[HOTEP] 水平舌による英語の子音の発音、および母音スライディング

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《前書き》

問題
次の下線部に適当な一語を入れよ。
The twilight’s last ______ .

 

敗戦後の GHQ の WGIP によるものであろうか、現代の日本人の多くは君が代を歌うことに対して一種のためらいを感じるようになっているのかもしれない。そして学校でおとなしく英語を学ぶことに対し何の疑いも抱いていないようでもある。国語教育においては 1946 年、GHQ の命令により日本人が学習する漢字は当用漢字のみに制限され、明治の文学作品は現代仮名遣いに修正されて出版され、生徒は「けんけんごうごう」などの語を漢字で書ける必要がなくなった。その一方で英語の成績は生徒にとって国語以上に大切なものとなっている。テレビ放送などによりアメリカの言語の優位性は世界の公用語として日本国民に印象づけられたのであるが、日本人が英語を本格的に習得することは不可能に近い。なぜならば英語力とはアメリカ文化に関する一般的知識の量そのものを伴っているものであるからだ。アメリカは歴史の浅い国だが、日本人が海の向こうの文化を実生活の感覚で学習することはできない。我が国の生徒たちはアメリカ国歌の歌詞すら知らないのに、その国の言語が大学入試の重要な科目となっていることを変だと思わないのか。

 

《本文》

[HOTEP] Horizontally Open Tongue English Pronunciation
平らで水平な舌による英語の子音の発音、
その結果として生じる顎の下がり上がる運動の必要性、
および「母音スライディング©」Vowel Sliding©
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免責事項
[HOTEP] 式英語発音の説明は、テニスはラケットを使うものであると教えているのと同じように、英語の上手さを直接的に保障するものではない。

水平舌による子音
日本人による様々な音素の発音は、音節の前後で舌先が垂直に上がり、舌先の口蓋への接触を常に伴うものである。これは管楽器の演奏におけるタンギングにも似ている。日本人が「ラッ、ラッ、ラッ、ラッ」とゆっくりと分けて発音するとき、舌先の八回の動きとともに発音し、したがって顎は微動だにしない。日本語は下顎を動かす必要がないのである。舌を動かして話す日本人には英語のもつ顎を動かすことの必要性が理解できず、アメリカ人の顎の大きな運動が奇妙なものに見える。また、なぜ喋っているときのアメリカ人の舌の表面が常に外から見えるのだろうかと不思議に思う。[HOTEP]式英語発音では、その公理として英語のすべての子音の発音において舌先を上げることはなく、舌先は口内の最下部に水平に広げ、寝かせたままであるとする。舌を広げるとは、舌が平らに前後左右に広がっていることを意味する。その結果、すべての子音における口蓋と舌の位置的関係は顎を上げることによってのみなされる。ただし、R は母音のモードのひとつとして定義され、下げた顎からでも発音される。水平な舌なので、子音は顎を閉じて発音される。顎を閉じないと舌が口中の天井や上の歯などに接触できないからだ。また、閉じた顎では口中の空間は狭いため、舌は水平状態でいるしかない。[HOTEP]式英語発音では、舌先の動きはなく、明瞭な音素の発音は顎の下がり上がる動きのみによってなされる。英語の発音は顎の頻繁な動きによってなされ、それはすべての子音の発音の際に舌が常に水平に寝ていることに由来するというのが [HOTEP]式英語発音の考え方である。日本人の英語の発音の欠点のひとつとして、舌を動かしてしまうということがある。寝かせて広げた舌の表面が常に正面から見える状態で喋るのである。

母音
さて、曖昧母音とは何かということの説明に向かって話を進める。次の二つのビデオを見てほしい。これは、以前、フランスのキャナルプリュスというテレビ局で天気予報をやっていたドリアという面白い女性がふざけてアメリカのネイティブ発音をモノマネしているところである。二つ目のビデオで普通にフランス語を喋っているところと比較すると極端に顎を下げているのが分かる。アメリカ英語のネイティブ発音のモノマネをして観客を笑わそうとするならば、顎を必要以上に大きく下げることが余儀なくされる。彼女はフランス人なのでアメリカのネイティブ発音にはなっていないし、顎を下げるのも息を吸うときに下げているだけなので正しいものとは言えないが、その気持ちは大切である。ついでに彼女が L を必ず TH の舌で発音しているところも観察されたい。

英語の聞き取りは、膨大な語彙とともに、リズムと母音の認識が前提となる。口の形を云々する前に、耳が音自体を知らない場合が多い。ビデオが学習素材となる。音素としての母音の音を覚えるためには歌をよく聞くことも有効であり、伸ばされた all、love、heart などの語の母音を日本語の母音とは異なる音として聞く。

[ɪ] [ɔː]
開母音に限らず、日本人の英語は [ɪ] の発音が充分にエの音に向かって開かないことや [ɔː] の発音がアの音に向かって開かないのは、音そのものを知らないこともあるが、舌の脱力ができておらず、顎の動きが足りないからでもある。日本人が舌先を垂直に動かして子音を発音することが、母音に関して顎の不動の原因となっている。

[iː]
[iː]は長母音と呼ばれているが、時間的に長いということではない。しかし、もしも [iː]を長く伸ばした場合には、日本人の場合 [iːiː]になってしまっていることが多い。スピークがスピイクになってしまう。長母音が短母音二つて発音されるなるのは日本語の呼吸の特徴のひとつである。日本語の「い」の発音にはすでに Y の音が入っている。それは「そうゆうことをゆうな」が「そういうことをいうな」にならないことでも明らかである。日本語の「あいうえお」は、「い」と「う」の間にわずかな区切りをつけて「あい、うえお」と読まれる。区切りをつけないならば「あいゆえお」のほうが自然になってしまうであろう。日本語の「い」には Y が入っていると思って間違いない。英語のアクセントのついた [iː]の発音の際は Y が入らないよう、すなわち舌の中央に力が入らないように気をつける。eight years [eitjí:ɚz], eight ears [eidí:ɚz]

[oʊ]
「行こうとする」が「行こーとする」と読まれるように、英語の二重母音オウ [oʊ] が日本語的にオーになってしまう。ダウンロウドがダウンロードと書かれ、ダウンロオドと読まれる。これも顎の位置が固定されたまま動かないことがその原因と思われる。

[wiː]
[wiː] が [ʊiː] になる日本人も多いが、これは子音の発音に顎が上がっていないため、唇の動きに頼っているのであり、その唇が充分には狭くならないからであろう。

