un homme en vue” という熟語で著名な人という意味をもっているのであり、les plus…de… と組み合わさって続いている。この形で比較最上級が表現される名詞には定冠詞がつく。不定冠詞で “un” garçon le plus grand de la classe などにするのは誤り。|| par la pensée お祖父さんの「頭の中で」思い浮かべるイメージとしての考えというような意味であるが、このような意味で pensée という語を使うのはなかなかできることではなく、普通は imagination などのつまらない語を使ってしまうかもしれない。|| Mathieu Molé, Étienne-Denis Pasquier, Victor de Broglie この三人は Contre Sainte-Beuve の中でも述べられている。Molé Pasquier Broglie

Il fut enchanté d’apprendre que Swann fréquentait des gens qui les avaient connus. Ma grand’tante au contraire interpréta cette nouvelle dans un sens défavorable à Swann: quelqu’un qui choisissait ses fréquentations en dehors de la caste où il était né, en dehors de sa « classe » sociale, subissait à ses yeux un fâcheux déclassement.

|| qui les avaient connus この les は、前出の (des) hommes comme Molé, comme le duc Pasquier, comme le duc de Broglie のこと|| fâcheux これは悪い結果や厄介な問題を引き起こすという意味の形容詞であり、腹を立てるということからは意味がかなり離れている。たとえば、Il est très fâcheux と言ったらいかにもよく怒る人のような気がしてしまいそうだが、そうではなく、よけいな問題を起こす人という意味。その理由は次に書かれている。|| subissait 主語は quelqu’un qui || à ses yeux 大叔母さんの目には || déclassement 自分の階級よりも上の階級の人々とつきあうような人間は自分たちの階級には相応しくないものとして大叔母さんはみなしていた。その理由は以下に書かれている。

Il lui semblait qu’on renonçât d’un coup au fruit de toutes les belles relations avec des gens bien posés, qu’avaient honorablement entretenues et engrangées pour leurs enfants les familles prévoyantes (ma grand’tante avait même cessé de voir le fils d’un notaire de nos amis parce qu’il avait épousé une altesse et était par là descendu pour elle du rang respecté de fils de notaire à celui d’un de ces aventuriers anciens valets de chambre ou garçons d’écurie, pour qui on raconte que les reines eurent parfois des bontés). Elle blâma le projet qu’avait mon grand-père d’interroger Swann, le soir prochain où il devait venir dîner, sur ces amis que nous lui découvrions.

|| Il lui semblait que +接続法 || renoncer は自動詞で使われ、à が続く。人生でだいたいの人が普通にもっているような幸せを捨ててしまうことであり、お坊さんが家や家族やお金や楽しい仕事などを放棄して頭を丸めて仏門に入り世捨て人になるときにもこの語が使われる。 || bien posés ここでは社会的に生活が安定していることであるが、このような特殊な意味で頻繁に使われる語ではない。|| 関係節の主語 les familles prévoyantes が後ろの方に倒置されている。|| altesse 王家や皇室の女性を意味する語であるが、語の選択に少し誇張がある。|| aventuriers ここではとても悪い意味で使われている。|| avoir des bontés pour qqn. チャタレイ夫人のように、女性のほうから身分の低い男性にエッチに近づくこと。大叔母さんの考えでは、上流階級の女性と付き合いがあるとは、上流階級の女性に「遊ばれている」という意味において自分の身分を低くすることになる。|| blâmer お祖父さんが、そのような企てを心に抱いていたということを非難した。

D’autre part les deux sœurs de ma grand’mère, vieilles filles qui avaient sa noble nature, mais non son esprit, déclarèrent ne pas comprendre le plaisir que leur beau-frère pouvait trouver à parler de niaiseries pareilles. C’étaient des personnes d’aspirations élevées et qui à cause de cela même étaient incapables de s’intéresser à ce qu’on appelle un potin, eût-il même un intérêt historique, et d’une façon générale à tout ce qui ne se rattachait pas directement à un objet esthétique ou vertueux.

|| d’autre part は、必ずしも前の文で d’une part が使われている必要はない。|| vieille fille 年をとっているがまだ結婚を一度もしたことのない女性。コンブレーの家は、お祖父さん (アメデー) の家系の家であり、お祖母さん (アメデーの妻、バチルド) の二人のオールドミスの姉妹がそこに居候している。姉妹は肩身が狭くないだろうか。|| esprit この語を日本語に訳す場合には注意が必要であることが多々ある。語り手はこのお祖母さんの人物が好きだったようなので、ここでは「人に対する、こまやかな思いやりの心」といったような意味として解釈したい。機械的に「精神」「機知」などの名詞で訳すと誤りともなりえ、また字面も硬くなる。|| niaiserie 辞書で見ると二音節であるが、四音節ぐらいで読みたくなってしまう。|| pareil が名詞の後について、そのような何々はできない、というような意味のときには、通常、単数の場合は不定冠詞が付き、une niaiserie pareille のようになるので、複数ならば des niaiseries pareilles となりそうであるが、parler de に続く名詞は無冠詞という規則がある。お祖父さんがスワンが次回、遊びに来た折に怪しげな交際について問いただすということならば単数でよいのだが、単数にするにはうしろの pareille という形容詞との習慣から、どうしても不定冠詞をつけて d’une niaiserie pareille としたくなる。しかし、これは禁じられているので、複数に落ち着く。|| aspiration : 電気掃除機は aspirateur であり、動詞 aspirer は空気を機械的に、または意識的に吸い込むことを言う。それに対し、respirer という動詞は動物の呼吸として息を吸うこと、あるいは呼吸することを息を吸うことも含めて表す。名詞 aspiration は、何か気高いもの、高貴なものにたいする情熱や憧れのことであり、必ずしも宗教的な気持ちである必要はない。名詞 aspiration と形容詞 élevé の二つの語の関係は深い。|| potin この語は、ひとの噂話というような意味であるが、フランス人はこの語からはそれとはまったく別なものを連想するはずだ。今、スーパーマーケットで店数が多いものは MONOPRIX と CARREFOUR そして FRANPRIX だが、昔は所々に Felix Potin フェリクス・ポタンという名のスーパーがあった。競争についていけなかったのか、社長がやる気をなくしたのか、1985年ぐらいには跡形もなくなってしまった。昔、Felix Potin があった場所は今はだいたい FRANPRIX になっているような気がする。この関係ない脱線を始めたらきりがないから、ここでは ED はエドではなくアルファベの発音で読むということを書くにとどめておく。無理にカタカナで書くなら、ウーデーと読む。これはスーパー Leclerc の社長がテレビで経済問題を話していたときにそう呼んでいたので確実である。|| eût-il même これは反実 même s’il avait eu の代わりではなく、譲歩節 quand même il eût の代わり。il は un potin。


Le désintéressement de leur pensée était tel, à l’égard de tout ce qui, de près ou de loin, semblait se rattacher à la vie mondaine, que leur sens auditif — ayant fini par comprendre son inutilité momentanée dès qu’à dîner la conversation prenait un ton frivole ou seulement terre à terre sans que ces deux vieilles demoiselles aient pu la ramener aux sujets qui leur étaient chers, — mettait alors au repos ses organes récepteurs et leur laissait subir un véritable commencement d’atrophie.

|| tout ce qui 「ことがら」、ここでは「俗っぽい話題」のことであり、人ではない。|| de près ou de loin ある程度。|| Le désintéressement était tel que… 興味を示さない様子の度合いは何々なほどであった。|| ハイフンの中の現在分詞 ayant、およびハイフンの後の mettait の主語は「聴覚」。

Si alors mon grand-père avait besoin d’attirer l’attention des deux sœurs, il fallait qu’il eût recours à ces avertissements physiques dont usent les médecins aliénistes à l’égard de certains maniaques de la distraction : coups frappés à plusieurs reprises sur un verre avec la lame d’un couteau, coïncidant avec une brusque interpellation de la voix et du regard, moyens violents que ces psychiatres transportent souvent dans les rapports courants avec des gens bien portants, soit par habitude professionnelle, soit qu’ils croient tout le monde un peu fou.

|| ここでは、お祖父さんの振る舞いが書かれているのであるが、プルーストの父親は神経学者のジャン=マルタン・シャルコーと一緒に働いていたような偉い医者であった。ジャン=マルタン・シャルコーの病院、サルペトリエール病院でジグムント・フロイトは若い頃、一年間、勉強をしていた。|| 私は Si alors という言い方をしばしば耳にしているような気がしたが、考えてみるとここにあるように接続詞 quand の代わりとしてではなく、論理学での si…alors… だった。この部分での alors は、何々の場合の時にというような意味の副詞。|| avertissement この語は通常、この文脈におけるような意味では用いられない。|| 通常、user は他動詞で、直接目的補語とともに使う。ここでのように user を自動詞として de とともに使うことはあまりない。de は、ここでは dont になっている。|| aliéniste 現在は、この語は使われない。 || à l’égard de 少し硬い言い回しであるが、憶えておくと手紙を書くときなどにとても便利だ。|| maniaques de la distraction 現代では ADHD, Attention-deficit hyperactivity disorder, 注意欠陥・多動性障害 という名称はあるが、ここで述べられているようなことに当てはまる症状ではない。|| à plusieurs reprises 何回も繰り返してという意味でよく使われる言い方であるが、繰り返される事柄は悪いものであることが多い。|| sur un verre 私はあまり細かいことは気にしない人間なのだが、ここで sur という前置詞が使われているが読者はグラスのどの部分を叩くとものとして想像するだろうか。グラスは脚の付いたワイングラスが想像されて妥当なのだが、はたして叩くのは上の縁であろうか、それとも横からグラスの側面の膨らんだ部分を叩くのだろうか。通常、フランス人がこれをするときには、後者だ。sur という前置詞は表面をというような意味をもち、垂直な壁を横から押すときにも、また壁に絵を掛けるときも sur が使われる。日本語に訳す場合には「上」という語の使い方に注意が必要であり、ここでは「グラスの側面を」と訳されるはずだ。|| la lame d’un couteau 定冠詞 + 不定冠詞の使い方の基本だ。ナイフは世界中に他にも沢山あるナイフの任意なひとつなので不定冠詞、その刃はそのナイフの刃として限定されるので定冠詞が付く。別な言い方として une lame de couteau も文法的には可能であるが、その場合には柄の部分がないことになり、少々持ち難くなる。une brusque interpellation de la voix et du regard この言い方は、逆に不定冠詞 + 定冠詞である。この de は、何々によるという手段的な材料的な de なので、通常は定冠詞は続かない。また前の名詞には不定冠詞が付いているので、後ろの方に定冠詞が付くのは珍しい。多分、精神科医のものとして限定された特別な声、および特別な視線という意味において定冠詞を付けたのであろう。|| psychiatre の chia はキヤと読む。ちなみに psychique の chi はシと読む。|| moyens 同格語はコンマに続き、それには定冠詞は付かない。|| transportent ここの文脈では、別の目的のために持ち込んで使ってしまうこと。

Elles furent plus intéressées quand la veille du jour où Swann devait venir dîner, et leur avait personnellement envoyé une caisse de vin d’Asti, ma tante, tenant un numéro du Figaro où à côté du nom d’un tableau qui était à une Exposition de Corot, il y avait ces mots : « de la collection de M. Charles Swann », nous dit : « Vous avez vu que Swann a « les honneurs » du Figaro ? »

|| オールドミスの姉妹は、絵画などの高尚な話題になると話に加わってくる。|| 夕食に遊びに来るのであるが手ぶらで来るわけがない。葡萄酒がいいと思ったのだが、夕食の時に葡萄酒を持ってきて、さあこれを飲みましょうと言う風にはならないのは、飲むだいぶ前にあらかじめビンの栓を抜き、人によっては別のピシェに移したりして、空気に触れさせておく場合があるからだ。現在のフランス人はそのような面倒なことはせず、食卓で栓を抜くほうが多いと思うが、昔の人のマナーとしては皆で飲むつもりの葡萄酒は前の日に前もって送っておくということだ。招く側にも、自分たちの葡萄酒で準備ができていて、客の持って来たものが飲めないというような失礼は起こらない。また、このことで明日スワンが来ることが確実となり、少々切迫した空気の中でさてどこまでスワンの裏の生活について知っていることにしようかということが問題となりそうなのであるが、大叔母さんは、はぐらかす。|| personnellement フランス人はワインは毎日のように飲むので、田舎の金持ちに家には酒屋がまとめて配達してくるのであろうが、それに対し、「送る」という行為はそもそも個人的であり、六本入りの木の箱を一箱、「誰々様に」とカードを添えて、誰かに運ばせた。宛名は姉妹ではなく、家の人たち皆。「心を込めて」の意。|| tante とは grand-tante のこと。レオニー叔母さんの可能性も充分にあるのだが、文脈より大叔母さんのこととするのが妥当。|| avoir les honneurs du Figaro とは、単にル・フィギャロ紙に載ることを意味する普通の言い方であるのだが、プルーストはこの les honneurs に括弧をつけることにより大叔母さんの台詞が単なるブルジョワ身分のスワンが上流社会の新聞記事に「載せてもらえた」こと、上流社会から「身分にそぐわない恩恵を受けた」ことを強調している。

