薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療 §03

Kurikiメソッド(the first edition in 2007)はトゥレット症候群(チック症)および強迫性障害を薬を使わずに治すことを目的とした理論である。この理論はこれらの病気の構造についての推論と解釈に基づいている。精神分析医を読者と想定して書かれており、一般の読者には難解であり、誤読の危険性がある。したがって、Kurikiメソッドは患者が最寄りの精神分析医により治療を受けること、患者とKurikiメソッドの間には常に精神分析医が存在することを前提とする。感情的カタルシスの爆発は強い影響を伴うため、一週間に一度、三秒間のみの実施であり、そのペースを超えた場合は過失による一種の事故である。そのような事故による一時的な精神的沈下は感情的カタルシスに関し未熟な精神分析医の責任とする。また、論理的思考力に乏しい患者には、頭の中でのトラウマ・イメージの加害者と現実世界での人物との錯覚的混同による暴力的復讐感情に関して精神分析医による個人的な説明が不足してはならない。

 

薬を使わないトゥレット症候群(チック症)と強迫性障害の治療
§03

 

意識の志向性 (強迫性の増幅)

劇場では、まず客席の照明が消され、そのあとステージのスポットライトが照らした場所に観客の注意が向かう。観客が別な方を見ることはない。観客が見る物(対象物)はスポットライトによって決定されている。したがって、観客が見ない物もスポットライトによって決定されているのである。 観客に見られたくない物がある場合は、照明係がランダムに選んだ他の物にスポットライトを当てることによって、それを避けることができる。以下、「ランダムに選ぶ」とは「無作為に選ぶ」「出鱈目に選ぶ」という意味である。

神経症の症状は常に身体的であり、ひとつの不快なものが意識対象とならないようにするために、別のものがランダムに意識対象になるという身体的な抑圧の仕組みである。無意識のスポットライトがランダムにひとつの別の意識対象を選ぶ。

なにかを避けるためにはそれを見なくては避けられないのであるから、見たくないものを見ないようにするというのはパラドックスである。無意識の存在という治療的仮説により、見せたくないものを見せないという形において、この精神的現象を図式化することができる。無意識の中では意識に見せたくないものはいつも見えているのである。別の対象が意識の中央に来て、注意を引く。別の対象が意識の中で優先される。
泣いている赤ちゃんをあやすとき、人形などを振って見せたりする。そして、その人形を振り続ける必要がある。赤ちゃんの意識を身体的な不快感覚から別の任意な対象に逸らせる仕組みである。神経症はそれと同じ抑圧の仕組みである。
Kurikiメソッドの理論は、神経症を病的な抑圧の仕組みとみなすことにより展開する。Kurikiメソッドでのこの抑圧の構造の考え方が正常ではないと思う人は、だからこそ異常で病的な構造なのであるということを理解する必要がある。

不快
「不快だ」という形容動詞は、意識の中で既に感じている気持ちを意味するので、抑圧を問題とするときには普通とは異なる使い方が必要となる。たとえば「抑圧によって、子供は不快な物を不快と感じない」というように、表現に矛盾が生じてしまうということである。そこで、Kurikiメソッドの記述では、文脈において、不快とは、もしも抑圧がなかったのならば意識対象は不快なものとして感情表現されるはずの判断を伴うであろうことを意味する。神経症で問題となるリビドー的不快判断には身体的不快判断と精神的不快判断の境界線はない。

健康な不快感情
1. 出来事(毎日、繰り返される)

2. 不快判断の意識内での表現

3. 意識内の不快感情

4. 不快感情の外的表現

病的な抑圧
1. 出来事(毎日、繰り返される)

2. 無意識による不快判断の阻止

3. 意識内の楽しい気持ち

4. 楽しい気持ちの外的表現

概念化の不足
抑圧の対象は、トラウマ的な出来事ではなく、意識内での不快判断の表現(不快感情)である。しばしば小さな子供は不快判断の概念化を知らない。直感的不快判断はできているが、意識内での不快表現ができていないことを抑圧という。抑圧は感情の抑圧である。小さな子供は「意識内での拒絶」を知らないのかもしれない。誰かが「これはとても不快なものだ」と言葉で指摘してあげない限り、少しアスペルガー的な小さな子供は意識内で充分に強くは不快感情をもてない可能性がある。もしもリビドー的不快判断があるとしても、そのことについて意識内で不快感情がなく、怒り出すということがない。感情表現が言語表現(概念化)を必要とする少しアスペルガー的な子供の抑圧であり、リビドー的不快判断は「凍結 freezing 」する。怒りはポテンシャルな状態のままになる。たとえば、もし「大人の性器は、実に汚らわしいものだ」という不快感情表現がなされず、「汚らわしい」という不快判断が凍結されると、不快判断は《強い不快感情》のない単なる「大人の汚らわしい性器」のイメージとともに留まる。凍結状態にある不快判断とポテンシャルな感情は、あたかも平凡なイメージのようにみなされるトラウマイメージの裏に隠される。抑圧状態とは、不快判断が不快感情に進まないような停止状態、freezing 状態である。意識的不快感情は、直感的不快判断の《健康的な》表現である。 意識的不快感情は、無意識な不快判断の動機ではない。