母音スライディング 《開母音の発音は前後に閉母音を通過する》
この通過は半母音の二つの音の間の滑らかな通過とは違い、ひとつひとつの開母音のそれぞれの発音において顎が下がり上がる運動をして、閉母音、中間母音、開母音、中間母音、閉母音という音の変化が生じ、往復運動を一回するということ。これが「母音スライディング©」である。同様に、中間母音の発音も、閉母音、中間母音、閉母音という顎運動とともに発音される。

英語の発音を日本語の文字で書くことが悪いのは百も承知であるが、母音スライディングの意味を読者に分かりやすく伝えるために、あえて日本語の母音で書いて説明を始める。

日本語
母音に関し、日本語にも開母音や閉母音、および中間母音がある。
奥舌音、閉母音「う」、中間母音「お」、開母音「あ」という列。
前舌音、閉母音「い」、中間母音「え」という列。
「くこかけき」と順番に発音すると舌の上での発音の位置、舌の反りが奥舌から前舌の方向に順に移動するのが感じられる。
顎を下げたままで「い」や「う」は発音することはできない。

母音スライディングの顎の上下運動を近似的に日本語の母音に対応させると次のような図になる。「うおあ」が奥舌音で下がり、「えい」が前舌音で上がる。顎の大きな動きの中で理解する。アルファベットを順番に発音して(ABCDEFG…)、どの字のときに顎が動き、どの字のときには顎が動かないかを観察する。BCDEのときには顎は動かないが、HIJKLMNOのときには忙しく顎が動く。とくに I のときは顎は大きく下がり上がって「うおあえい」の動きをする。

日本人は口を開けてから止めた形で「あっ!!」と驚くが、アメリカ人は顎を下げ、そして上げる動きのなかで「W-ウオアオウ-W!!」Wow!! と驚く。日本人は不意に何かが起こったときは「えっ」「えー」と、ストレートなスタッカートだが、アメリカ人がゲームに勝ったときには「Y-イエーイ-Y!!」のように閉母音-開母音-閉母音のカーブを一周する。開母音の発音は前後に閉母音を通過するというのが「母音スライディング」である。[HOTEP]式英語発音では、アメリカの英語には曖昧母音 [ə] と閉母音 [iː][ɪ][ʊ]以外は母音のストレートな発音は存在しないと考える。「母音スライディング」を理解していない人は [ɑ] や [æ] などの固定された音素のみで考えるが、[HOTEP]式英語発音では奥舌音での [ʊɔːɑɔːʊ] や前舌音での [ɪɛæɛɪ] などの曲線的な発音なのである。

開母音「ア」と閉母音「イ」が直接つながることは不可能であり、かならず中間母音「エ」を通過するはずである。たとえば一人称単数での “I am” は「アエイエム」である。

[ju:]
発音記号での子音 [j] は Y の子音の音をはっきり出した後で イ から他の母音につながる音である。アクセントがなく、弱く発音された人称代名詞 you や vólume などで次にウの音が来る場合は、少し開き気味の前舌音から奥舌音への移動であり、母音スライディングにおいて、しばしばオの音を通過し、イオウのようになることがある。日本人読者に意味が伝わるようにカタカナで書いているが、かなり微妙なものであることを理解してほしい。強く発音される場合には、顎は閉じたままであり、閉じた顎でのイから閉じた顎のままでのウへの移動であり、オのような音を通過することはない。

Oh my God は、ウオウ、ムオアエイ、グオアと発音して D で息が止まる。Dad はディエアと発音して D で息が止まる。開母音はそれ自体の音素のみで発音されることはなく、必ず前後に閉母音を通過する動きの中で発音される。God のア [ɑ] の前にはオがあり、Dad のア [æ] の前にはエがある。 父親を大声で呼ぶ少年の Dad の発音において [æ] の前に「エ」の音をはっきりと通過しているところを聞く。

I can’t!
N の後ろにあるために T は発音されない。「ア」の前に「エ」を通過して否定が明らかとなる。無理にカタカナで書けば「アエキエアン」

Hello!
この語は、もしも最初の音節がシュワーではなく、強めに「ヘ」と発音される場合には次の口を閉じた子音 L との間で「イ」を通過し、当然「ヘイロウ」と発音されざるを得ない。

同様に I am も、「エ」と口を閉じた子音 M の間で「イ」を通過し、「アエエイム」になる。

「母音スライディング©」(Vowel Sliding©)
英語の開母音は前後に閉母音を通過して発音される。通過点上にある母音を中間母音 (intermediate vowels) と呼ぶ。
©2007 tokyomaths All rights reserved. A protected expression.

[iː][ʊ]以外は、アクセントのついた母音は顎を下げ、そして上げるという大きな運動とともに母音が発音される。したがってアクセントのある音節は長くなるとも言えるのであるが、自然な英語の喋りでは短い音節が多く、英語は一音節の単語が多いので、喋るスピードが喋っていることの内容に対しとても速いものとなる。曖昧母音の音節は、ほとんど子音の音素だけのようなスピードで発音される。リダクションも生じる。アクセントのない音節の母音は schwa 曖昧母音、すなわち顎を下げない母音である。アクセントのついた母音は、[iː][ʊ]の発音以外は、必ず顎が下がるが、アクセントのない音節は顎が下がらないので、それらの本来の音にならないということである。[ɑ] [æ] [ai] [aʊ] [ɔː] [ɛ] [oʊ] [ʌ] [ei] [ɪ] など、顎を下げずに発音することは不可能である。したがって顎を下げない音節は、どうしても曖昧母音になる。ところが、日本人が英語を喋るときは、各音節の子音ごとに舌先が垂直に上がる動きをし、そもそも全く顎が動かないので、「曖昧母音とは顎が下がらないという意味である」と言っても日本人には理解してもらえない。日本人は、ひとつの子音ごとに二回ずつ舌先を垂直に上げるので、日本語には二重子音や三重子音はない。日本人が英語を喋るときは全ての子音が舌の動きとともに明瞭になりすぎる。

日本語の母音は、顎が少し開いた位置でまず固定されてため、舌先の速い垂直運動による子音と同時に発音される。それに対し、英語の母音は顎を閉めた子音の後で顎の開き閉じる動きに伴った曲線的な変化の中で発音される。

単語のなかのアクセントのついた音節、文においてストレスのある単語の音節を強調することも大切であるが、アクセントのない音節、ストレスのない部分を顎を下げずに短く速く曖昧母音 [ə] で発音するということを日本人はリズム的に知らない場合が多い。「どこにアクセントがつかないか」を理解する必要がある。

息の吸い方。
日本語は語の発音の前に息を吸うときに口が閉じられ、舌先が上口蓋に接触している。それに対し、英語の発音の場合は息を吸うときは「エ」の発音のときのように舌は平たくし、人が前にいるときには、その人に自分の舌の表面が見えるような形で開いた口から息を吸ってから語の発音を始めるべきである。たとえば、Sの音で始まる語のときなども、開けた口から息を吸い、舌は広げたまま下方に置かれ、口蓋に接触することなく発音が始まるべきである。