— « Mais je vous ai toujours dit qu’il avait beaucoup de goût », dit ma grand’mère.
— « Naturellement toi, du moment qu’il s’agit d’être d’un autre avis que nous », répondit ma grand’tante qui, sachant que ma grand’mère n’était jamais du même avis qu’elle, et n’étant bien sûre que ce fût à elle-même que nous donnions toujours raison, voulait nous arracher une condamnation en bloc des opinions de ma grand’mère contre lesquelles elle tâchait de nous solidariser de force avec les siennes.

|| お祖母さんは穏やかで単純な考え方をする人なので、スワンが芸術に関わっているならばいるでそれでよいではないかと考えるが、大叔母さんは知らないことにしておきたいのでしらばっくれる。貴族でない者は身分相応に振る舞っているべきであるというのが大叔母さんの考えだ。大叔母さんはスワンの所有する絵画に話題が集中するのが嫌なので、「あなたは、私達とは違うことを言いたがっているだけなのよ」と言って、はぐらかす。|| du moment que それはそうでしょうよ、だって・・・。 || この箇所での bien sûr の bien は単なる副詞であり、勿論という意味の bien sûr ではない。安心していられる。|| nous arracher une condamnation この arracher は「(勝利のトロフィーなどを)勝ち取る」という意味であり「取り除く」という意味ではない。nous は間接目的補語。大叔母さんはお祖母さんの諸々の意見ひとまとめに関して私達の不賛成を獲得することにより、自分の意見に皆を賛成させたかった。|| このような場面のプルーストの記述の仕方は小説的な描写としては臨場感に欠け、もっと無駄の多い、台詞の多いような書き方はできないものであろうかとも思ってしまう。おしゃべりな女性の台詞がそのまま長々と書かれることはプルーストの作風とは相容れないものなのかもしれない。

Mais nous restâmes silencieux. Les sœurs de ma grand’mère ayant manifesté l’intention de parler à Swann de ce mot du Figaro, ma grand’tante le leur déconseilla. Chaque fois qu’elle voyait aux autres un avantage si petit fût-il qu’elle n’avait pas, elle se persuadait que c’était non un avantage, mais un mal, et elle les plaignait pour ne pas avoir à les envier.

|| Les sœurs de ma grand’mère ayant manifesté.. : 独立分詞節の主語は、このようにぽつんと前に置かれる。前の文で、私たちは、幼少の語り手が含まれているかどうかは曖昧であるが、私たちは黙っていたと書いておきながら、お祖母さんの姉妹はフィガロ紙にスワンの名が出ていたことをスワンに言ってみようと言い張っているのには矛盾がある。|| ce mot 前出の部分では複数になっている。|| un avantage, si petit fût-il, qu’elle n’avait pas ここでの que は関係代名詞であり、その先行詞は un avantage であり、si…que という接続詞としての使い方の que ではない。それでは、はたしてこの si は副詞「とても」か、それとも接続詞「もし、たとえ何々でも」の表現の形に含まれる仮定的な si か。答えは前者。もとの形は、si petit qu’il soit。この que 以下を倒置の形によって代用すると、si petit soit-il。過去の話であり、書き言葉なので接続法半過去を使ってsi petit fût-il となる。ちなみに、話し言葉では倒置は使わないので、通常の会話では、反実での「もし、たとえ何々だったとしても」は、現在の話なら、même s’il était très petit 、過去の事柄についての話なら、même s’il avait été très petit と言う。|| se persuader 無理に、故意に信じ込もうとすることではなく、性格によって自然にそのような考え方になっていまうことをいう。persuader という動詞が力ずくで納得を強制するような意味があるが、再帰代名動詞になると説得するというような強い意味合いは消えて、ストレートに自発的にそのように考えてしまうことを意味する。|| c’était non un avantage mais un mal : 通常、口語的には、ce n’était pas un avantage mais un mal としたいところであるし、non un a… を声に出して読んだ場合の音のつながり方が美しくないがこういう表現があるのでしょうがない。non と un の間は、はっきりと区切って読まれるはずである。mais と un の間はリエゾンがなされる。多分、次に pour ne pas avoir があり、ne pas が繰り返されるのを避ける意図があったのかもしれない。|| 文中の avantage とは、人に羨ましがられるような事という意味。|| mal 困ったこと、不都合 || plaindre 気の毒に思う || envier うらやむ || elle les plaignait pour ne pas avoir à les envier 大叔母さんには、じつは無意識的には自分が他の人たちを羨ましく思わないようにするためなのであるが、その人たちのことをむしろ気の毒に思うのだった。

« Je crois que vous ne lui feriez pas plaisir ; moi je sais bien que cela me serait très désagréable de voir mon nom imprimé tout vif comme cela dans le journal, et je ne serais pas flattée du tout qu’on m’en parlât. »
Elle ne s’entêta pas d’ailleurs à persuader les sœurs de ma grand’mère ; car celles-ci par horreur de la vulgarité poussaient si loin l’art de dissimuler sous des périphrases ingénieuses une allusion personnelle, qu’elle passait souvent inaperçue de celui même à qui elle s’adressait.

|| 接続詞 que に続く補足節の動詞が直接法になるか接続法になるかは、主節の動詞によって決まる。たとえば、Il faut que の後は必ず接続法になる。ところが主節の動詞に croire が使われている場合は補足節は直接法であったり接続法であったりする。一応、
Je crois que +直接法、
Je ne crois pas que +接続法、
という規則はある。直接法にするか接続法にするかの考え方の基準は、補足節の内容が事実か、それとも反実かというところにある。反実とは、条件法のときの反実と同じであり、もし私が鳥だったら飛んで行くだろうという文の内容は反実である。したがって Je ne crois pas que に続く補足節は、何々などあり得ないということなので、必然的に接続法となる。
上の本文の条件法 feriez は Je crois que に続く補足節のほうが否定文になっているが、実現可能な仮定における用法である。|| je sais que に続く補足節は直接法であるが、補足節の中の内容が反実仮想 si cela m’arrivait によるものなので条件法になる。|| du tout は ne pas に対応する副詞句であり、de tout ce que と混同しないようにする。en は新聞に名前が載ったということ。|| parlât 通常は être flatté que の後は必ず接続法なので、接続法現在 parle であるが、ここでは主節が否定文であるため接続法半過去が使われている。ただし、大叔母さんの台詞の中で使われるのには格調が高すぎるのではないだろうか。実際は、いかなる場合においても会話で接続法半過去が使われることはない。たとえば、会話中に fût フュという音、動詞語尾の -esse スという音などが発音されただけでも異様なものとなるであろう。テレビの大人のクイズ番組でも、ある動詞の接続法半過去の活用を答えさせることがしばしばあるほどであり、フランス人でも接続法半過去は使わないどころか、活用すら知らない、学校で習ったが忘れたというのが普通である。
まとめると次のとおり。
Je crois qu’il vient.
Je ne crois pas qu’il vienne.
Je croirais qu’il vient.
Je ne croirais pas qu’il vienne.(話し言葉)
Je ne croirais pas qu’il vînt.(書き言葉のみ)
|| pousser si loin 度を過ごして何々しすぎる。お祖母さんの姉妹の二人は、ほのめかしを使って話すことにおいて、度を過ごすことがしばしばあり、言われた側の人が気が付かないほどであった。|| 最後のほうで二回書かれている elle は allusion のこと。

Quant à ma mère, elle ne pensait qu’à tâcher d’obtenir de mon père qu’il consentît à parler à Swann non de sa femme, mais de sa fille qu’il adorait et à cause de laquelle, disait-on, il avait fini par faire ce mariage.
« Tu pourrais ne lui dire qu’un mot, lui demander comment elle va. Cela doit être si cruel pour lui.»
Mais mon père se fâchait :
«Mais non! tu as des idées absurdes. Ce serait ridicule. »

|| tâcher d’obtenir que 接続法。これで熟語のように用いられる。何々であるように努力する。|| disait-on 前後にコンマを打って挿入節となる。on dirait que などと同様、この on には人の意味はなく、日本語では「何々であるようだ」と訳される。|| finir par のあとは常に不定詞がくる。名詞を続けると誤りとなる。スワンは娘が可愛かったので結婚に承諾した。|| 私にはここで書かれている父親とはお祖父さんのことであり、プルーストの書き間違えではないだろうかと思われる。前出のとおり、お祖父さんはスワンの私生活について聞くつもりであった。語り手の母親は、「パパ、スワンさんの新しい奥さんについて話題にするのは残酷よ。スワンさんの私生活について何か言えるとしたら、『娘さんはお元気ですか』ぐらいにしておきなさいよ」とお祖父さんに言う。お祖父さんは「馬鹿なことを言うな。女の子のことだけを聞いて、奥さんのことは避けるなんて、わざとらしすぎるじゃないか」と言って、腹を立てる。文中の二つの mon père は son père の間違いではないだろうか。

Mais le seul d’entre nous pour qui la venue de Swann devint l’objet d’une préoccupation douloureuse, ce fut moi. C’est que les soirs où des étrangers, ou seulement M. Swann, étaient là, maman ne montait pas dans ma chambre.

|| お祖母さんやその姉妹、そして大叔母さんなどを老人と想像していると間違い。語り手が幼少であるからして、語り手の両親もまだ若く、したがってその上の世代も 50 歳前後かもしれず、まだまだしっかりとしていたはずだ。前の方でお祖母さんの姉妹が耳がだんだん遠くなってくるようなことが書いてあったが、まだそのような年齢ではないとも考えられる。子供が幼児である場合は、本当に年寄りと言えるのは曾祖父や曾祖母であろう。私が小さかった頃「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼んでいた人たちも、本当は老人ではなかったのかもしれない。私は腰の曲がった、歯もまばらな曽祖母のことは「小さいおばあちゃん」と呼んでいたが、彼女は本物の老人だった。プルーストの小説のここからの部分、多少フロイト的な部分は母親が若い女性であったことを念頭に読まれるべきであろう。|| c’est que は、そのまま読んだ通りではあるのだが、文法的には parce que の代用としての熟語である。

Je dînais avant tout le monde et je venais ensuite m’asseoir à table, jusqu’à huit heures où il était convenu que je devais monter ; ce baiser précieux et fragile que maman me confiait d’habitude dans mon lit au moment de m’endormir, il me fallait le transporter de la salle à manger dans ma chambre et le garder pendant tout le temps que je me déshabillais, sans que se brisât sa douceur, sans que se répandît et s’évaporât sa vertu volatile, et, justement ces soirs-là où j’aurais eu besoin de le recevoir avec plus de précaution, il fallait que je le prisse, que je le dérobasse brusquement, publiquement, sans même avoir le temps et la liberté d’esprit nécessaires pour porter à ce que je faisais cette attention des maniaques qui s’efforcent de ne pas penser à autre chose pendant qu’ils ferment une porte, pour pouvoir, quand l’incertitude maladive leur revient, lui opposer victorieusement le souvenir du moment où ils l’ont fermée.

