薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §36

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§36

 

チック症が治った後
三ヶ月ほどの感情的カタルシスによって埋もれていた感情が抜けたら、もう感情的カタルシスは完了である。感情の爆発の燃料が底を尽きる。ただし、チック症の治療はできるだけ少しずつなほど穏やかであるから、四ヶ月かけても、五ヶ月かけても構わない。チック症の《強迫性筋肉内感覚》の減少曲線を患者自身が明白に実感する。大切なことは、一週間に一回、曜日を決めて、カレンダーに印をつけて、三秒間のみということである。カレンダーに印をつける知性のない患者は、まだ自分の感情のかたまりを客観的に理解していない。
もしも、別の身体部分に新しい《強迫性筋肉内感覚》が始まったときは、それは治る過程である。あなたの攻撃をかわそうとしているKVが別の合理化を試みている状態。その意味で、新しい強迫性障害が始まる可能性も論理的にあるが、それも治る過程である。
1. 回復期
感情の大きなかたまりが、無意識の中に埋まっていた。精神は、長い間そのかたまりの存在とともにバランスをとってきた。そのかたまりが摘出され、精神は一時的にバランスをくずす。チックという椅子に座っていた人は、その椅子を失うと今度は自分で立っていなくてはならない。時々不安感を感じることもある。自分の精神の構造の客観的理解が必要である。
2. 回復期のあと
チック症が治ったあとは、《強迫性筋肉内感覚》が現れない状態になる。あるいは、チックの動作を強制しないような弱い《筋肉内感覚》を時々感じる程度になる。チックの動作は忘れ去られるというかたちで徐々に消えていく。もしも、時々《筋肉内感覚》が現れたときは、身体のどこかに不快感覚があるはずである。そこを意識化する。不定的感覚および原始的感覚の意識化である。

究極の偽りの動機は「なぜならば、私はチックを持っているから」である。勿論、偽りの動機が合理化の一部であることの認識は神経症治療のための解決法ではない。解決法はトラウマイメージの発見と感情的カタルシスである。

回復期のあと、性格が変わることはない。もとのままの気持ちである。ただし、人間関係においては、極端に受身的な振る舞いがなくなり、健康的な意味で自己中心的に振舞えるようになる。気の進まない申し出に対し平然とそれを断れるようになったり、普通の人ならば腹を立てることに対し外見的にも当然なかたちで腹を立てることができるようになったりする。怒りによって自尊心の高さをとても愚かしく人にみせることができるようになります。
トラウマのすべてを完璧に掃除することは不可能である。《強迫性筋肉内感覚》の減少曲線がゼロに収束しているのならば、完璧主義者になる必要はない。大人のトラウマ探しとして、0才から5才までのトラウマが記憶の中ではっきりとしたイメージではない場合は、六才以後のトラウマイメージから論理的に推論する。すなわち、六才の頃の毎日のトラウマは赤ちゃんのときからすでにあったはずであるということ。

チック症の治療として性器に対する単純な考え方を学ぶ。あるレベルの自閉症スペクトラムの子供のなかにはチック症になる子供もいるので、性的気持ちおよび性器的感覚についての単純な言葉による説明が必要な場合もある。

子供
子供は性行為を知らないので、性器の機能や快感そして性欲が整理されない。チック症が始まった子供は性器の機能、目的、快感、禁止、秘密、罪悪感、劣等感が無知の中で複雑化している。小さな子供には言葉だけで説明する。性器の断面図で教える必要はまったくない。
大人(中学生以上)
チック症の大人は子供の時に戻って子供の自分の気持ちに教える。
性器に対する考え方を単純化し、言語化する。
性器の機能は性行為を目的としていること。
性器は快感とともに機能すること。
性欲と性器的感覚の統一。
性器の性欲的意味は罪悪感とともに100%肯定されること。
オイディプスは乗り越えなくてはならないこと。
子供時代の神経症の治療としてこれらの考えを単純化するならば、人間社会では、子供に性器を見せる行為および子供の身体に性的に触る行為は、「いかなる理由があろうとも」性的であり犯罪であるということである。