さらに細かく説明する。たとえば、「ダカーポ」という語は、日本語の場合、まず顎を「ア」の位置にした後で舌先の垂直運動と同時に「ダ」が発音され、その「ア」の顎のまま、舌先を垂直運動で口蓋に着けて離し、音を切った後、(この無駄な動き、管楽器のタンギングを日本人は各音節ごとに絶対にしているはずであるから、自分でよく観察してほしい。ダのときに一回、カのときに一回、それだけではなく、ダとカの間で一回、息を止めたときに舌先が口蓋に接触するのであるが)「カー」が発音され、舌先を垂直運動で口蓋に着けて離し、音を切った後、「オ」の顎をしてから、顎をほとんど動かさずに「ポ」を発音する。「ダカーポ」という語の発音の間、顎はアの位置からオの位置への小さい移行があるのみである。
英語発音では、顎が上がった状態で水平な舌で破裂音の空気とともに [d]が発音されてから、顎の下がり上がる運動をしながら [ʊɔɑɔʊ]が発音され、顎が上がった状態で水平な舌で破裂音の空気とともに [k]が発音されてから、顎の下がり上がる運動をしながら [ʊɔɑɔʊ]が発音され、顎が上がることによって自然に閉じられる唇で [p]が発音され、一回の顎の下がり上がる運動で [ʊoʊ]が発音されます。顎の下がり上がる運動をしながら [ʊɔɑɔʊ]が発音されるとは極端に誇張して言えば、「ア」を発音するときに「ウオアオウ」や「イエアエイ」などのように滑らかなスライドで閉母音を通過するということである。これは子音の発音の際に舌が水平に広がっていることの結果である。

どの二重母音も発音記号では二つ目の音は閉母音になる。顎の運動の説明なしに二重母音や速い曖昧母音音節の説明はできない。日本人の英語発音がアメリカ人の英語発音と違うのは、顎の大きな運動がないからである。なぜ顎の大きな運動がないかという理由は、日本人が舌先を垂直に動かすことにある。

「母音スライディング©」(Vowel Sliding©)
開母音への顎の行き帰りの際に閉母音(中間母音)を通過する。

英語の発音の際、顎の移動による母音の移り変わりの音のない人は、一発でネイティブ発音ではなくなる。顎を閉じた子音と顎を下げた開母音が直接くっついて発音されるわけがない。不可能である。日本人は顎を閉じたまま開母音を発音しようとしているか、あるいは顎を多少下げて固定してから舌先や唇の動きで子音を発音しているかのどちらかである。顎を閉じた子音を東京駅とすれば、大阪駅の「あ」に着くためには、静岡駅の「う」、名古屋駅の「お」を通過せねばならず、大阪駅から東京駅に戻るには再び名古屋駅と静岡駅を通過しなくてはならない。ただし、停車するわけではない。東京駅と大阪駅を直接的にくっつけることはできない。子音 [f] は顎を上げて発音され、母音 [ɔː] は顎を下げて発音されるから、[fɔː]という音は不可能である。必ず [ʊ]の音を通過して [fʊɔː] にならなければ発音できない。母音スライディングとは顎を閉じて水平な舌で子音を発音し、閉母音、中間母音を前後に通過しながら開母音が発音されることである。
fog [fɔːg] → [fʊɔːʊg]

閉母音
hot などの [ɑ]は日本語のアとは異なる。たとえば、[ʃ]は長く伸ばして発音できる子音であるが、静かにするサインで口の前に人差し指を立てて「シー」と言うときに子音の音をガス漏れのように伸ばすこともできる。閉母音によるシーとシューは子音の音を伴ったままの母音をガス漏れの音のように伸ばせるのであるが、開母音によるシャーや中間母音によるショーとシェーは子音の音を鳴らせたままで母音を伸ばすことはできない。英語の [ʃɑ] は奥舌音でシュがオを通ってからアに開くから、shot の [ʃɑ] はシュオアであり、前舌音のシェアではない。hot の ho [hɑ] もカタカナで書けば奥舌音のフオアであって、前舌音のヒエアではない。異なる開母音は前の閉母音と中間母音も既に異なっている。

shut [ʃʌt] などの [ʌ] も閉じた顎のウから開いたオを通った後での、口の中央でのアである。シュオア。 [ʌ] を曖昧母音から中舌音で開いた[əʌ]として発音することもできる。日本語のように前舌音でのシエヤではない。

二重母音 [aɪ]は、a から ɪ に行く途中で e を通過しなくてはならない。[aeɪ]。strike [straɪk]は st で顎が閉じている。r は顎の動きとともに母音全体に色づけされる。したがって、その間に ʊo のような音が入る。ra の後 eɪ を通過して k に向かって顎が上がる。[strʊoaeɪk]。虎、タイガーも無理矢理カタカナで書けば、舌を絶対に動かさずにトゥオアエイガルのような道筋で発音される。「タ」という音が発音不可能であることを理解してほしい。私の言っている意味が伝わらない読者は残念である。

歌を歌っている際に母音を伸ばして発音するとき以外は、開母音や中間母音はそれだけで決められたひとつのストレートな音素として固定されて発音されるものではなく、下がって上がる曲線運動の中で発音される。これは、舌を動かさないこと、および顎の下がって上がる動きとともに理解される。舌を動かし、顎を動かさない日本人には全く無縁である。金魚のような顎の動きが恥ずかしい、馬鹿みたいだという考えを捨てなくてはならない。母音は勿論、すべての子音の発音の際に舌は常に水平に広がったままであるというのが HOTEP式英語発音の公理である。母音は勿論と言うのは、舌を使わないことが「母音」の定義そのものであるから無意味であると言うことである。また、R の発音は舌先は寝かせたままで、母音に色づけするものと考える。

[HOTEP]式英語発音の四つの重要点
・母音は勿論、すべての子音を口の中の低い場所で水平に開いたままの舌、《麻痺したような舌》で発音する。
・子音は必ず顎を閉じる。
・中間母音や開母音の発音のための大きく下がって上がる顎の動き。
・母音の R 変化。R は独立した子音ではなく、母音の変化のモードである。
・母音スライディング。中間母音は閉母音を、そして開母音は閉母音と中間母音を前後に通過して発音される。すなわち、《閉母音・中間母音・閉母音》および《閉母音・中間母音・開母音・中間母音・閉母音》。前舌音と奥舌音にまたがる大きな曲線になるものもある。