|| 強迫性障害 OCD はフランスでは trouble obsessionnel compulsif, TOC と呼んでいる。いろいろな強迫観念 compulsion があり、ここでは外出時のドアの確認が挙げられている。外出の際、表を歩き始めてから、さきほどドアを鍵をちゃんと閉めただろうかという迷いの考えがつきまとう。上の文は、確かに閉めたと自信をもって自分に言えるよう、ドアを閉めるときは「今、確かに私はドアを閉めているのだ」ということに心を集中し、指さしたりしながら閉めておくという意味。それでも、やはりもう一度確認する強迫が起こり、確認しにドアのところに戻り、そしてまた表の通りを歩きだしてから確認したくなり、また戻り、ついに疲れきってしまう。このような類の強迫性障害の確認の強迫観念としては他にもコンロの確認や水道の蛇口の確認などがある。この晩には、強迫性障害の人の精神集中を自分の振る舞いに適用するということができないまま少年は自分の部屋に上がっていかなくてはならなかった。|| il était convenu que je devais monter : この devoir は être convenu と意味が重なり、必要ないようにも思われるが、convenu は décidé d’un commun accord と言う意味であり、二階に上がらなくてはならないということが決まりになっていたということである。この commun accord は、後のほうで traités という法律的な意味でも用いられる語で表されるので、convenu という語は「そういう規則になっている」という意味で文脈の解釈の上で大切である。|| 仮に大人の夕食が7時30分から始まって9時頃に終わるとするならば、8時に寝ないといけない子供は別の場所で7時ぐらいから食事を始めて7時45分ぐらいに食事を終えて、やっと夕食を始めた大人のテーブルに顔を出し、皆の話を少し聞いて、8時になり父親か母親がもう子供は寝る時間などと言ったらテーブルの全員とビズーをして、最後に母親とビズーをして、その感触を散らさないように保存しながら階段を上がって自分の部屋に行くという具合のようだ。|| confier un baiser とてもめずらしい言い方であり、普通は donner un baiser と言う。baiser という語は性的であり、現代ではエッチをするという意味で使われることもあるのでこの語は我々の日常会話では使わないほうがいい。軽い挨拶の場合は faire un bisou と言い、また、礼儀正しい挨拶として embrasser という動詞も使う。そこから先の分類は「どこに」embrasser するかで表現される。|| sans que 接続法。ここでは主語と再帰代名動詞が倒置されている。|| vertu 美徳 || j’aurais eu besoin de これは条件法による反実の表現であり、もし可能であったならば、ゆっくりとキスを与えられるように構えたかったのだが、皆がテーブルにいるので、あたかも簡単に済ませていいものであるかのように淡々と振舞わなければならなかったという意。|| que je le dérobasse 版によっては、この直接補語が抜けてしまっているものがあるかもしれない。

Nous étions tous au jardin quand retentirent les deux coups hésitants de la clochette. On savait que c’était Swann; néanmoins tout le monde se regarda d’un air interrogateur et on envoya ma grand’mère en reconnaissance.
« Pensez à le remercier intelligiblement de son vin, vous savez qu’il est délicieux et la caisse est énorme », recommanda mon grand-père à ses deux belles-sœurs.

|| tous トゥースと読む。|| envoyer qqn. en reconnaissance 軍隊の用語で兵隊を偵察に出すことであるが、偵察は隠れて敵の様子をうかがい、それによって得られた情報を味方に伝える役目であり、偵察自体は敵との接触はないのであるが、ここの文章ではお祖母さんは隠れて客の姿を見て、そこでは何もせずに小走りに皆のところに戻り、その様子を皆に知らせるだけではないので偵察という表現は相応しくない。|| Pensez à… 何々するのを忘れないようにしてくださいね。|| remercier intelligiblement 言われている相手が気がつかないような、ふくませた言い方ではなく、ちゃんと分かるようにお礼を言う。|| vous savez que… あなた方は知っているということではなく、単に「何々だから」と理由を述べる言い方。

« Ne commencez pas à chuchoter, dit ma grand’tante. Comme c’est confortable d’arriver dans une maison où tout le monde parle bas ! »
— « Ah! voilà M. Swann. Nous allons lui demander s’il croit qu’il fera beau demain », dit mon père.
Ma mère pensait qu’un mot d’elle effacerait toute la peine que dans notre famille on avait pu faire à Swann depuis son mariage.

|| comme 感嘆の副詞。大叔母さんの反語的表現が続く。初夏は日が長く、夜の十時ぐらいまで明るい。テニスの全仏オープンも九時過ぎまでライトなしで試合をしている。外は気持ちが良いので、語り手の家族は、皆、庭に出ていた。スワンが来たので、煮物にもう一度火をつけ、焼くものは焼き始めるのかもしれない。食事は家の中の大きなテーブルでするのだが、時間が少しあるようだ。どうやら語り手の母親はスワンが隠し事をせず、また、語り手の家族もスワンに辛い思いさせるほど不自然にワインや天気の話ばかりするのでなく、スワンの私生活を話題にするのも避けず、スワンも妻や娘を連れてこれるようになり、皆で楽しくすればよいと、なにやら考えているようだ。ここでは、突如、語り手の父親が天気の話を始めているが、プルーストはこれをお祖父さんの台詞とすることも可能であったのではないだろうか。

Elle trouva le moyen de l’emmener un peu à l’écart. Mais je la suivis ; je ne pouvais me décider à la quitter d’un pas en pensant que tout à l’heure il faudrait que je la laisse dans la salle à manger et que je remonte dans ma chambre, sans avoir comme les autres soirs la consolation qu’elle vînt m’embrasser.

|| l’emmener 続く文脈より、この代名詞 le はスワンであることが分かるのだが、一瞬、彼女の夫、語り手の父親のようにも読めてしまう。|| 『失われた時を求めて』は語り手の思い出が書かれているので、母親とスワンが話している台詞も語り手が傍らにくっついていないと聞くことができない。しかしながら、この制限は小説が進むにつれ、てないがしろにされていくと思われる。|| tout à l’heure il faudrait que このように、主節の過去の時制における未来に使われる条件法現在を「過去未来」と呼ぶ。これに続く laisse および remonte は接続法であるが、見た目は直接法現在と同じ形である。そのあとの vînt は否定されている名詞を先行詞とする関係節 sans avoir la consolation que… であるための accent circonflexe の付く接続法半過去が使われている。

« Voyons, monsieur Swann, lui dit-elle, parlez-moi un peu de votre fille ; je suis sûre qu’elle a déjà le goût des belles œuvres comme son papa.»
— « Mais venez donc vous asseoir avec nous tous sous la véranda », dit mon grand-père en s’approchant.

|| この un peu は動詞 parler を修飾する副詞的な役割であり、名詞が示す物の量を表す un peu de ではない。すなわち、de は parlez に続いている。|| des belles œuvres 通常、複数の名詞の前の形容詞には de のみであるが、実際に個々の作品について語っているのではないので、一般的な総称として de+les が用いられている。|| donc ここでは、ドンクではなく、ドンと読まれる。tous トゥース || 通常 la véranda には sur や dans も使われる。|| approcher qqch de qqch この動詞は他動詞として使い、日本語での「何々に」にあたる名詞には à ではなく de が前置詞として使われるので注意。

Ma mère fut obligée de s’interrompre, mais elle tira de cette contrainte même une pensée délicate de plus, comme les bons poètes que la tyrannie de la rime force à trouver leurs plus grandes beautés: « Nous reparlerons d’elle quand nous serons tous les deux, dit-elle à mi-voix à Swann. Il n’y a qu’une maman qui soit digne de vous comprendre. Je suis sûre que la sienne serait de mon avis.»

|| 随分昔のこと、フリージャズというものがあって、どんな音を出してもいいということで全く出鱈目な音をグチャグチャに出す音楽があった。自由であり、何をやってもいいのだが、結果としては何をやっても同じになってしまい、とてもつまらないものとなった。同じようなことがシェーンベルグの音楽にも言えて、調性に縛られることを避けた音列をもとに自由に音を組み合わせることができるのだが、結果としては常にグチャグチャなものとして変化のない音楽ができあがり、グールドのような特別なピアニストが綺麗に弾かない限り、決して楽しい美しい音楽にはならない。グチャグチャは何をやっても同じグチャグチャになってしまう。前衛書道と称し、半紙にグチャグチャに筆で書きなぐったら、何枚書いても同じ汚い、つまらないものができそうだ。その逆がマイルスの So What だ。音が極度に制限された結果、独特の美しさが生まれている。俳句も、その特有の制限によって、小学生が詠んでもそれなりの美が生まれる。音列の音楽は調性を持たせないことはある意味で制限とも呼べるが、それは作曲家にとってだけの制限であり、音は音列をひっくり返したりしているうちに無制限になる。芸術における形式、スタイルは制限であり、厳しく強く制限すれば制限するほど美しいものができるのかもしれない。いずれにせよ、ここでは、そのような意味と考えていいと思われる。|| Il n’y a qu’une maman qui soit… : seul などを使った文の関係節は接続法を使う。|| Je suis sûr que… に続く補足節の動詞は、通常、直接法で未来が使われるべきところであるが、推量の婉曲表現としての条件法。|| 前出の部分で、スワンの妻についての話題にするのは好ましくないので、スワンの娘のことだけを話題にするという語り手の母親の意見に反対したのは語り手の父親ではなくお祖父さんではないだろうかと私は考えるのだが、この場面でお祖父さんが来たので語り手の母親は声を低くして喋ったとするならば筋が通る。スワンがバルコニーに向かう前に、お祖父さんのいる前で、小声で一言だけ言うという制限が逆に繊細な表現を母親に思いつかせた。常に娘のことを話しながらも娘の母親が登場しなくてはならないような話題。つまり、語り手の母親は「きょうは、はっきり言わせてもらいます。スワンさん、あなたの奥さんについて、是非、教えて下さい。売春婦だという噂は本当ですか」などとは口が裂けても言えない。そこで「一般的に、誰かを本当に理解していると言うに相応しいのは、その人の母親であると私は、私自身、母親として考えています。あなたの娘さんの場合でも、やはりそうでしょうね」と言った。vous は、文としては、人を一般的に意味しているが、暗々裏にスワンのことも暖かい気持ちで意味することができる。娘の母親は直接的に発音されず、代わりに la sienne という語が用いられた。あなたの妻という語が娘の母親という意味で「彼女のその人も私と同じ意見でしょうね」と遠まわしに表現され、常に娘が話題の中心となっている。なおかつ、娘のことだけを話題にして、スワンの妻の話題を不自然に避けているということにもならない。通常、母親には定冠詞がつくのであるが、ここでは作為的に単数の不定冠詞が用いられ、直接的で個人的な強い限定の響きが避けられるとともに、子供には母親は一人だけ存在するはずであるという当然の摂理が話を一般化させながらも、一人の母親の当然の存在が意識されることとなる。


Nous nous assîmes tous autour de la table de fer. J’aurais voulu ne pas penser aux heures d’angoisse que je passerais ce soir seul dans ma chambre sans pouvoir m’endormir ; je tâchais de me persuader qu’elles n’avaient aucune importance, puisque je les aurais oubliées demain matin, de m’attacher à des idées d’avenir qui auraient dû me conduire comme sur un pont au delà de l’abîme prochain qui m’effrayait. Mais mon esprit tendu par ma préoccupation, rendu convexe comme le regard que je dardais sur ma mère, ne se laissait pénétrer par aucune impression étrangère.

|| tous トゥースと読む || J’aurais voulu … 条件法過去で過去における不可能で反実的な希望を表す。ここでは、ne pas inf. が続いているので、日本語では「・・・せずにはいられなかった」と和訳されるが自然であろう。|| des idées d’avenir 今夜の不安は明日の朝になれば忘れているであろうことから、明日の朝以後のことならば何でもよく、たとえば明日の昼に何をして遊ぶかというようなことを考えようとするわけであり、avenir を「将来」としての解釈は誤読。|| qui auraient dû… この条件法過去も不可能な役目を反実的に表現する。|| 文中の au delà de は me conduire から続いている前置詞であり、文法的には un pont とは直接的にはつながっていない。prochain は差し迫ったという意味で、自分がまだクレバスの手前にいることを表す。|| convexe 潜水艦の窓は平面ではなく外側に膨らんだ形になっていて、外からの水の圧力に耐えるようになっている。あるいは、レスリングのアーチも上からの圧力に耐える形である。語り手は自分の緊張した心をなだめすかすために気を紛らわせようといろいろなことを考える工夫をするのだが、一心に母親を見つめる自分の眼差しのように、心は緊張とともに外側に膨らんだ形となり、そのような工夫を強く跳ね返してしまう。|| 形容詞 étrangèr は医学的な文などで un corps étranger dans le corps のような体内の異物、外部から侵入という意味で頻繁に使われる形容詞。impression は、「印象」ではなく、外部からの圧力をともなった作用のこと。

Les pensées entraient bien en lui, mais à condition de laisser dehors tout élément de beauté ou simplement de drôlerie qui m’eût touché ou distrait. Comme un malade grâce à un anesthésique assiste avec une pleine lucidité à l’opération qu’on pratique sur lui, mais sans rien sentir, je pouvais me réciter des vers que j’aimais ou observer les efforts que mon grand-père faisait pour parler à Swann du duc d’Audiffret-Pasquier, sans que les premiers me fissent éprouver aucune émotion, les seconds aucune gaîté.