不快判断の外的表現
身体的な抑圧の仕組み(KV)は先天的素因であり、治ることはないが、この異常を補うために意図的な特別な態度が必要となる。これは治療にはならないが、抑圧の強い子供にとって自分の不快判断の外的な表現を意図的に習うことはとても大切である。それは外的表現は、まず子供自身の意識の中での表現を前提としているからである。抑圧の強い子供には、自分が少しでもいやなことに対して平気で「いやだ」と言う習慣が必要である。小さな子供には、泣くことが許されていることも大切である。「泣いちゃだめ」という親の命令が意識と他人の間だけでなく、無意識と意識の間の遮断をも意味する。強すぎる抑圧の傾向には先天的要素があるが、それをさらに病的に強めるようなことがあってはいけない。
(ただし、抑圧の傾向は治らないので、神経症の症状の治療は不快判断の対象を意図的に意識内で感情表現することにある。)

直感的な不快判断を意識内で感情表現しない子供のためには、子供が何が不快であるべきかを知らない場合や、不快なものとして意識の中で考えていいのだという許可がない場合にとくに気をつける必要がある。直感的不快判断が不快表現のための許可を与えられていない場合、その不快判断は無意識内で凍結状態となる。
1. たとえば、不幸にも事故などで手足を切断した方が家族にいらした場合、大人の理性ではそのような不幸は乗り越えて明るく楽しくすればよいのであるが、とても小さな子供は、とくに夏などに毎日切断部分を見る場合など、イメージの不快判断が凍結状態で持続する可能性がある。不快判断は、まるで乾電池の中のポテンシャルなエネルギーのように保存される。これが不快感情の抑圧である。
2. たとえば、父親が男の子の入浴に参加する場合は、「風呂場は裸が当たり前だ」「性器があるのは当たり前だ」という考えのために子供が毎晩大人の性器を見なくてはならない。直感的な「わいせつさ」への不快判断の概念化が許可されていない。極度に不快な感情がチック症などのヒステリー症状によって抑圧される。
3. トゥレットの子供にとって皮膚的接触はとても不快なものである場合がしばしばある。たとえば親が子供に頻繁に触る場合など、不快判断が充分には意識内で表現されていない可能性がある。
4. 国によっては奇妙なものを食べる人々がいる。直感的拒絶が無意識の中だけにありつづけるかもしれない。
5. たとえば、母親が舌にピアスをしていて、赤ちゃんがそれを見て怖がらないというのはよくない。恐怖が現れるのならばまだマシである。「子供が喜んでいるからいいのです」というのは、抑圧についての理解が足りない。
等々。

アスペルガーの要素のある子供において、身体的感覚の不快判断に関する基準に特異性のある場合も考えられる。この種の不快判断は無意識の中に留まる可能性もある。

「トラウマが記憶から消えるのが抑圧だ」というのは、間違った概念である。トラウマとは不快であると判断されていながら、不快感情が意識内で言語とともに大爆発をもって表現されていないようなイメージのことである。トラウマイメージは忘れ去られることはなく、いつでも容易に意識対象となりえる。抑圧とは、不快判断とその不快表現の間の遮断のことである。不快表現とは患者の頭の中、意識内での感情表現、怒りの爆発を意味する。抑圧はトラウマ的出来事の抑圧ではない。抑圧は感情の抑圧、怒りの抑圧である。

PTSDは、無限大の不快感情を除反応で摘出し尽くせない状態である。神経症の身体的症状が不快判断を凍結させるために使われる。

チック症や強迫性障害において可燃性をもたないトラウマの特異性。
・アスペルガー的な要素をもつ子供の意識の中では不快感情の表現が十分ではないこと。
・トラウマは、必ずリビドーレベル(性的、性器的レベル)であるということ。
抑圧の強い子供は意識の中において楽しい気持ちでいるのであるが、これは偽の楽しい気持ちである。子供の意識には明白な嘘が可能であるため、注意が必要。あからさまな抑圧がありえる、子供は自分自身に対しトボけた抑圧ができるという意味である。リビドー的な不快判断の対象が親である場合が多いので、親の自己防衛が子供の神経症の治療の妨害となる可能性がある。