通過とは、新幹線で東京駅から大阪駅に行くためには静岡駅や名古屋駅などを通過するのであり、また大阪駅から東京駅に戻る際にも名古屋駅や静岡駅などを通過するということである。たとえば vast という語を発音する際には v は顎は閉じた位置で発音され、a は顎を開いた位置での音であるから、顎が開きつつある中間地点の母音なしで発音することは不可能である。また a から st に向かって顎が閉じつつある中間地点の母音も通過しなくては発音できない。したがって [vɪɛæɛɪst] のような母音の推移の中で発音される。舌を動かさないので、各子音の発音の際の口蓋と舌との位置関係は下顎の動きのみによって決定されることになる。舌を動かさないので顎の動きが必要であり、顎が動くので母音スライディングが生じるのである。

英語の R の練習
R の発音は自由だと言ってしまうならば、それはもちろん自由。しかし、ここでは英語学習者のための教科書的意味での標準として、ネイティブスピーカーの R は、すなわち英語しか話せない人の R は、舌を絶対に上げずに発音されるものであるということを明記しておく。なぜかと言えば、「水平舌」と「正しい顎運動」と「母音スライディング」と「母音の R モード」は、同じひとつのことがらの四つの面であるからである。いずれにせよ、日本人は英単語に含まれるの R の音を抜かしてしまうことがよくあるようなので、抜かさずに、こまめに R を発音するようにしたい。日本人が英語の R の発音を練習する際は、日本語のラ行のラリルレロを舌を寝かせたまま絶対に動かさずに発音するようにするとよい。単語の語尾の -er や start の er ような語中の er すなわち “R-colored vowel” も日本語のラを舌を寝かせたまま絶対に動かさずに日本語のラを発音しようとするとよい。舌先を上げてはいけない。舌の奥も上げない。舌が平らに水平に寝たまま微動だにしない状態で日本語のラを言おうとすればよいのである。R の発音のときにも舌先を丸めるように上げることは絶対にない。

R音性母音とR変化 “R-colored vowel” and “R-modification”

[HOTEP]式英語発音では、R は子音ではなく、母音を変化させる modifier とみなしている。母音の「R 変化」は、舌先は下げたままにする。舌先が上がることはない。R 変化を受けた母音はその母音の長さ全体が変化する。R は常に R 変化をした母音であり、独立した子音としての R は存在しない。一般的な意味での子音としての瞬間的な R の音は、R 変化をした曖昧母音にほかならない。日本人は R 変化の母音を、速いスピードで喋るときも抜かさず、必ず発音するように気をつけなければならない。

R を母音と考えるならば rt+vowel は [ɚd+vowel] となる。(artist [ɑɚdɪst] starter [stɑɚdɚ])

また、R を、直前にウのような音が瞬間的に聞こえるものとして理解する人がいるが、閉母音や曖昧母音によって母音の発音が始まり、顎が下がりながら母音全体に R の色付けがなされるものと理解したほうがよい。

英語の子音
[ʦ][ʣ][p][b][m][t][d][ʧ][ʤ][n][l][w][f][v][θ][ð][s][z][j][ʃ][ʒ][ŋ][k][g][h] ([r]は、含まれていない。)
子音の発音の際、顎は必ず閉じる。英語の発音では開母音では顎を下げるのであるが、子音の発音には、舌と口蓋の接触などのため、顎を上げる運動が必要となる。閉じられた口の中で舌は水平であるしかなく、唇を閉めるために口の周りの筋肉が使われることもない。舌の動きが限られ、唇の動きも限られているので、それぞれの子音の音色的特長の表現は物理的に限られている。子音に直接的に続く母音は必ず閉じた弱母音 [i:] [ə] [ʊ] であり、その他の母音 [ɪ] [e] [æ] [ɑ] [ɔ] [o] [ʌ] [a], etc. が子音に直接的に続くことは不可能である。[hæ][bɑ][kʌ][ʧɔ]等々の音は、顕微鏡的に見るならば存在しない。なぜなら、既に開いた口で、舌の動きで子音を発音することはなく、また、開いていない口で開母音を発音することもないからである。

TH の発音 [θ][ð]
舌先を下の前歯の上に乗せ、顎を上に動かす。

L の発音 [l]
英語教師が、開いた口の中で垂直に立てた舌を見せて L の発音を説明することがしばしばある。舌が上の前歯に触れていることを見せるためであるが、それは口を閉じた状態では見せることができないからである。実際には L の音が垂直な舌の先端で発音されることはない。「LA LA LA」は閉じた顎からの顎の運動、水平な舌、そして vowel sliding で発音される。「LA LA LA」と言ったときに顎が動かない日本人は、TH の発音の舌で L の発音する練習をするのもよい。

H の発音 [h]
R を母音のモードとする理由は、R は顎を閉じる必要がなく、どの顎の位置でも発音できることにある。H も顎を閉じる必要がない。H は母音の無声のモードなのであるが、母音は勿論すべて有声であるので、母音の H モードは母音自体によって即座に消される。母音の H モードは論理的にそもそも存在不可能な音であり、H は語頭で無声の子音のように使われる。他のヨーロッパ言語では H は、しばしば発音されないことがある。

B, P, M の発音 [b][p][m]
顎が動かずに唇のみ閉じているのは間違い。顎の上方向の動きの結果として唇が閉まるようにすべきである。顎が閉じるので、唇の筋肉を使うことはない。また、唇が閉じる音はこの三つのみであるので、英語を話している際には、この三つの音以外で上下の唇が接することはなく、唇が開きっぱなしで話すことになる。日本人は不必要に唇が閉じる瞬間が多くあるので注意。日本人が破裂音の B や P を発音する場合は、唇の周囲の筋肉を使わないようにし、ひとつの子音の音が時間的に長くなるように気をつけるべきである。

有気音 T, P, K
T や P や K が他の子音と組み合わさることなく、単独で母音と一緒に使われる場合は有気音となる。H の音のような息を吐く破裂音が漏れる。

knees と needs 、cars と cards などの区別
日本人にとって [dz] の発音が理解しにくいのは [z] の発音を知らないからであり、
「s や z の音素練習は必要ない。日本語のスやズと同じである。」
などと生徒に言う英語教師がいないとも限らない。それは逆であり、日本語には [s] や [z] が存在しないのである。