|| en lui = dans mon esprit || 気を紛らわすための、本来ならば楽しいはずのさまざまな思いつきは自分の意識の中に一応入ることは入るのだが、その場合、それらは無味乾燥なものとしてでしかなかった。|| qui m’eût touché ou distrait 過去の反実の表現。接続法大過去は条件法過去第二形 (= qui m’aurait touché ou distrait)。distrait は、あまり過去分詞らしく見えないが、確かに動詞 distraire の過去分詞であり、かつ三人称単数の現在と同じ形をしている。ちなみに、三人称単数の半過去は distrayait、三人称単数の接続法は distraie となる。|| me réciter この動詞は再帰動詞ではなく、間接目的語 me がないと暗唱してある詩をテーブルの皆に向かって朗読するように読めてしまう。ここでは、自分の頭の中だけで朗読すること。|| folio版の24ページには、éMotion というミスプリントがある。|| Audiffret という一族は政治家を数人出しているようだ。ここでは、つまらない話ということで用いられている。le duc Pasquier は四ページほど前に既に出ている名であるが、お祖父さんはファンであったようだ。|| この場面での詩の暗唱に伴う美的な感情、政治家に関するお祖父さんの喋りに漂う愉快な雰囲気などが、母親が自分にキスをするしないという幼稚性と語り手の年齢において食い違う。

Ces efforts furent infructueux. À peine mon grand-père eut-il posé à Swann une question relative à cet orateur qu’une des sœurs de ma grand’mère aux oreilles de qui cette question résonna comme un silence profond mais intempestif et qu’il était poli de rompre, interpella l’autre : « Imagine-toi, Céline, que j’ai fait la connaissance d’une jeune institutrice suédoise qui m’a donné sur les coopératives dans les pays scandinaves des détails tout ce qu’il y a de plus intéressants. Il faudra qu’elle vienne dîner ici un soir.»

|| タンタン Tintinという漫画には二人の瓜二つの警官、Dupond と Dupont が出てくる。ヒゲの形が違うだけなので、作者も時々混同して描いてあるそうである。セリーヌとフローラの姉妹はどちらがどちらでもいいので、ここではプルーストもうっかり書き間違えをしたようだ。ここの台詞はセリーヌに向かって話されているが、それに対する次の台詞がフローラのものになっている。セリーヌをフローラに書き直すか、”Imagine-toi, Flora”, あるいは、後続の部分で、地の文のフローラをセリーヌに書き換えるか。|| Ces efforts スワンにパスキエに関する話をしているお祖父さんの一生懸命な様子。|| aux oreilles de qui の先行詞がお祖母さんではなく姉妹の一人であることは文脈のみにより判断される。|| résonna comme un silence profond mais intempestif : profond は名詞 silence を修飾する形容詞として、とても頻度が高い。スワンに向かってのお祖父さんのつまらない質問は場をしらけさせる静寂として食卓に響いたのだった。|| 動詞 rompre の直接目的は関係代名詞 que の先行詞 un silence 。|| 動詞 interpeller は、警官などが容疑者に尋問するという意味であると思っていたら、この動詞のもともとの意味は、相手の注意を引くために出し抜けに話しかけることであるようだ。|| 協同組合運動というものがヨーロッパで起こっていたようである。ちなみに、世界最古の農業協同組合を作ったのは日本の大原幽学という人物らしい。

|| tout ce qu’il y a de plus adj. この成句は続く形容詞を修飾する一個の副詞 très のように扱われ、完全に無変化であり、文の前後の時制に関係なく il y a は常に現在である。しかしながら、他の時制にしてしまっている例、また男性単数であるべき形容詞が成句の前の名詞に性と数が一致してしまっている例が数多く見られるのだそうだ。

[025]

— « Je crois bien ! répondit sa sœur Flora, mais je n’ai pas perdu mon temps non plus. J’ai rencontré M. Vinteuil, un vieux savant qui connaît beaucoup Maubant, et à qui Maubant a expliqué dans le plus grand détail comment il s’y prend pour composer un rôle.
C’est tout ce qu’il y a de plus intéressant. C’est un voisin de M. Vinteuil, je n’en savais rien ; et il est très aimable. »
— « Il n’y a pas que M. Vinteuil qui ait des voisins aimables », s’écria ma tante Céline d’une voix que la timidité rendait forte et la préméditation factice, tout en jetant sur Swann ce qu’elle appelait un regard significatif.

|| 先ほど、お祖父さんが remercier intelligiblement と言っていたことが全然守られていない。vin という語を引っ掛けて voisin aimable と言って、これでお礼を言っているつもりだ。 || ma tante Céline 語り手の母方のお祖母さんの姉妹なので正確には ma grand-tante であるが、フランス語では ma grand-tante を ma tante と呼ぶことがある。また、人の呼び名であり、語り手の母親が彼女を tante Céline と呼んでいたはずなので、語り手もそのまま、それを呼び名として ma tante Céline と呼んでいても不思議はない。|| perdu mon temps このように temps perdu という語には「余計なことのために無駄に費やしてしまった時間」という意味もある。|| comment s’y prendre どのようなやり方をするか。|| une voix que la préméditation [rendait] factice, 繰り返しにおける省略。 factice という単語は名詞として使われることが多いが、ここでは形容詞である。|| Henri-Polydore Maubant, フランスの俳優 1821 – 1902 || Il n’y a pas que qqch/qqn qui + 直説法

En même temps ma tante Flora qui avait compris que cette phrase était le remerciement de Céline pour le vin d’Asti, regardait également Swann avec un air mêlé de congratulation et d’ironie, soit simplement pour souligner le trait d’esprit de sa sœur, soit qu’elle enviât Swann de l’avoir inspiré, soit qu’elle ne pût s’empêcher de se moquer de lui parce qu’elle le croyait sur la sellette.

|| 賛辞の「おめでとう」は (Toutes mes) félicitaions ! と言う。フランス語では賛辞としては congratulation に類する語は使われない。ここではとても弱い意味で使われているので賛辞というような大袈裟な訳語は明らかに不適当。そして、この語の意味を解するのには少々特別な想像力が必要であるように思われる。ここでの会話は現代の日本人どうしの会話とは様子がかなり違うことを承知の上で読まなくてはならない。テレビを見ながらもくもくと食べていればよい我々の家庭の夕食とは違い、訪れた客との夕食は楽しい会話が中心となる。楽しい会話が楽しみなのだ。お祖父さんはすべった。言われている相手がちゃんとそれと分かるように、はっきりとお礼を言いなさいと言っていたのはお祖父さんだったが、実は、この姉妹の方が一枚うわてだったのようだ。お礼が洒落になっていたりするほうが楽しい会話として成功している。ボケたら突っ込むのがパリの常識やでとでも言わんばかりに、今の洒落、分かったか、分かったか、と目で合図する。お上品な会話を盛り上げようとする場合、先に届けておいたワインが洒落のネタになったことでも、会話のネタになったことだけで大成功ねと思われるような、お上品な会話の世界なのだ。おばんが二人してスワンをいじろうとしているが、(ironie) いじられることも成功のうちであり、洒落のネタになったことも楽しい会話を成功させているという意味で、ギャグのネタになってよかったわね、と褒められる(envié)。あらたまった席での会話は私は大嫌いだが、テレビも YouTube もなかった時代では、多分このような堅苦しい会話がとても大切な楽しみだったのだろう。今度、誰々さんとの食事の際は何を話のネタにしようかということを常に気にかけながら毎日の生活をしていたのかもしれない。小説を読んだときでも、話の筋を次の食事の際に誰々に話して聞かせる目的で登場人物の名前もしっかりと記憶しておこうというような具合なのかもしれない。また、小説を読むということ自体も誰かとの会話のネタにするために読むのかもしれないのだ。
それはそうと、語り手は母親のキスがどうのこうのと言っているような幼い年齢であるはずなのに、随分と緻密に大人の会話を裏のほうまで観察していることになるが、そのような矛盾はこの小説のいたるところに見られるのであるが、それはフィクションとして大目に見なくてはならない。|| 二回使われている 「soit que 接続法」は 「soit pour que 接続法」の代用。 || l’avoir inspiré 過去分詞が男性形なので l’ は男性名詞のことであるから le trait d’esprit (洒落) de Céline 。|| elle ne pût… このように ne pas pouvoir の pas は、頻繁に省略される。|| elle le croyait sur la sellette、動詞 croire は être を伴わずに状況補語が続くので elle le croyait être sur la sellette とはしない。ここでは、スワンが贈り物を素敵な洒落で褒められて、さぞ照れ臭い思いをしているであろうというフローラ叔母さんの勝手な思い込み。

« Je crois qu’on pourra réussir à avoir ce monsieur à dîner, continua Flora ; quand on le met sur Maubant ou sur Mme Materna, il parle des heures sans s’arrêter. »
— « Ce doit être délicieux. », soupira mon grand-père dans l’esprit de qui la nature avait malheureusement aussi complètement omis d’inclure la possibilité de s’intéresser passionnément aux coopératives suédoises ou à la composition des rôles de Maubant, qu’elle avait oublié de fournir celui des sœurs de ma grand’mère du petit grain de sel qu’il faut ajouter soi-même, pour y trouver quelque saveur, à un récit sur la vie intime de Molé ou du comte de Paris.

|| Amalie Materna 有名なソプラノのオペラ歌手

|| Molé いきなり知らない人物の名が出ているが、この小説の先のほうで登場する俗な人物らしい。|| la nature とは、神が創造したものとしてのこの世界を意味する。その意味において、日本語では「自然は」ではなく「神様は」と訳されるべきであろう。ここでの aussi…que… は、「完全に・・・であり、それは・・・であることにも及んでいる」というような意味。お祖父さんの頭にスウェーデンの協同組合や演劇について興味をもつなどという傾向が全く欠如していること、そして老姉妹の頭には俗な話題に努めて面白味を見出そうとする気が欠如していること、この両方は神様がそのように作ってしまったのだというような意味。omis や oublié という書き方には「神様が作ったときに」というニュアンスがある。|| avoir qqn. à dîner この dîner は動詞。|| quand on le met sur Maubant…, il parle… もしも、プルーストがいたら、ここは il parlera… にすべきだと言ってやりたいが、これは接続法現在でございますとごまかされそうだ。|| dans l’esprit de qui このように長くてもフランス語文法では関係代名詞として扱われる。|| J’ajoute mon grain de sel à は、既にある話に私の「個人的な意見、私見」を加えるという意味で一般的に使われる表現。できあがってテーブルに出されたステーキなどに、食べる人が自分で soi-même (副詞的用法) ほんの少しだけ塩を加える様子に譬えた表現。通常は不定冠詞を付けて un petit grain de sel であるが、関係節が続いて限定されており、また上記の表現があるので定冠詞が付き、動詞 fournir において「何を」の名詞として fournir de… となる de と結合して du になっている。ここには、ステーキとは書かれていないが、ステーキには焼くときに既に塩が振られているので客が味を見る前に塩を振るのは料理を作った人に対してとても失礼な愚かな振る舞いであることは常識だ。プルーストも勿論そのことは知っているので un petit grain de sel としている。一辺が一ミリメートルほどの立方体の塩の結晶だ。これを砕く容器でガリガリと砕いて振るだけの量の塩。一般に定冠詞を付けた le grain de sel で「ほんのひとつまみの塩」という意味になる。神様は、俗な話題に面白味を見出すための塩を、この姉妹の頭を作るときには、頭の中に用意してあげていなかった。|| soupira mon grand-père お祖父さんは「そりぁ、きっと楽しいだろう」などと心にもないことを言って溜息をつく。|| qu’elle avait oublié de fournir celui des sœurs = comme la nature avait oublié de fournir l’esprit des sœurs…

«Tenez, dit Swann à mon grand-père, ce que je vais vous dire a plus de rapports que cela n’en a l’air avec ce que vous me demandiez, car sur certains points les choses n’ont pas énormément changé. Je relisais ce matin dans Saint-Simon quelque chose qui vous aurait amusé. C’est dans le volume sur son ambassade d’Espagne ; ce n’est pas un des meilleurs, ce n’est guère qu’un journal merveilleusement écrit, ce qui fait déjà une première différence avec les assommants journaux que nous nous croyons obligés de lire matin et soir.»

|| Tenez この語には意味はなく、tutoyer では tiens。また、スポーツのテニスの語源。既に読んだとおり、スワンの父親と語り手のお祖父さんは友人であった。したがって、お祖父さんはスワンが子供の頃から彼を知っているのであるから、この二人は、当然 tutoyer するはずである。この部分で始めてスワンが喋ったわけであるが voussoyer とは随分と他人行儀ではないだろうか。|| 最初の台詞は日本人が読むと、あたかも回りくどいフランス語のような印象を与えられるかもしれないが、フランス人のフランス語としては普通の、丁寧な、分かりやすい言い方である。|| お祖父さんがスワンに何を尋ねたかは読者にはわからない。また、スワンは何年か経っているが事態はたいして変わっていないと言っているが、読者には何についてのことであるかは不明である。単に、プルーストは二人の会話を途中から書き始めた感じにしたかったということであろう。|| relisais や le volume という語により、ここでの journal とは綴じられて出版されている日誌であることが分かる。朝晩読む新聞 les journaux と比較。|| qui vous aurait amusé「もしも、あなたも私と一緒に今朝これを読んだのであったなら、きっと面白いと思われたことでしょう」という意味。文の時制が ce matin という時の副詞に支配されるために、このような言い方になる。|| 他動詞 obliger を能動的に、つまり誰かに何かをすることを強制する場合は不定詞の前の前置詞は obliger qqn à inf.、受動態の形で使う場合は不定詞の前の前置詞は être obligé de inf. である。|| un des meilleurs この un 直後にある journal であり、前を探しても見つからない。

