薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §11

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§11

 

先天的なチックの《筋肉内感覚》
神経症としてのチック症の《強迫性筋肉内感覚》

チックが不快な身体的感覚を身体的に抑圧するための《筋肉内感覚》を伴うアスペルガーの先天的機能であるに対し、チック症は、随意筋の存在を位置的に意識させる《強迫的筋肉内感覚》を伴い、その随意筋の不動性への強迫観念 obsession による神経症である。チック症の治療がめざしているのは、不快な身体的感覚があるとき、たとえば階段を五、六階まで上がるときなどに、随意筋内のチックの《筋肉内感覚》が不動性への強迫観念を伴わなくなる状態、および不快な身体的感覚がないときには随意筋に《強迫性筋肉内感覚》が現れない状態である。
治療の後、たとえば疲労など、不快な身体的な感覚があったときに《筋肉内感覚》が現れるが、それは先天的なアスペルガーのチックであり神経症ではなく、そこには強迫 compulsion はない。その時の不快な身体的な感覚の抑圧であることの意識化で充分である。
また、勿論、患者は神経症が自慰的感覚を抑圧するための表面的なメカニズムであることも認識している必要がある。

神経症において、先天的素因が外的要素を外的病因にする。外的要素は先天的素因なしには病気の原因にはならない。先天的素因も外的要素なしでは病気の原因にはならない。

チック症の原因
· 先天性素因(内的要因)、自閉症スペクトラム(アスペルガー的要素)
ある普通の対象を不快な対象として認識するような判断の特殊性
KV (身体的な抑圧の仕組み)
抑圧の傾向 = 感情のかたまりの形成の傾向
自然な除反応の欠如 = 不快感情の意識内での表現の欠如
· 毎日のトラウマ的な出来事の経験(外的要素)
肥大した感情のかたまりの保存

先天的素因は治療できないので、神経症の治療は外的要素の治療、すなわち感情的カタルシスである。

先天的なチックの《筋肉内感覚》は身体のいかなる随意筋においても可能である。いかなる随意運動も、もしもそれが患者の意識にとって馬鹿げた動作であるならば、チックの随意運動になりえる。したがって、百ほどのチックの動作を分類することは無意味であり、チックの動作の分類リストのようなものはむしろチック症の構造に関する無理解を表していることになる。

絶対強迫
神経症の身体的な症状は意識の強迫 compulsion であり、意識を取り囲む病的な無意識の枠の存在が病気である。筆者はこれを絶対強迫 Absolute Compulsion と呼ぶ。絶対強迫の存在は筆者の憶測であり、記述表現であり、観察は不可能である。この強迫に対する抵抗は不可能であり、読者の想像的理解を容易にするために絶対という語が付けられている。全体性である。絶対強迫は意識を超越的に取り囲んでいる構造である。神経症についての記述的な図式として、絶対強迫の枠組みは無意識の中、意識の外側にある。絶対強迫は、その原因が意識からは見えないので、意志の力は絶対強迫に抵抗できない。

神経症の症状 = 病気の手段
神経症の症状とは身体的症状を意味している。定義上、身体的症状のない神経症は存在しない。
· チック症 (《強迫性筋肉内感覚》、その随意筋での筋肉的動作の強迫 compulsion、随意筋への強迫観念 obsession)
· 強迫性障害 (不安の身体的感覚、確認の身体的行為の強迫、物への強迫観念)
· パニック障害 (恐怖の身体的感覚、身体的脱出行為の強迫 compulsion、アドレナリン分泌下の身体的状態への強迫観念 obsession)

チックの《強迫性筋肉内感覚》は、筋肉の収縮を伴わない特殊な身体感覚であり、随意筋への意識の集中であり、筋肉の不動への強迫観念の増幅である。チックの《強迫性筋肉内感覚》の作用は不快ということにある。

チック症の症状
チックの《強迫性筋肉内感覚》は随意筋に現れる。チック症の動作の身体部分はチックの《強迫性筋肉内感覚》がどの随意筋に現れるかによって決まる。その随意筋の随意的な収縮は意図的な動作によって既に知っていた随意的な収縮である。患者にとって、チックの《強迫性筋肉内感覚》は、ひとつの正確に決められたチックの動作の様態をその属性として含んでいる。ほとんどのチック症患者が随意筋強迫観念のある身体部分を二つ以上もっている。ひとりの患者のひとつのチック症は、さまざまな局所化においてさまざまなチックの《強迫性筋肉内感覚》をランダムにもつものであり、チックの動作の様態を類別するのは誤りである。これはチックという語の定義の問題だけではない。チック症の子供の親が、もしもチック・イコール・動作と考え、チックを神経学的な局所的不随意運動とみなし、薬によってチックの動作がなくなることを治療とするのならば、それは誤りである。

チック症が器質的ではないと判断する根拠
· 子供のチック症は、しばしば一過性チック障害であり、リビドー的な葛藤が解決されれば、ひとりでに治ることがある。
· しばしばチック症は悪化したり良くなったりする場合がある。
· ひとりのチック症の患者において、別の身体部分で、新しい随意筋強迫観念が始まることが可能である。
・睡眠中はチック症の症状は現れない。強迫性筋肉内感覚、随意筋強迫観念。
· 汚言症では、意識は意識を困らせる言葉を発することを余儀なくされる。子供じみた下品な単語。
· チック症の人たちの 30 パーセントは強迫性障害にもなり、ひとつの物体の左右対称性、数、確認、清潔さ、その他が意識の強迫的対象となること。(また、チック症は随意筋の存在を強迫的対象とする強迫性障害とも言える。)
· 多くの随意筋による一つの動作、たとえば両手で手を叩くチックの動作などにおいて、運動単位が正しくまとまっていること。(§12 は筋肉の運動単位の説明である。)

人間は銅像でもロボットでもないので、健康な状態で常に身体が自然に動いている。自然な動きのほとんどが無意識な動作であり、それが健康な動作である。それに対し、チック症の動作には、その特徴として、必ず意識されるということがある。とくに筋肉が意識対象となる。チックの動作で無意識なものはない。たとえば、額の筋肉にチックの《強迫性筋肉内感覚》がある人も、チックの動作としてではなく、常に自然に無意識に眉毛が動いている。筋肉が意識の固定的な対象であり、意識が強迫を解決するように強制されるときのみ、この馬鹿馬鹿しい動作はチックの動きであるといえる。すなわち、たとえ同じひとつの動作であったとしても、無意識な場合は自然な健康な動作であり、強迫で、筋肉が意識されている場合はチックの動作である。実際には、チックの動作は一目でそれとわかるほど必ずとても不自然な動作である。チックの《強迫性筋肉内感覚》とチックの動作の組み合わせの目的は患者の意識の前景に支配的な対象として現れることにある。無意識な強迫性障害の行為がないことと同じである。意識の対象とならないチックの動作は絶対にない。

合理化
チックの動作には必ず偽の動機が伴う。