[s][z]
舌は口内の低い位置に広げたままである。舌は口蓋や上前歯に接触してはならない。舌は、上顎のなにものにも接触しない。

[ʦ][dz]
舌は口内の低い位置に広げたままである。舌の中央部が口蓋に接触する。

また英語の無声音の p, t, f, s, th などと有声音の b, d, v, z, th などの関係を正しく理解している日本人は少ないと思われる。しかし、この問題は[HOTEP] Horizontally Open Tongue English Pronunciation に特別に関わっていることがらではないので、ここでは語らない。(たとえば、v は f そのものに声帯の振動を付加したものであるということ。無声音、すなわち、破裂音そのものや摩擦音そのものが有声音の上部に独立してそのまま残っていなくてはならず、声帯の振動が強すぎて破裂音や摩擦音を吹き消すようではいけないのである。日本人の感覚では、有声音と無声音が対置されてしまっているが、英語では有声音=無声音+声帯振動、無声音=無声音+ゼロである。b と v の判別よりも f と v の判別のほうが困難であるような状態が好ましい。極端な場合、有声音 th が耳には v に聞こえることもあるのだが、それは文字を目で見て、自分で発音して英語を学習しようとしている日本人の知られざるところであろう。)

(3) 母音の発音
大きな顎の動きに関する理解があって初めて、顎の動きのない場合での英語の音便、リダクション reduction が理解される。曖昧母音の速い音節は顎の下がる運動がないということである。アクセントがなく、顎が下がらない音節は速くなる。

母音スライディング© ”Vowel Sliding”©
英語の開母音は前後に閉母音を通過して発音される。通過点上にある母音を中間母音(intermediate vowels)と呼ぶ。
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母音スライディングは、水平舌による全ての子音の発音、アクセントのある音節での顎の大きな運動、および曖昧母音の定義とともに説明されるものである。母音スライディングは、二重母音の中の ”gliding vowel” とは異なるものとして明白に区別される。また、母音スライディングは、母音の一つずつにおける顎と音の閉・開・閉であり、二つの母音が並んでいる場合のリンキングのことではない。

母音スライディングとは何か。
r を除き、すべての子音は顎を閉じて発音される。そして開母音は顎を開いて発音される。したがって子音に開母音が直接的に続くことは不可能である。たとえば、fastの [f] は顎を閉じて、[æ] は顎を開いて発音するのであるから、[f] の後で当然のこととして閉母音の [ɪ] や中間母音の [e] などを通過しなくては [æ] まで顎を開いて発音することはできない。[fæ] という発音は不可能。次に、[st] は顎を閉じるので、顎を閉じる運動の際に必ず [e] や [ɪ] を通過するはずである。 [fæst] は [fɪeæeɪst] になる。このことは舌を動かして喋る人、その結果として顎を動かさずに喋る人、子音で顎が閉じない人には理解できない。

三重母音の三つ目の母音は必ず曖昧母音で顎が上がって終わる。

母音スライディングを知らない人でも [e] が必ず [eɪ] になること、[æ] が必ず [eæ] になることには知っているであろう。

know と now の発音の相違は、日本人がカタカナで感じるとノウとナウで明白であるかのように思われるかもしれないが、母音スライディングにおいてはかなり近い音であるとも言えるのである。[nuou] と [nuoaou] であり、カタカナで書いてしまえば、ヌオウとヌオアオウである。すなわち、know の円弧の中心の先端に [a] が小さく付加されて戻ってくるのが now であり、固定された音素としての [o] と [a] の違いではないのである。今、このことを理解した読者は感動して納得するはずであり、私が何を言っているのか理解できないでいる読者は、まことに残念。アとウを直接つなげて発音することが不可能であるということを理解できたであろうか。新幹線で大阪と静岡の間を、名古屋を通過せずに行くことは不可能である。

N. B.,
dry-eyed [drʊɔaeɪ ɪeaeɪd]
may I [mɪeɪ ɪeaeɪ], etc.

このへんで、[HOTEP] Horizontally Open Tongue English Pronunciation の説明は終了。

Big fly, Ohtani san
[flai] が [flʊɔaei]であるようなところをゆっくり聞いてみる。

以下は、おまけ。読まなくても結構。
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日本人のための英語学習

生まれたばからの赤ちゃんは視力が未発達で、まわりの物はまだぼんやりとしか見えないのであるが、それでも言葉は親と赤ちゃんとの間の視線による相互の反応とともに脳が自然に覚えるものである。言葉は音ではあるが、音は極めて多様で微細な要素で成り立っている。言葉の音は単純な音素の表のようなものではとても表すことはできない。たとえば、脳が人の顔を記憶する際、視覚的情報とともに何億人もの顔のなかからでも一人の人物を即座に容易に識別する。その人物の笑った顔、すました顔、若いときの顔、年をとった顔などの変化においても同一人物として識別できるだけの情報量ととに脳は記憶する。私達は自分の脳がどのようにして沢山の似たような顔のなかから一人の人物の顔を識別できるのかを知らない。しばしば言語の教育は、音声のもつ多元的で緻密な複雑さを無視し、発音記号による音素のレベルでの極めて単純な文字や記号のみで意識的に覚えようとする誤りに陥りがちである。実は、言葉というものは、どうやって、いつのまに覚えたのか分からないような方法で脳が勝手に習得するものなのである。耳からの極めて多様な音的情報要素を脳がひとりでに分析し、そして今度は外界に反応して脳が反射的に言葉の音を喋りだすのが言葉というものである。英語を単語カードやフレーズの暗記などで意識的に文字的に覚えようとする気持ちは立派かもしれないが、脳の言語習得機能はそれらの何万倍も複雑な耳からの音の情報を必要としているのである。英文の文字を毎日何時間も読んでいても絶対に英語は覚えられない。言語の学習は音の素材とともに耳と脳がひとりでに処理する作業であり、目と口と意識でするものではない。それどころか、英語の文字による学習がしばしば脳の英語のための言語習得機能を大きく邪魔している場合が多いのである。

ビデオの書き取り
英語の唯一の学習方法は英語のネイティブ・スピーカーが喋っているビデオの書き取りである。聞き流しは聞きとれなかった部分をそのまま聞き流しているので、英語の学習としては、まったく無意味である。ネイティブ・スピーカーは、その人それぞれの癖がその人の喋りに一貫して出てくる。um や well などの間投詞、言い間違いの言い直し、like などの口癖もすべて書き取る。辞書に載っていない人名や商品名など、知らない固有名詞は英語の文化として極めて大切であり、知らない単語の L と R 、B と V の違いの聞き取り練習でもあり、そのような単語はインターネットで探す。本などの英文を読むことによって英語学習をしてきたような実際上の英語初心者にはネイティブ・スピーカーのビデオの書き取りは困難な作業になるかもしれないが、英語の学習方法はこれしかない。ビデオを 3 分ぐらいずつに区切って、集中して書き取るのもいいかもしれない。audacity などの音のエディターが便利である。「英語の聞き取りは豊かな語彙力を前提とするのだから、まず多読が必要だ」と反論する人は、語彙は耳からの多元的な微細な音データを脳の言語機能が勝手に分析処理するものであることを知らないのである。本の文字で学べるのはその本で述べられている内容であり、言語は耳でのみ習得できるのである。また、喋り言葉を標準とするならば、英和辞典の語の大部分は使われない語である。和英辞典はウソばかり載っているマユツバもの。たとえば、中学一年で in front of という前置詞句を習うが、私はアメリカ人がこの前置詞句を使うのを一度も聞いたことがない。もしそうであるならば、 in front of は使ってはいけない言い方、使うと違和感がある言い方ということになる。good afternoon や goodbye などは、明らかに違和感があり、使ってはいけない言い方である。