— « Je ne suis pas de votre avis, il y a des jours où la lecture des journaux me semble fort agréable… », interrompit ma tante Flora, pour montrer qu’elle avait lu la phrase sur le Corot de Swann dans le Figaro.
« Quand ils parlent de choses ou de gens qui nous intéressent ! » enchérit ma tante Céline.
« Je ne dis pas non, répondit Swann étonné.

|| dans le Figaro これは sur le Figaro とも言う。|| la lecture des journaux ···, quand ils parlent de ··· ひとつのセンテンスの前半をフローラが、後半をセリーヌが言っていることになる。|| des choses ou des gens としたくなるが、個々の事柄について具体的に問題とするのではなく、話題のジャンルを漠然と示すときの parler de に続く名詞は無冠詞になる。des (de + les) としてしまうと姉妹がスワンのことをそれとなく仄めかしていることにならなくなる。|| enchérir 自動詞なので直接目的補語は付かない。 もとの意味は、競売の際に物品を自分が買いたくてさらに高い値段を言うことである。セリーヌはフローラが言ったことの中での重要な点を際立たせ、強調するために言い足した。

Ce que je reproche aux journaux, c’est de nous faire faire attention tous les jours à des choses insignifiantes tandis que nous lisons trois ou quatre fois dans notre vie les livres où il y a des choses essentielles. Du moment que nous déchirons fiévreusement chaque matin la bande du journal, alors on devrait changer les choses et mettre dans le journal, moi je ne sais pas, les… Pensées de Pascal ! (il détacha ce mot d’un ton d’emphase ironique pour ne pas avoir l’air pédant).

|| スワンの台詞が続く。前のほうで、スワンが面白い話は絶対にしないというようなことが書いてあったが、ほんとうにつまらない話だ。しかし、その話しぶりには熱意が感じられる。|| 人生において三、四冊の良書にめぐりあうと解釈すると間違い。ひとりの人間の人生で三、四冊では少なすぎる。良書があったらそれを人生で三、四回再読するという意味である。したがって、良書に定冠詞が付く。現代では好きな本でも二回読むことはあっても、三回、四回再読する人はいないと思うが、昔は本も少なかったので人生のうちで三、四回再読することもあったと充分に考えられる。しかし、ここでスワンは、たとえ良書であっても、たったの三、四回しか読まないと言っているのである。そのように解釈すると、次に続く台詞の、立派な本は十年に一度しか読まないといったような表現とともに文脈が一貫したものとなる。|| Du moment que 前の方での大叔母さんの台詞にも使われていた語であるが、「何々をかんがみて」という意味。|| fiévreusement (つまらないものであるにもかかわらず)真剣な面持ちで、おお真面目に、一生懸命、熱心に。手が震えているような感じも想像される。|| changer 私は個人的にこの単語が苦手で、昔、この単語に関するサイトページを作ったことがある。
動詞 change の使い方
この部分の台詞でのスワンの changer の意味は、名詞 les choses が何のことであるかに左右される。既に使われている物を捨てて、別な物を採用するという意味なのか、一般的な事物の総体に関する単なる言い回しとしての「もの」のあり方を変えるという意味なのか、私は知らない。ちなみに、前出の Tenez で始まるスワンの台詞にある les choses n’ont pas énormément changé は同じものの変化を意味していた。私が嫌いなのは、動詞 changer が他動詞で使われているとき、直接目的語の物を捨てて新しく別の物を使うのか、同じものを使い続けるのであるが、その物の質などを変化させるのかが曖昧な点である。たとえば前者は髭剃りの刃の交換などであり、後者は発声の訓練により歌声を良く響くようにするといったような場合である。別の動詞を使えばよいというのは当たり前の話。|| スワンの台詞の中で nous と on が使い分けられている。ここでの on は、世の中、ことに出版業者側をさしていると言える。

Et c’est dans le volume doré sur tranches que nous n’ouvrons qu’une fois tous les dix ans, ajouta-t-il en témoignant pour les choses mondaines ce dédain qu’affectent certains hommes du monde, que nous lirions que la reine de Grèce est allée à Cannes ou que la princesse de Léon a donné un bal costumé. Comme cela la juste proportion serait rétablie. »

|| doré sur tranches ページの外側の縁が金色になっている ||毎朝、毎晩、一生懸命に読む新聞にくだらないことが載っていて、たまにしか読まない本にためになることが書いてあるのならば、いっそのこと逆にして、新聞に真面目な内容を載せ、小口の部分が金色に塗ってあるような高価な本にくだらないゴシップなどが書いてあれば丁度いいのに。|| en témoignant 感情を表しながら || dédain あざけり、軽蔑。|| affecter 気取って何々するかのような振りをする。 || スワンは何処々々のプリンセス、何処々々の王女がパーティーをしたという類のくだらない話が実は大好きなのであるが、それを皆に隠すために、いかにも軽蔑したような素振りで話していた。|| lirion と serait は条件法。ここでは、「こうだったら、よいだろうに」という空想的願望の気持ちを表す。現実とは異なるので条件法が用いられる。|| la juste proportion 理にかなっている状態

Mais regrettant de s’être laissé aller à parler même légèrement de choses sérieuses : « Nous avons une bien belle conversation, dit-il ironiquement, je ne sais pas pourquoi nous abordons ces « sommets », et se tournant vers mon grand-père : « Donc Saint-Simon raconte que Maulevrier avait eu l’audace de tendre la main à ses fils. Vous savez, c’est ce Maulevrier dont il dit : « Jamais je ne vis dans cette épaisse bouteille que de l’humeur, de la grossièreté et des sottises. »

|| même légèrement 後悔する、悔いる、という語の後で、「たとえほんの少しであっても」真面目すぎることを話題にしてしまって。 || se laisser aller à 不定詞や定冠詞つきの名詞が続いて、興奮してしまったり、怒ってしまったりする状態を表す言い方 || parler de choses sérieuses 前出の場合と同じく、しゃべる話題の内容ではなく漠然とジャンルなどを問題とする場合は parler de のあとに冠詞は付かない。|| belle conversation, “sommets” 話題が真面目すぎてつまらないことを反語的に表現。この意味での sommets は常に複数。反語として引用符に入って書かれている。|| épais ここでは「がさつ」の意 || humeur 苛立ち、不機嫌など、不安定な精神状態のこと。(ユーモアは別の語 “humour”)。|| この部分の会話は、語り手の母方の人達とスワンの会話であるが、他人行儀な礼儀を守りながらの会話となっている。|| Maulevrier スペイン在住のフランス王国大使 || (下にサン・シモンの文を載せるが、かなりひどい日誌だ。昔の文なので -ait が -oit となるような変化で書かれている。”Mémoires”は様々な形で出版されているようで、第何巻の第何章というのは、版によって違いがあるようだ。マルセル・プルーストがサン・シモンを好きだというのは、たぶん「私」を語り手として、少しずつ少しずつどんどん書いていくうちにすごい量になっていまうあたりなのではないだろうか。アレクサンドル・デュマ父も小説を書くコツは、少しずつ少しずつ話を進めていくように書くことだと言っていた。作家、文筆家というのは、それが好きな連中なのだ。)

Louis de Rouvroy, duc de Saint-Simon 1675-1755 “Mémoires” Tome 19, Chapitre 2, (ou Tome 12, Chapitre 9)
スワンがこのことを話題にした意味が難しいかもしれない。現在、フランスの大統領の任期は五年で、これを quinquennat キャンケナと呼んでいる。大統領はいつもは偉そうにそっくり返っているが、選挙が近づくと急に愛想がよくなり、わたくし不肖ドン・ガバチョに清き一票をと一般市民のひとりひとりと握手をしたがる。大統領のほうから一般市民に握手をしたがるのだ。皆も未来の大統領と握手ができるとなると必死で寄ってくるので、群集ができ、未来の大統領も右手と左手で同時に二人ずつ握手をする。握手ができた人は皆、未来の大統領と握手をしたぞと興奮して大喜びし、選挙日にはひとりのファンとして一票入れるというわけだ。そして何年経っても、サルコジと握手をしたことがあるなどと言っては自慢することになる。私自身もいろいろな有名人と握手をしたが、手の感触は不思議なもので、どの手もはっきりと憶えている。たとえば、l’abbé Pierre の暖かい柔らかい老人の手、美人ニュースキャスターの Émilie Besse は話の始めと終わりで二回握手したので冷たい細い手など、しっかりと記憶している。と自慢する。サン・シモンはフランスの偉い貴族であり、フランスの王様ルイ・ナントカと関係があるような人物で、さぞかしそっくり返って歩いていたに違いない。ものすごく立派な服を着ていたことであろう。スワンは真面目そうに見えていながら実は何々公爵、何々伯爵とかいうような世界が大好きで、社交界のパーティーなどが大好きなのだが、それではシルクハットに燕尾服でお酒を飲んでいるのが好きなのかと言ったらそれだけではなく、何々公爵と友人だ、何々伯爵と友人だ、何々侯爵夫人を知っている、どこかのプリンセスに、お近づきになれて光栄ですなどというのが大好きなのだ。サン・シモン侯爵がマドリッドに政治的仕事で訪れた際、モレブリエという下品な男がうろうろしていたのが目について嫌な気がした。二、三日後、何かの儀式のとき、その男が厚真かしくも、何を間違えたのか、あとから皆に自慢するためか、自分がサン・シモン侯爵と友達だとでも言うためか、もしカメラがあったならその瞬間を撮っておきたいぐらいだ、YouTubeにアップロードだという感じで、サン・シモン侯爵の子供達と握手をしようとして手を伸ばし、寄ってこようとした。侯爵はすぐにその気配を察知し、未然にそれを防いだという話。これは、たとえば、エリザベス女王が何かの屋外での儀式に出ているときに、群集から男が飛び出して女王に近づいた際、ひとりの優秀な護衛兵がいち早くそれに気づき、もののみごとに男を捕まえて女王を守ったということを素晴らしいと考えるのと同じだ。スワンはサン・シモン侯爵の高貴さと機転に関心しているというわけだ。さすが侯爵様は鋭い、このようなことが人生ではとても大切なことなのだとスワンは考える。スワンは、新聞はくだらないことばかり載っている、本のほうが内容は充実していると気取って喋りながらも、彼が言うところの「良い内容」も実は極度にミーハーであったのだというオチ。
スワンは姉妹が遠まわしにワインのお礼を言っていることには気がつかなかったようだ。そして、サン・シモンの言った言葉の中に bouteille という避けるべき語が入っているのことにもスワン自身は気づかない。スワンは神経が細かそうでいて、実は穴だらけであり、やさしそうに見えてゴマカシばかりしているような、フランス人によくあるタイプだった。

— « Épaisses ou non, je connais des bouteilles où il y a tout autre chose », dit vivement Flora, qui tenait à avoir remercié Swann elle aussi, car le présent de vin d’Asti s’adressait aux deux. Céline se mit à rire. Swann interloqué reprit : « Je ne sais si ce fut ignorance ou panneau, écrit Saint-Simon, il voulut donner la main à mes enfants. Je m’en aperçus assez tôt pour l’en empêcher. »

|| où 古いフランス語では前置詞+関係代名詞をこの語で代用できる。|| aux deux 先ほど Vinteuil を用いたお礼をセリーヌが言ったので、今度はフローラの番 || interloqué : この単語は interlocuteur という語とは全く異なる語なので注意。スワンは唖然としたという意味。なぜ二人に女性が突如笑い出したのかをスワンは理解していない。|| panneau 罠。侯爵の子息に対し、身分の低い人間のほうから握手をしようと手を出してはいけないのだが、子供だから分からないだろうという「ずるい」気持ちであったのだろうかというような、イヤミを込めた表現。

Mon grand-père s’extasiait déjà sur « ignorance ou panneau », mais Mlle Céline, chez qui le nom de Saint-Simon — un littérateur — avait empêché l’anesthésie complète des facultés auditives, s’indignait déjà : « Comment? vous admirez cela ? Eh bien ! c’est du joli ! Mais qu’est-ce que cela peut vouloir dire ; est-ce qu’un homme n’est pas autant qu’un autre ? Qu’est-ce que cela peut faire qu’il soit duc ou cocher s’il a de l’intelligence et du cœur ? Il avait une belle manière d’élever ses enfants, votre Saint-Simon, s’il ne leur disait pas de donner la main à tous les honnêtes gens. Mais c’est abominable, tout simplement. Et vous osez citer cela ? »

|| ここでのセリーヌの台詞には反語的な表現が用いられている。サン・シモンは、この場面よりも二百年ほど前の人物である。|| pas…à tous les… この pas は tous を否定しているので、「良い人だからといって必ずしも握手に答える必要はないと教えているのだがら、それはまたずいぶん素晴らしい教育者ね」のような意味となる。si は仮定ではなく、何々であるからしてという事実的な根拠を表す。古い日本語での、未然形の何々ならばと已然形の何々なればの使い分けが参考となるであろう。|| マルセル・プルーストはサン・シモンを文筆家として尊敬していたようだが、サン・シモンの原文において既にそうなっているように Je ne sais si ce fut ignorance ou panneau という文は、簡素化が酷すぎる。正しく書くならば、たとえば、Je ne sais si ce fut par ignorance ou pour les faire donner dans le panneau といったような長さの文になるはずである。お祖父さんは、うっとりとしたと書いてあるが、それはこの極度の簡素化にうっとりしたのであろう。次に続く台詞でも、語り手の母親に教えてもらったピエール・コルネイユの一行についても、お祖父さんは間違えていながら、これは素晴らしいと言っている。Seigneur, que de vertus vous nous faites haïr !” 正しいピエール・コルネイユの一行は、O Ciel, que de vertus vous me faites haïr! これをサン・シモンが “Mémoires” の先ほどとは別の箇所で引用しているのだが、サン・シモンもまた間違えている。Seigneur, que de vertus vous me faites haïr!