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舌に力が入らないアメリカ人がどうしてもロシア語の発音にならないところが見れるビデオ

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英会話

日本の成人が日本に住みながら英語が上手になる方法。
日本の子供たちは皆、それぞれが住んでいる地方の高低アクセントで日本語を喋る。各地方の高低アクセントは21世紀の今日でも根強く世代から世代へと継承され続けている。子供たちは彼らの地方の高低アクセントを間違えることは絶対になく、さらにテレビなどでのみ使われる単語は標準の高低アクセントで発音されることもある。一方、日本語を真面目に勉強している外人が話す日本語には非常にしばしば高低アクセントの間違いが目立ち、よしもと新喜劇のファンなのかとも思われるほどである。この二者の違いはどこから生じるのかといえば、当然、前者は言葉を耳だけで習得し、後者は言葉の学習に本を使っているからである。どこの国でも大人が子供に向かって話すとき、幼稚園の保母さんが特に大勢の子供たちに向かって話すとき、発音の速度は落ち、音量は上がる。また子供同士の場合、小学校の校庭で身体を動かしながらであることが多いせいもあり、大人の耳には非常にやかましいものと感じられるほどの音量で発音される。このように幼稚園や小学校の校庭で大声で習得した高低アクセントは完全な形で耳に残り、言語は完璧に耳のみに支配されたものとなる。それゆえ、日本の子供たちは高低アクセントを絶対に間違えないのである。

日本の俳優たちは喋るのが下手である。ドラマなどで台詞を発音する際は、噛まずに、すらすらと早口で発音するのであるが、トーク番組などで自分の言葉で喋る際は、いたってぎこちなく、重い。仕事がら、台詞の文を記憶する習慣があるので、マルからマルまでを言葉であると思っている。英語ではピリオドからピリオドまでをセンテンスと呼んでいるのであるが、センテンスの最後のピリオドまでを意識しながらセンテンスの頭を喋り始める人はいない。それは言葉の本質から大きく逸れたものである。英語では、文の主部をサブジェクト、述部をプレディケィト、その他の部分として、ひとつから四つぐらいまでの単語の塊をフレーズと呼んでいる。英会話の教師のあいだでは、そのような数個の音節から成り立っている塊を《チャンク chunk》と呼ぶことが多い。《ひとかたまり》と呼ぶこともできる。《句》という語は定義に曖昧な要素があるかもしれない。通常、人間は、ひとつのチャンクを発音し、発音が終了してから、次に続くチャンクを耳が意識に耳打ちし、そのチャンクが発音された後で、次のチャンクを耳が意識に耳打ちするといった具合に喋るものである。センテンスの単位が言葉の単位であると勘違いすると、英語のセンテンスを暗記して、滑らかに言えるようにするといったような過ちを犯すことになる。逆効果は目に見えている。自然な言葉は途切れ途切れに話されるものである。母国語を喋る際は途切れる瞬間の間《ま》が短いだけである。長い間《ま》を空けながら。途切れ途切れに。次の言葉を。考えながら。喋る。それが。本来の。言葉の。姿であり。センテンスの終わりまで。最初から。一字一句。分かっていながら。喋り始める。人間など。存在しないのである。

言葉は、そもそも本質的に、バラバラに、チャンクをひとつずつ耳が意識に耳打ちしていくものなのである。また、聞き取りの際もバラバラのチャンクの単位でひとつずつ聞き、次のチャンクを話し手とともに予期しながら聞くものなのである。話し手の耳が話し手の意識に耳打ちするチャンクと聞き手の耳が聞き手の意識に予期するチャンクが頻繁に一致するのが同国人同士のコミュニケーションである。センテンスという単位は言葉の本質には存在しない。言語は、まず I think というチャンクを発音してから、さて何を言い始めようかと耳が考え、耳が意識に次のチャンクを教えるようなものなのである。どの言語も本質的にそのようにできているものなのである。絶対にセンテンス単位で喋ろうとしてはならない。英語を母国語としている人はチャンクの後で次のチャンクを思いつくのが早いので、その結果として途切れずに喋ることとなるのであるが、日本人が英語を喋る場合には、次のチャンクを思いつくまでの間《ま》が空くのが自然である。センテンスというものの存在を考慮せず、チャンクがひとつずつ頭に浮かぶのならば、結果として自然にセンテンスになるのが言葉の本質であり、センテンスを一続きに滑らかに喋るという間違った意識を持たないようにすべきである。チャンクの終わりと次のチャンクの隙間が極端に短いのが英語を母国語としている人の喋り方であり、それがセンテンスを一気に喋っているように聞こえるのは日本人の錯覚である。チャンクの属性のひとつとして、一字一句、しっかりと固定されているということがある。日本語のチャンクでも「お風呂に入ります」を「お風呂の中に入ります」などと間違えて言う日本人は絶対にいない。英語のチャンクは冠詞や助動詞なども、そのチャンクを構成する語として既に決められているので、喋る時に迷いがなく、その結果としてチャンクの発音は速くなることもあり、音便(アクセント・リダクション)や短縮も発生する。

英語の聞き取り
英語の勉強は100パーセント、聞き取りの勉強である。小説など、本の英文と辞書では英語の収穫はゼロである。本と辞書では「私は英語を勉強しているからカッコいい」という優越感や自己満足こそあれ、言語の習得という耳の仕事からは完全に逃避している。英語の勉強を30分するとは、聞き取りを30分することであり、英語の勉強を一時間するとは、聞き取りを一時間することである。聞き取れないところを聞き取れないままに通過する悪癖《聞き流し》には言語の学習としての意味はない。また、英文の本を黙読したり、音読したり、英文を書いたり、暗唱文を暗唱したりするのは、すべて英語の習得の妨げとなる。英語の学習とは、一個から四個ほどの単語からなる「チャンクの単位での書き取り」のことである。和文英訳には耳で聞く、耳が言葉を記憶するという作業がないので何の役にもたたない。

英語の発音

するどい人もいるもんだ。

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《成人の日本人向け》英語の唯一の学習方法、トランスクリプション

トランスクリプション、すなわち英語のネイティブ・スピーカーの喋っているビデオを一語たりとも漏らさずに書き取る作業こそが英語の唯一の学習方法であるという趣旨。

唯一の学習方法であるので、その他の学習方法では学習効果はゼロということ。アメリカ国内に住んでいる日本人も、この学習方法を採用しない限り英語は絶対に学べない。100パーセント、耳だけで覚えるということが言語習得の基本中の基本である。日本の小学生で、国語辞典を真っ黒にして日本語を覚えた子供は日本中を探しても一人もいないであろう。本を読むことだけにより日本語を覚えた子供も一人もいないはずである。耳による言語習得に対し、漢字の読み書きは本質的なことではなく、国語学習におけるこの両者の混同が英語学習でも本を机の真ん中に置いてしまう悪癖の原因となっているのではないだろうか。英語を本で覚えるということはできない。

日本人が日本語を耳で習得する際、すべての単語熟語の高低アクセントを住んでいる地方の高低アクセントで自動的に憶えている。関東の標準アクセントについてですら国語辞典には見出しごとには高低アクセントは記されておらず、単語の高低アクセントを意識的に努力して憶えるということもない。アメリカ人などの外国人で日本語を勉強している人が、標準アクセントで話していながらも時折、高低アクセントを間違えると、それはあたかも関西で憶えた単語であるかのようにも聞こえる。本で覚えた日本語を喋る外国人の日本語は大阪弁風に聞こえることがしばしばある。日本の子供は日本語を音だけで覚えているので、高低アクセントを間違えて発音するということは論理的にありえない。言語は脳が自然に音で覚えるものである。高校受験、および大学受験における英語の試験がペーパーテストであるため、中学校と高校の英語学習は字によってのみなされ、音は除外されている。大人になっても英語を字で勉強し続ける人が多いように思われる。聞き取りができないからということがその理由であろう。英和辞典を真っ黒にしている日本人で英語をうまく喋る人は存在しないはずである。

(1) 英語を勉強したい気持ち。
英語を覚えるのは脳であり、《英語を勉強したい気持ち》ではない。言語は脳の機能であり、脳の機能のうちには機能自体が言語で成り立っている部分もあるのかもしれない。本来、人間の脳には言語を習得する自然な機能がある。英語の習得とは、英語の夥しい量の音データを集め、それを脳が自動的に処理すること。その際に、しばしば《脳》vs.《英語を勉強したい気持ち》の衝突が起こる。《英語を勉強したい気持ち》は英文を黙読したり、音読したり、英和辞典を真っ黒になるまで引いたり、単語カードを作って裏表をめくったり、暗唱文をできるだけ早口で繰り返したり、英語の音データ収集の邪魔になることを片っ端から始める。では、本当の英語の音データ収集とは何であろうか。それは、脳が、「外人さんが何かわけのわからないことをペチャクチャと喋っているからそれを分析せよ」という命令下にあるということ。喋りにおける様々な要素の音データを脳が自動的に収集し分析する。

英語データの様々な要素とは。
人間の音声に対する感覚は鋭敏であり、電話を取ったときに相手の「もしもし」という声だけで、即座に、知っている人ならばそれが誰であるかを判別する。言語のデータは誰が、何処で、どのような時に、どのような顔をして、どのような声で話しているか、そのときの自分自身の状況や感情などの非常に細かな立体的な生きた要素、無限の要素で溢れている。学習素材、ネイティブ・スピーカーの声を立体的な《物体》として認識すること大切である。脳は、《自分以外の誰かの声》という物体の立体的データを緻密なレベルで自動的に記憶する。学習者自身の声では、脳は記憶しない。すなわち、ひとつの短いフレーズの記憶には、《誰が何時そのフレーズを言ったのか》という要素を脳は必要とする。たとえば、東京の人が冗談で大阪弁を喋ろうとするならば、まず関西のお笑い芸人の誰かを頭に浮かべ、そのイメージが喋る言葉をその通りに物真似するという順序になる。それはモデルではなく、そのフレーズという物体そのものである。

脳は人の顔を記憶するのも得意である。怒っている顔や泣いている顔、あるいは同じ人が年をとった後での顔も、小さなピンボケ写真でも、その「人物」を一瞬にして識別する。目の形、鼻の形、口の形などの各部分は非常に曖昧でありながら、ひとつの顔面のまとまりとして、何億人の顔の中からでも、ひとりの人物を表情の変化に関わらず一瞬にして識別する。

音楽においても、知っている曲のほんの一部分でも聞けば、すぐにその曲の一部分であることが分かる。曲はCDやビデオで聴いているうちに音により脳が記憶してしまうものであり、楽譜の音符の視覚的要素で憶えるものではない。楽譜で視覚的に曲を暗譜する音楽家でも、音楽自体は頭の中で音で記憶されている。

言語習得機能は、顔を憶えたり、音楽の曲を憶えたりなどの脳の素晴らしい能力のひとつである。言語の習得は緻密な音データを必要とする。単語カードの裏表ではない。さらに、音の要素のみならず、人間の活動として、誰が、どこで、どのような時に、どのような顔をして、どのような声、どのような沈黙とともに、どのようなリズムで喋ったかなどの人間的要素が実は脳にとっては「必要」なのである。

英語を音素の並んだものと勘違いする人が多いようであるが、喋った言葉は、顔による「人物」の識別のように、全体のかたまりが「意味」として脳の中に存在する。鍵の掛かっているドアを開けるとき、鍵のギザギザのひとつひとつを見る必要はない。話し手の意味が聞き手の意味に伝わるという、一種のテレパシーにも似た現象である。言葉を喋ってしまったらテレパシーではないと言えばそれまでであるが、人間の声というものは音波を使った「意味のテレパシー」なのである。音素の並びを意識的に聞くものではない。

脳のための英語データは、本物の声である。目でアルファベットを見る、日本人の下手な発音と日本人の下手なリズムで英語の本を読む、語の意味を脳がひとりでに分析するのではなく《英語を勉強したい気持ち》が辞書を引いてしまう、緻密な音データを一切捨てて単語カードの裏表とする、下手な発音で暗唱文を繰り返すなど、脳の英語データ収集ゼロ状態を《英語を勉強したい気持ち》が作っている場合が多くある。

誤った学習方法が脳の英語データ収集を全面的に妨害する。外国語は、初めて聞いたときには理解できないもののはずである。脳が「この喋りを分析せよ」という命令下に置かれた状態が英語学習である。脳は、立体的な言語要素の分析を自動的に始める。