Et mon grand-père navré, sentant l’impossibilité, devant cette obstruction, de chercher à faire raconter à Swann les histoires qui l’eussent amusé, disait à voix basse à maman : « Rappelle-moi donc le vers que tu m’as appris et qui me soulage tant dans ces moments-là. Ah ! oui : « Seigneur, que de vertus vous nous faites haïr ! » Ah ! comme c’est bien ! »

|| faire raconter à Swann les histoires qui l’eussent amusé 使役の faire であり、le はお祖父さんのこと。お祖父さんは自分が楽しめるような話をスワンが話せるようにもっていくことができなくて || eussent amusé この接続法大過去は条件法過去第二形である。姉妹の邪魔によってすっかり雰囲気がわるくなり、スワンの話が遮られてしまうというもどかしさであり、本来ならばお祖父さんを喜ばせるはずであったということが反実であるため、条件法過去第二形が用いられる。|| Ah ! oui の前で、語り手の母親がお祖父さんに小声で教えている台詞は、ここには書かれていない。ちなみに、実際のプルーストの母親は、とても文学好きな人であったそうである。|| que de 名詞の複数が続いて、何と多くの何々。|| ピエール・コルネイユの話で、昔、何とかと言う娘がいて、大嫌いな男と結婚しなくてはならなくなった。両親や周りの人達は「彼はお金持ちの良家の立派な偉い人であり、徳のある人であるのだから、これはとても素晴らしい結婚ではないか」と言うのだが、そのときの娘の心の中の叫びは「おお、運命の神よ、あなたのおかげて私は様々な徳というものが全部嫌いになりました」 Seigneur, que de vertus vous me faites haïr! というもの。ここでは、スワンの考えている徳と老姉妹が考えている徳が異なるものであることから、会話がとげとげしいものになってしまったことをさすと考えていいかもしれないが、何となくお祖父さんがそれを言ってもしっくりこないようなチグハグな感じがする。立派な人が立派にしていると反感を持たれるのだが、スワンはサン・シモンはそれほど立派な人だったと言いたいのだ。姉妹はサン・シモンは実るほど頭を垂れる稲穂かなの逆だと言いたい。スワンはサン・シモンが実っていて、カッコイイと言いたい。いずれにせよ、この会話では姉妹とお祖父さんとスワンのそれぞれの話がそれぞれ自分勝手で、尚且つ、相手に伝わっていないというネタである。とくにスワンに姉妹のお礼が伝わっているような様子が書かれておらず、これは伝わっていないと考えると面白い。

Je ne quittais pas ma mère des yeux, je savais que quand on serait à table, on ne me permettrait pas de rester pendant toute la durée du dîner et que, pour ne pas contrarier mon père, maman ne me laisserait pas l’embrasser à plusieurs reprises devant le monde, comme si ç’avait été dans ma chambre.

|| plusieurs 形容詞だが不変であり、当然いつも複数であり、女性名詞を修飾する場合も plusieures とはならない。|| comme si に続く内容は反実であり、現在の話のなかでは直接法半過去、過去の話のなかでは直接法大過去となる。|| ç’avait été 中性指示代名詞 ce のあとに a- で始まる動詞が続く場合は c’a- では発音が「キャ」になってしまうので、ç’a- となる。ちなみに、「昨日のコンサートは良かったですか」「昨晩のケーキは美味しかったですか」などの意味で「サエテ?」と聞かれることがしばしばある。これをどう書くかというのがフランス人の間でも問題となる。可能性としては、”Ça était ?”, “Ç’a été ?”, “Ça a été ?” があるが、”Ça a été ?” と書かれるのが正しい。

Aussi je me promettais, dans la salle à manger, pendant qu’on commencerait à dîner et que je sentirais approcher l’heure, de faire d’avance de ce baiser qui serait si court et furtif, tout ce que j’en pouvais faire seul, de choisir avec mon regard la place de la joue que j’embrasserais, de préparer ma pensée pour pouvoir grâce à ce commencement mental de baiser consacrer toute la minute que m’accorderait maman à sentir sa joue contre mes lèvres, comme un peintre qui ne peut obtenir que de courtes séances de pose, prépare sa palette, et a fait d’avance de souvenir, d’après ses notes, tout ce pour quoi il pouvait à la rigueur se passer de la présence du modèle.

|| je sentirais approcher l’heure / sentir, voir, entendre などは、それらの直接目的補語がする動作を不定詞で続ける。不定詞の主語の名詞は不定詞の後に来ることができる。approcher は「何々を近づける」という他動詞であり、「何々に近づく」は、自動詞として後に de をつけて続けたり、 s’を前につけて de とともに代名動詞で使うが、決まった言い回しでそのまま使われる場合がある。voir approcher l’heure などは、この形で固定されている。|| d’avance 前もって何々をしておく || de ce baiser qui serait si court et furtif, tout ce que j’en pouvais faire seul, 代名詞 en の内容 de 何々を先に提示しておき、あとから en を使う。皆の目を気にしながらの短いキスに関して、前もってしておけるようなことは前もってしておく。|| avec mon regard キスは自分のくちびるでするのだが、母親の頬のどの部分にキスをするかは、キスに先立って自分の目で決めておくことができ、さきに決めておけば、実際にくちびるでキスをするときには、短い貴重な時間をキスに集中させることができる。|| ma pensée キスは自分のくちびるでするのだが、自分の頭の中は前もって精神統一をしておき、くちびると母親の頬との接触の感覚に集中できるように構えておくことができる。|| toute la minute 一分間とは、人目を気にしているわりには、かなり長いと思う。toute la seconde ではないのが。|| pose エッチな読者はすぐ女性のヌードだと思うかもしれないが、必ずしもヌードとは限らない。服を着たじじいかもしれない。一時間いくらで頼んでも、その一時間は、あっという間に過ぎるのであろう。今の画家は写真を撮っておくということもするようだ。|| de souvenir 記憶のみによって。モデルなしで絵を描くことを peindre de chic と言うが、岩崎ちひろさんはモデルなしでも子供の年齢の一ヶ月の違いを描き分けたといわれている。|| notes スケッチブックであるが、昔は文房具屋さんや画材屋さんにこれがスケッチブックでごさいますというようには売っていなかったはずだ。画家は普通のノート帳を使ったのだが、皆、とても小さな帳面、手帳のようなものを多く使っていたような気がする。|| il a fait tout ce pour quoi il pouvait à la rigueur se passer de la présence du modèle. モデルなしで済ませられることは、前もって最大限にしておいた。à la rigueur はここでは限界ギリギリまでという意味。|| tout ce que ではなく tout ce pour quoi は珍しい言い方であるが、なぜ pour を使うかは、次のように書くと分かる。il a peint d’avance l’arrière-plan, puisqu’il pouvait se passer de la présence du modèle pour peindre l’arrière-plan. すなわち、そもそも se passer には直接目的語は付かない。なしで済ます対象は de qqch である。したがって tout ce qu’il pouvait se passer と書いてしまうと、明らかに間違いとなる。

Mais voici qu’avant que le dîner fût sonné mon grand-père eut la férocité inconsciente de dire : « Le petit a l’air fatigué, il devrait monter se coucher. On dîne tard du reste ce soir. » Et mon père, qui ne gardait pas aussi scrupuleusement que ma grand’mère et que ma mère la foi des traités, dit : « Oui, allons, vas te coucher. » Je voulus embrasser maman, à cet instant on entendit la cloche du dîner. « Mais non, voyons, laisse ta mère, vous vous êtes assez dit bonsoir comme cela, ces manifestations sont ridicules. Allons, monte ! »

|| avant que 接続法で、しばしば虚辞の ne が入る。sonné の後にコンマが打たれていないが、副詞的に時を表す語の後では通常コンマが打たれる。|| du reste おまけに。|| pas aussi scrupuleusement que ma grand’mère et que ma mère 比較の対象のための接続詞 que を反復することにより、まずお祖母さんほどではなくと比較し、またさらに母親ほどでもなくと二段階的に比較され、お祖母さんと母親が別々に分けて表現されている。que ma grand’mère et ma mère とすると、お祖母さんと母親が二人そろって同程度にきっちりしているような感じがしてしまう。|| garder la foi des traités 条約を守る。八時になったら、二階に上がるという規則。お祖母さんな母親は、規則をきっちりと守るので時計が八時を打ったら子供が寝るようにするのだが、父親はそのことに関してそれほどきっちりとはしていないので、まだ正確には八時になっていないのにもかかわらず子供に寝るように命令してしまった。|| allons 「さあ」と掛け声のような語であり、行くという意味はない。フランス人は犬に、さあ、こっちに来い、と言うときに “Allez! Viens ici!”などと言うが、犬は行くのか来るのかで迷うのでそのように犬を呼んではいけないのだと、テレビで犬の飼い方を説明していた。

Et il me fallut partir sans viatique ; il me fallut monter chaque marche de l’escalier, comme dit l’expression populaire, à « contre-cœur », montant contre mon cœur qui voulait retourner près de ma mère parce qu’elle ne lui avait pas, en m’embrassant, donné licence de me suivre.

|| partir sans viatique : 小室等は The Moon and Sixpence のつもりで六文銭という名をグループ名にしたそうだが、皆はこれによって三途の川を渡る舟の料金が六文銭であることを知った。viatique ヴィヤチークとはどうやらそのようなものらしい。桃太郎のキビ団子のようなものでもあるようだ。私はこの語は知らなかったので語の意味をここに書いても、いま読者自身で調べることと一緒なので書かない。古くからの特別な歴史をもった語なので、この語について書いたらすごい量になるだろう。|| このセンテンス全体を眺めると、viatique = licence になっている。文の中心は mon cœur という語であり、代名詞 lui も使われ、語り手からの距離を伴ったひとつの実体のように扱われている。日本語の「心臓」は心という字を使っているが、これは横文字を森鴎外か誰かが適当に訳した名称であろうと思ってインターネットで調べると、面白いことに心という漢字は心臓の形の象形文字からできているそうだ。通常、à contrecœur と書くが、この副詞の後で今度は名詞で contre mon cœur と書き、より実体的な存在として書かれている。ここでは、日本語での「心」という語よりも、外来語の「ハート」のほうが適当であるように思われる。歌の歌詞にもしばしば使われるハートという語に相応しい日本語は見当たらないのかもしれない。「胸」という語のほうが「心」よりも近いような気がする。ここでの expression populaire とは、この副詞が「日常的によく使われている」という意。donner licence は資格が与えられることであり、社会的ひとりだち、就職や職業的独立につながる。たとえば、理容師になりたい人が試験を受けて理容師の資格を与えられ、その資格を美容院の雇い主が見て「ここで働いていいよ」と承認するのである。en m’embrassant, ma mère n’avait pas donné à mon cœur licence de me suivre であり、bisou = viatique = licence ということがセンテンスの骨組みになっている。このセンテンス、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』という作品のなかで特に有名なこのセンテンスの大切な意味的な構造を考えよう。ma mère n’avait pas donné à mon cœur licence de me suivre : ここには少年の尋常ではない悲しみの涙が表現されているので、この名文をしっかりと理解しておく。ハートに向かって「資格がないよ」と言っているのは少年自身だ。「一緒に階段を上ってきてもいいよ」と資格を承認するのは少年「ボク」自身だ。つまり、少年は自分のハートに向かって「おまえはママのキスをもらってないから、ボクと一緒に階段を上ってきちゃだめだ」と言っているのだ。これは、すごい。センテンスの始めでは il me fallut が二回繰り返されている。monter という語も繰り返されている。mon cœur qui voulait retourner 母親のところに戻りたいと思っているのはハートのほうであり、したがって階段をゆっくりと一段一段上っている少年「ボク」のほうは願望すらも失った空虚な暗い存在として放心状態の抜け殻のように表現される。そして、自分のハートに向かって「ボクと一緒に階段を上ってきてもいいとは言ってないぞ」と言っているのである。

Cet escalier détesté où je m’engageais toujours si tristement, exhalait une odeur de vernis qui avait en quelque sorte absorbé, fixé, cette sorte particulière de chagrin que je ressentais chaque soir, et la rendait peut-être plus cruelle encore pour ma sensibilité parce que, sous cette forme olfactive, mon intelligence n’en pouvait plus prendre sa part.

|| センテンスの中心はニスの臭いである。|| 何かにこのニスの匂いが浸み込んでいたと読むと誤読となる。absorber はスポンジが液体を吸収するようなときに使われる動詞であるが、それに反し、ここではニスの臭いに悲しみが浸み込んでいることを表しているのである。ニスの臭いには僕の悲しみが既に混ざっていた。|| chagrin は男性名詞であるが、cette sorte particulière de chagrin と書かれているので、後に続く代名詞は女性形となる。(= l’odeur de vernis rendait le chagrin plus cruel) || 通常、intelligence は知性と訳されるのであるが、Contre Sainte-Beuve の序文にもあるとおり、プルーストは意識の意で用いることがある。フロイトそのままになってしまわないように、精神の領域としての意識の意味で la conscience という語を使うことを故意に避けているようにも見える。|| prendre part という言い方は、ここでは “Je prends ma part du gâteau” のように使われている。臭覚と結びついた悲しみの感覚には、もはや意識が介入できる部分、意識によって救われる部分はないのだった。前のセンテンスでは意識とハートが分割されていたが、このセンテンスでは感覚と意識の分割によって少年の悲しみが具象的に表現されている。|| en quelque sorte および cette sorte particulière de という口ごもるような、言いよどむような言い回しにより、語り手が言葉ではそもそも表現できない感覚的要素の領域を言葉で表現しようとしていることが分かる。|| peut-être plus cruelle encore pour ma sensibilité : この書き方は『失われた時を求めて』の始めの部分の文を思い出させる。aussitôt je recouvrais la vue et j’étais bien étonné de trouver autour de moi une obscurité, douce et reposante pour mes yeux, mais peut-être plus encore pour mon esprit, à qui elle apparaissait comme une chose sans cause, incompréhensible, comme une chose vraiment obscure.

Quand nous dormons et qu’une rage de dents n’est encore perçue par nous que comme une jeune fille que nous nous efforçons deux cents fois de suite de tirer de l’eau ou que comme un vers de Molière que nous nous répétons sans arrêter, c’est un grand soulagement de nous réveiller et que notre intelligence puisse débarrasser l’idée de rage de dents de tout déguisement héroïque ou cadencé.

|| 引き続いて、精神の領域としての意識をプルーストは conscience ではなく intelligence という語で記していると解される。夕食の際に歯茎が微かに動かされ、寝てからうっ血が増え、睡眠中に歯痛が起こった場合、歯痛が夢の中では「溺れている少女」であったり「何回も繰り返される一行」であったりするが、目が覚めると意識はそれらが単なる歯痛であったことを認識する。溺れている少女を何回こころみても助けられない精神的な焦りや同じ一行を繰り返さなければならない精神的な苦しみが、単なる身体的な痛感であったことを意識が認識して安心する。|| et qu’une rage de dents この que は quand の代用。|| tirer de l’eau 溺れているところを救い出す。|| débarrasser A de B ; これは B を A の表面から払いのけるという言い方である。|| c’est un grand soulagement que… : 従属節の法は主節の語によって既に決定されているので迷うことはないのだが、このように頻度の低い細かな例となると、書く人の考えに左右される。ここでは感情が込められた主節として従属節には接続法 puisse が使われている。|| cadencé 文が詩のように韻律を供えている状態

C’est l’inverse de ce soulagement que j’éprouvais quand mon chagrin de monter dans ma chambre entrait en moi d’une façon infiniment plus rapide, presque instantanée, à la fois insidieuse et brusque, par l’inhalation — beaucoup plus toxique que la pénétration morale — de l’odeur de vernis particulière à cet escalier.

|| j’éprouvais の直接目的補語は名詞 l’inverse であり、ce soulagement ではない。この単語には二種類あり、それは男女同形の形容詞と名詞である。意味は、順序が逆であるということだ。最初が最後になり、最後が最初に来ること。副詞句として動詞を修飾する場合は à l’inverse となる。この文章では、C’est l’inverse de…であり、C’est à l’inverse de…ではない。名詞 inverse は「順番が反対のもの」という意味。仮に感覚と意識に分けて考えるとすれば、感覚は肉体的であり言葉をもたない領域であり、意識は言葉が中心となるといったようなことが言える。歯痛の比喩では、苦痛は最初に感覚の中で無意識な夢として身体的に現われ、目覚めとともに意識によって観察され、納得される「順序」であった。それに対し、少年の悲しみは最初は母親とのキスがなかったという意識内の悲しみであったものが、階段に来ると、ニスの臭いにより感覚的な悲しみ、言葉による概念化の及ばない領域での悲しみになってしまう。意識のなかでの悲しみは、少年が階段にさしかかったとたんに透明な毒ガスを鼻から一気に吸い込むかのように肉体的、感覚的な悲しみとなり、思考ではかなわない領域、意識よりも強い、身体的領域での直接的な悲しみの感覚となってしまう。|| センテンスの始めの部分を書き直すと次のようになる。Quand mon chagrin entrait en moi, j’éprouvais l’inverse.

Une fois dans ma chambre, il fallut boucher toutes les issues, fermer les volets, creuser mon propre tombeau, en défaisant mes couvertures, revêtir le suaire de ma chemise de nuit. Mais avant de m’ensevelir dans le lit de fer qu’on avait ajouté dans la chambre parce que j’avais trop chaud l’été sous les courtines de reps du grand lit, j’eus un mouvement de révolte, je voulus essayer d’une ruse de condamné.

|| une fois に状況補語や過去分詞を続けることができる。|| ここでプルーストはコンブレーの少年の部屋を墓になぞらえている。比喩であるが、日本語でひとくちに比喩といってもフランス語には五種類の比喩があり、フランスの子供たちは国語の授業で習う。比喩の種類を簡単にまとめておく。
・comparaison : あるものの動作や状態を comme を使って、まるで何々のように、と違ったカテゴリーに属する別なものにたとえる。「形容詞 comme 名詞」という形が多い。Ma fille est très bavarde comme une pie.
・métaphore : 比喩によって表現される対象を言わず、比喩のみを言う。名詞のみという形になる。 Il y a une pie dans ma famille.
・allégorie : 抽象的な概念を具象的な別な物によって理解するための表現方法。電流を水流で理解するなど。
      apologue : 短い教訓話。parabole と fable とがある。
      parabole : 宗教的な意味があり、聖書などに見られる。
・fable : 供向けに道徳的な教訓が書かれる。Cf. la moralité
・périphrase : 直接的な単語を言うのが憚られる場合に、別の単語でナゾナゾのように言う。お祖母さんの姉妹のはこれか。

ここでのプルーストの比喩は、部屋の物と墓の物の両方が並べて書いてあるので、comparaison であると言える。まず、お墓関係の物を挙げ、そして部屋においてそれに対応する物を言う。

1. il fallut boucher toutes les issues, fermer les volets, 棺の蓋などに隙間ができていたら密閉するために布などを詰める。大昔は棺おけの隙間に土を詰めたかもしれないが、いずれにせよ、棺は密閉したくなるのが人情だ。それに対応するものとして、窓の外側のよろい戸を閉める。
2. creuser mon propre tombeau, en défaisant mes couvertures, 棺を埋める穴を地面に掘る。それに対応するのが、毛布をめくる動作。
3. revêtir le suaire de ma chemise de nuit. suaire はキリストのものが有名だが、あれはレオナルド・ダ・ビンチが王様か誰か(多分、フランソワ1世)に頼まれて、白い布に特別な液体を染み込ませて、写真のようにダ・ビンチ自身の顔を「撮影」したものという説がある。火事の時に消防士が運び出している映像がある。”le suaire de Turin” “le Linceul de Turin”。パジャマが対応する。
4. m’ensevelir dans le lit de fer. 埋葬するという意味での動詞 ensevelir dans が再帰動詞として使われることは極めて稀である。ひとつの動詞に二重の意味を持たせたもの。
|| j’avais trop chaud l’été : 時の副詞としての季節の言い方は季節によって不規則だ。/ au printemps デパートの名前でもある。/ en été, l’été / en automne / en hiver || j’ai eu un mouvement de révolte. / il y a eu un mouvement de révolte. 「反逆」は、このように言うが、この語を機械的に反逆と訳すよりも、囚人に関する語として「抵抗」とすべきであろう。|| condamné : le lit de fer が何となく刑務所の牢を連想させる。

J’écrivis à ma mère en la suppliant de monter pour une chose grave que je ne pouvais lui dire dans ma lettre. Mon effroi était que Françoise, la cuisinière de ma tante, qui était chargée de s’occuper de moi quand j’étais à Combray, refusât de porter mon mot. Je me doutais que pour elle, faire une commission à ma mère quand il y avait du monde lui paraîtrait aussi impossible que pour le portier d’un théâtre de remettre une lettre à un acteur pendant qu’il est en scène.

|| プルーストは Mon effroi est que に続く動詞を接続法にしているが、これは用法として決定している言い回しではなく、危惧をあらわしているからという理由によって接続法が用いられている。一方、次にある Je me doute que は必ず直接法と決まっているので、もしも接続法にしたら文法的な誤りとなる。|| pour elle は lui paraîtrait と意味が重なり多少見苦しいが、pour le portier との同等比較の対照性が際立つものとなる。

Elle possédait à l’égard des choses qui peuvent ou ne peuvent pas se faire un code impérieux, abondant, subtil et intransigeant sur des distinctions insaisissables ou oiseuses (ce qui lui donnait l’apparence de ces lois antiques qui, à côté de prescriptions féroces comme de massacrer les enfants à la mamelle, défendent avec une délicatesse exagérée de faire bouillir le chevreau dans le lait de sa mère, ou de manger dans un animal le nerf de la cuisse).

|| choses qui peuvent ou ne peuvent pas se faire 私は半過去の pouvaient を使うべきと思うのだが。|| ここでの意味でのコードという語は現在は日本語にもなっていて、放送コードに引っかかるなどと使われる。規則において可不可の判断の基準を明らかにする具体的な細かな記述だ。規則の原則よりも、むしろ例外について非常に細かく記述してあったりする。|| impérieux 有無を言わさぬ (形容詞 impérial との混同に注意)|| abondant 規則の根本があやふやなため、あれはダメ、これはよい、の判例が沢山の事柄について、ぐちゃぐちゃに細かくなってしまっている様子 || sur des distinctions 生活上の様々な、どうでもよい事柄に関して || à côté de 「何々を棚に上げて」と訳せるかもしれない。|| prescription ここでは命令の意 || enfant à la mamelle 乳児 || 旧約聖書、すなわちユダヤ教での決まり。出エジプト記 34 26; 申命記 14 21 より、子羊の肉を料理するときには、羊の乳で煮るというようなことをしてはならないという規則。創世記 32 24 より、四足の動物の腿肉を食べるときには、座骨神経 nerf sciatique を取り除いてから食べなくてはいけないという規則。

Ce code, si l’on en jugeait par l’entêtement soudain qu’elle mettait à ne pas vouloir faire certaines commissions que nous lui donnions, semblait avoir prévu des complexités sociales et des raffinements mondains tels que rien dans l’entourage de Françoise et dans sa vie de domestique de village n’avait pu les lui suggérer; et l’on était obligé de se dire qu’il y avait en elle un passé français très ancien, noble et mal compris, comme dans ces cités manufacturières où de vieux hôtels témoignent qu’il y eut jadis une vie de cour, et où les ouvriers d’une usine de produits chimiques travaillent au milieu de délicates sculptures qui représentent le miracle de saint Théophile ou les quatre fils Aymon.

|| nous lui donnions 文頭やセミコロンの後には on が使われているの対し、この部分だけが nous になっているのは、フランソワーズに用事を頼むのは具体的に家の中の人間だけに狭まるからか。|| hôtel ここでは、大きな館の意。仮に手工業が発達した町があり、その町にたまたま古い歴史があったりすると、古い館をそのまま化学製品を製造する工場の建物として使ったりして、労働者が何やら化学製品を作っている周囲には依然として古いエレガントな、しかし何のことやら訳の分からぬ彫刻が並んでいたりするという光景。|| 福島の事故以来、想定外という語がよく使われるようになった。津波の高さが想定外であったというような言い方をする。フランソワーズのコードは、いわば仕事のマニュアルであり、想定されたケースとそれに対応する答えが決まっていて、あたかも彼女はそれに従って自分の仕事として何をすべきかを判断しているかのように見える。ここでいうところのコードとは野球のルールブックのようなもので、野球のルールブックにはファールの連打はバントではだめだがバットをスウィングしてるときはいい、しかし故意にファールを続けるのはプロ野球ではいいが、高校野球ではだめだとか、いろいろな場合を細かく想定して決めてある。塁を守っている選手がランナーをアウトにするには、審判にアピールしないと審判はアウトと言ってくれないとかいうルールも、アピールなしの場合にセーフにしなくてはならない場合があるからだ。はたしてフランソワーズのコードは複雑であり、どのようなケースの想定に基づいて成り立っているのであろうか。それを考えると、どうやらそこに想定されている金持ちの家のケースは田舎の平民であるフランソワーズ自身には無縁の事柄ばかりであり、フランソワーズがそれらを知らないということがコードを複雑にしている理由なのかもしれない。|| mettre entêtement à 何々に関して意固地になる。|| donner commission ちょっとした用事してくれと頼む || prévoir 想定する || suggérer スュグジェレと読む。|| se dire 何々と考える、みなす。|| noble et mal compris いかにも高貴な感じがするのだが、実際、何が何だか分からないような昔話のイメージ。たとえば、日本の仏教のお寺に行ったら、床の間にすごい達筆の掛け軸があり、立派な掛け軸だとは思うのだが達筆すぎて字が読めないような感じだ。違う字だと思っていたり、まったく見当はずれだったりする。フランソワーズは田舎の女性だが、上流社会の人々に対し畏敬の念をもっていて、上流社会の人々の振る舞いを想定してマニュアルのコード、対処の仕方を決めているのだが、実は上流社会の人々の生活の仕方がどういうものかをまったく知らないので、さまざまなケースに対処するためのコードがチグハグであり、見当違いなものとなる。あたかも、フランソワーズの頭の中には何やら古代フランスのようなものが訳の分からないまま存在しているかのようだ || sculpture この p は発音しない

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Dans le cas particulier…
|| フランソワーズのルールブックの中にはフランソワーズ自身が無縁であるような上流階級の生活の要素が絡んでくると、単に雰囲気だけから、憶測で対処方法が決まっていることがある。|| Dans le cas particulier 「ことに」「他とは一緒でない場合」という意味で、「概して、全体的には、一般的には、多くの場合」の反意語として使われる言い方であるが、ここでは、プルーストは少し珍しい意味で使っている。「とくに、今回は」という意味であり、おばあさんの姉妹がワインをもらった後、スワンが夕食に来たその晩を指している。ce soir-là 。日本語に訳すとしたら「とくに、その晩は」と訳すのが正しい。|| l’article du code 名詞 code に定冠詞がついている。修飾する関係節が続き、何々といったケースでの対処の方法に関する記述。関係節の後の exprimait が動詞となる。l’article du code exprimait が、この少々長めのセンテンスの主語と動詞だ。|| il est probable que の後は通常直接法であるが、ここでは peu probable であり、probable とは意味が逆になる。従属節の法は機械的に決定されるものであるだけに、ちょっとした注意が必要だ。il n’est pas probable que の後は il est impossible que などと同様に接続法が正しい。この語は必ず「全体的には何々だ」という概念の中で使われる。il était peu probable que が、ほとんどあり得ないという全体的な意味をもっている。明日はピクニックへ行く、ただし雨天でなければ、の場合は前半が全体を包括するような意味をあまりもっていないので à moins qu’il ne pleuve と言うとフランス人はうなずいてみせるはずだ。|| sauf le cas d’incendie Françoise… ちなみに、incendie は男性名詞。この語と Françoise との間にコンマがないのは où がないので切れ間が明らかであり、コンマは必要ないからであるが、通常はコンマをもっと打ちたくなる。…que, sauf le cas d’incendie, Françoise… || pour un aussi petit personnage que moi これを pour une aussi petite personne que moi とすると年齢的に幼少であるという意味になっていまう。「僕などのために」「大切な仕事の際には気にかける必要のない」という意味であるのだが、この形容詞には勿論小さな子供という意味もここでは同時に含まれている。また、前文の俳優と舞台のたとえにも続いている。|| le respect pour les parents フランソワーズが少年の頼みを断る際に、article が理由として説明している判断基準は、この respect だ。フランソワーズが少年に professer する。お父さんとお母さんは、今、忙しいからだめよ。なぜ、だめよ、なのかという理由はチグハグであり、何となくそのように考えるのが正しいような気がするという程度にすぎない。亡くなった人たちはそっとしておく、神父さんは偉い、王様は偉い人だ、など。なぜ偉いのか、その理由を尋ねられると答えに困るのだが何となくそういうことになっているのだ。お客様も偉い。|| センテンスのなかほどに冠詞のない respect があるが、同格語がコンマの後に冠詞ぬきで置かれるのと同様に、ここでは関係代名詞 qui の先行詞が respect であることを繰り返しているのでコンマの後に冠詞は付かない。 || le respect qui m’aurait peut-être touché dans un livre 条件法が使われるのは、これはたとえであり、実際に一冊の本を読み、その中で実際に感動したのではないからであり、反実仮想である。 le respect qui m’aurait peut-être touché, si cela avait été dans un livre || le respect qui m’irritait toujours dans sa bouche こちらは事実としてあったことなので直接法。|| le respect qui m’irritait à cause du ton grave et attendri qu’elle prenait pour en parler 低めで、わざとらしくやさしく言って聞かせるような声の調子で、お父さん、お母さん、お客さんは偉いから邪魔してはいけないのよといい加減なことを言う。 en parler = parler du respect || le respect qui m’irritait davantage ce soir où le caractère sacré qu’elle conférait au dîner avait pour effet qu’elle refuserait d’en troubler la cérémonie. : ce soir が時の副詞として用いられているが、それを先行詞として関係代名詞 où が続いてもフランス文法として本当に正しいのかどうかは私が判断するところではない。|| en troubler la cérémonie = troubler la cérémonie du dîner プルーストは、なぜこの夕食を邪魔してはいけないのかをフランソワーズが少年に説く際の理由が、実はフランソワーズ自身が勝手に何となくそう思っているにすぎないことによっていると指摘する。フランソワーズの循環論法だ。フランソワーズはこの夕食が大切なものであると考える、なぜならばフランソワーズはこの夕食が大切なものであると考えるからだ。le caractère sacré の循環論法のいい加減さに対し少年は苛立つ。

Mais pour mettre une chance…
|| de mon côté 私に有利になるように。|| 通常、小説などでは、si に続く条件節があると反実仮想であることがほとんどであり、ここのように普通の条件文が書かれているとかえって奇異な感じを受ける。現在の話での普通の条件文は、si に続く条件節が現在であるのに対し、主節は未来になる。si に続く条件節の内容は時間的には未来であるので未来にしたい気持ちがあるが、si のあとで未来形を使うことは絶対的に禁止されている。現在の話として書くと次のようになる。(なお、プルーストはここで si の前にコンマを打っていないが、通常は si の前ではコンマを打つ。 )
Elle sera certainement très fâchée, si on ne lui remet pas ce mot.
もしも、これが現在の反実仮想であり、「今、ことづてを渡さないことにしたのであるならば、母親は怒っていることであろう。(しかし、実際は渡すことにしたので母親は怒っていない)」という意味の文を書くならば次のようになる。
Elle serait certainement très fâchée, si on ne lui remettait pas ce mot.
すなわち、現在の話での反実仮想は、過去の話しでの実現可能な条件文に等しい。

Je pense que Françoise…
|| Je pense que Françoise ne me crut pas, 先ほどの過去における実現可能な条件文も珍しいが、ここでの現在形と単純過去の組合わせも相当珍しい。両方とも単純過去で Je pensai que Françoise ne me crut pas, あるいは両方とも半過去で Je pensais que Françoise ne me croyait pas, とするのが自然であるが、読者は小説の舞台設定であるところの現在 Longtemps, je me suis couché de bonne heure. に連れ戻される。|| comme les hommes primitifs ついにフランソワーズは原始人になぞらえて述べられるにいたり、我々、ホモサピエンスと比較される。|| comme si l’examen du papier et l’aspect de l’écriture allaient la renseigner… 私には、これは誤りで、étaient allés la renseigner のように書かれるべきてあると思うのだが、相手がプルーストとなると、おいそれと私の方が正しいと言えるものでもない。そこで、文法の本を見ると、小説などでは comme si のあとの動詞はかなり自由な時制が使われているとのことだ。Grevisse, Le Bon Usage,§1097 Remarques 3.

Puis elle sortit…
|| C’est-il pas 「セチパ」と読む。|| on n’en était encore qu’à la glace : en être à は、ものごとの進行状態を表現する言い方。NHKの子供向けの歌でアイスクリームの歌というものがあり、おとぎ話の王女でもアイスクリームは食べられないなどというとんでもないウソの歌があるが、動物の糞から硝酸カリウムを作ってそれで物を冷やせるので, アイスクリームは太古からあった。|| le maître d’hôtel : レオニー叔母さんの家は本当に金持ちで給仕専門の係りの人がいたのか、フランソワーズのことをこのように書いたかのは、私には不明。後者の場合であっても la maîtresse d’hôtel とは、あまり言わないような気がする。on trouverait とあるので、たぶん専門の給仕が雇われていたものと思われる。|| アイスクリームのときには en être à を使ったが、rince-bouche には en は付いていないが反復を避けた省略とみるべきだ。それは、手紙を渡すのに on が使われているので、このセンテンスでの三回の on は、いずれも給仕する側のみを意味しているということになるからだ。つまり、今、アイスクリームを「出した」ところ、しばらくしたら rince-bouche を「出して」云々と訳すべきということになる。|| ちなみに、rince-bouche は昔のフィンガーボールのようなもので、自分の前に置いて、くちびると口のまわりを濡らしてセルビエットで拭くらしい。口の中をすすぎ、うがいをするわけではない。そのとき指もきれいになる。私は若い頃インドで暮らしたことがあるが、お寺のただ飯などで手づかみでものを食べると口のまわりが本当によごれる。これは口に対し水平に持ってくる指先のよごれが口のまわりにつくからだ。rince-bouche は、フランスのなんでも手づかみで食べていた時代の必需品であり、その名残なのであろう。たぶんワイングラスの脚も水をつけて拭くぐらいのことはするはずだ。ナプキンで口を拭く習慣も、昔、手づかみで、口のまわりをべたべたにしながら食事をしていた頃の名残に違いない。

Aussitôt mon anxiété…
|| un petit mot 誰かに特別に伝える言葉で、必ずしも伝言というわけでなく、自分の口で言う場合もある。たとえば、J’ai un petit mot à te dire. 「あなたに言っておかなきゃならないことがある」など。 ここでは近い未来の aller inf. が伝言の小さな紙が母親のところに「何々しに行く」という意味と重なり、少年自身は部屋にいなくてはならないこととの対比が強調される。|| la fâchant…du moins… このジェロンディフは si…, du moins… 「何々ではあるが、それでも何々であると言える」の代わりであり、s’il allait la fâcher…, du moins allait-il me faire entrer とすると allait が多すぎるので、それを避ける。母親を怒らせはするのだが、それでも、という対比の意味が強い。|| granité 現代アメリカでは、通常、Italian ice と呼んでいる。日本のかき氷のとても荒いやつをギュッと固めたようなものだ。シャーベットではあるが、噛むとガリガリ音がする。昔、大人のデザートならば当然アルコール、たとえばラム酒などを使ったであろうから、大人と同じものは子供は食べさせてもらえない。|| tandis qu’elle lirait mes lignes : この tandis que は、何々する時に、という意味であり、何々であるのに反してという意味ではない。||
maintenant ce n’était plus pour jusqu’à demain que j’avais quitté ma mère,
 — puisque mon petit mot
   · allait me faire entrer invisible dans la même pièce qu’elle,
   · allait lui parler de moi à l’oreille
 — puisque cette salle à manger
   · s’ouvrait à moi
   · allait faire jaillir, projeter jusqu’à mon cœur l’attention de maman

プルースト失われた時を求めて