(2) トランスクリプションは意味の書き取り。
英語の書き取りは意味の書き取りであり、まず、テレパシー的に意味が脳に伝わっていない場合は書き取ることは不可能である。英語を音素の並びと勘違いしている人は、音素を聞き、単語を識別し、フレーズとなり、意味が分かるという順序である思い込んでいる。それは順序が逆。英語の書き取りは、意味が脳に伝わり、リズムとともにフレーズが正しく認識される。その際に音素は意識されない。何回も聴いたビートルズの曲の歌詞を憶えていないのは、脳に意味が伝わっていないからである。意味が伝わっていないときには音素は認識されない。意味が伝わり、語が認識され、書き取りの際には音素が認識されるという順序である。鍵のギザギザが見えることが無意味であることと同様、「英語の音が聞き取れる、云々」という考えは無意味である。

まず意味が脳に伝わっていないと音素は聞き取れない。

英語のトランスクリプションは英語の音素を精神集中とともに聞き取ることではなく、話し手の英語の意味が聞き手の脳に意味としてシンクロ状態で伝わることである。聞き手の意識が一生懸命に音素を聞くのではなく、脳がひとりでに意味を受けとめること。聞き手の脳が話し手の喋りの意味に反応すること。意味が伝わっていないときには単語を書き取ることはできない。日本人が「アッチムイテホ」と発音した場合の語末の「イ」の音素は、音素を発音する、発音しない、小さく言っている、精神集中をして聞き取るなどの問題ではない。聞き手の脳に「意味」が伝わっているときに正しく書き取りができる。

トランスクリプションをしていると、当然「書き取れない部分」がある。意識が音素を聞き取れないのではなく、話し手の喋りの意味に脳が反応できないからである。脳は意味を分析できない部分を分析しようとして情報処理作業をフル回転で行なう。その四苦八苦の状態が最高の英語学習であり、本物の英語データ収集である。書き取れず、ついに諦めるまでの、「もがきの時間」が最高の情報処理活動になる。最初に that chicken と聞こえた部分が、あとから that you can であったことに気がつく、and a few と聞こえた部分が and if you と聞こえるようになるといったような仕方で、音素の矯正、リズムの矯正とともに徐々に上達していく。their や give など、聞き取り難い単音節語の音を母音の矯正とともに理解し、aren’t や haven’t などの否定の部分がリズムで識別されるようになる。

聞き流しは有害。
聞き流しは聞き取れた部分だけが聞き取れ、聞き取れなかった部分が聞き取れていない。聞き取りではなく、書き取りのみが有効である。書き取りは書き取れない部分を絶対に聞き流してしまわない習慣の練習である。

学習素材
英語学習者のために作られたビデオなどは本物の英語の自然な喋りではないので、トランスクリプションの練習素材としては不向き。また、YouTube上の英語の発音の先生のほとんどが自分自身外国人である。言語の先生は、ノン・ネイティブの人がなりたがる。リズムが滅茶苦茶な場合が多いので要注意。声が大きく、あるいは小さすぎ、自分の発音に気をつけながら喋るので、すぐにニセモノと分かる。学習者代表のような先生は言語道断。

また、喋っている人の英語がいくら素晴らしく上手なものであっても「母音スライディング」 vowel sliding のない人は純粋なネイティブではないことが即座に識別される。

ドラマは台本がインターネット上で容易に見つかり、答え合わせができてしまうので、練習時間がゼロである。聞き取った文が正しいかどうかよりも、聞き取れない部分を聞き取ろうと「もがく時間」が脳の訓練になり、それが英語書き取り、トランスクリプションの目的である。「結局、分からなかった」と諦めるぐらいが素晴らしい訓練となり、その効果は絶大である。答え合わせができない素材を選ぶとよい。また、ドラマは台詞の文の内容が密でありすぎ、ひねった言い回しなどが多く、困難すぎるので、トランスクリプションの素材には不向き。自然な喋りは、言いよどむ部分、言い間違えて言い直す部分、無駄な部分などがあり、それらも話し手の脳と聞き手の脳の関係のなかで実際の自然な言語の大切な生きた要素となる。つっかかったり、文が不完璧であったりするものこそが自然な言葉である。

ただし、音素練習をする場合は、非常にゆっくりと丁寧にする。早口の発音練習はダメ。英語を発音する際は、舌は水平に寝かせたまま絶対に動かさずに発音する。母音は勿論、すべての子音でも舌は完全に麻痺状態であり、顎の上下のみで発音する。R以外の子音、および曖昧母音はすべて顎を閉じる。

極端にアメリカ人だけに限ってしまうのは勘違いであろう。アメリカ人、カナダ人、イギリス人(RP, Estuary, Cockney)、オーストラリア人が喋っているビデオ。いろいろな喋り方、いろいろなアクセント、いろいろなリズムに接し、話し手の意味がリズムとともに正確に自分の脳に直接伝わるように鍛える。話し手の言う意味が正確に伝わったときにだけ正確な音素が聞き取れるのであるから、音素の聞き取りというものは言葉の世界には存在しない。しかし、まだアメリカ英語の母音の音素が認識できていない段階の学習者はアメリカ人の発音だけに絞って学習すべきであることは勿論である。アメリカ人のなかには非常にしばしばスペイン語を母国語のように喋る人がいるが、原則としてネイティブスピーカーとは英語しか話せない人を意味する。YouTube で英語のネイティブスピーカーのビデオを選ぶときには、英語の上手な人のように見えても、チャンネルの ../videos/ のページを見て、他の言語でビデオを作っていないことを確認すべきである。とくに、英語の発音学習のチャンネルを個人的に作っている人の場合は、すなわち英語学習の教材やレッスンの会社やテレビ放送局で作っているビデオではない場合は、先生はほとんどが外国人のはずなので気をつける。日本人が個人的趣味で日本語の発音を教えるビデオを作る気がしないのと同様、英語のネイティブスピーカーは英語の発音を教えるビデオを作ろうとは思わない。たとえて言うならば、私たちは歩行の際、左右の足を交互に出すが、そのことを YouTube で世界中の人に教えようとは思わないのと同様である。また、自分の歩き方が正しい標準的モデルになるとも思わない。発音の標準、正確な音素というような概念がなく、喋りというものは考えの内容でしかないからである。英語のネイティブスピーカーは英語が音素を並べたものであるとは思っていない。音素を云々するのは外国人だけであり、発音の先生は英語を勉強して上手くなった人が、それを不特定多数の人たちに教えたくなった場合がほとんどである。 YouTube で英語のビデオをひとりで作って大声で音素のお手本を見せたりしている人は十中八九、外国人。外国人の英語の先生の英語を耳にすると、即座にネイティブスピーカーではないことが、けっして英語の得意な人ではなくとも容易に判別できる。ネイティブスピーカーの発音は、どこが違うのか。なぜ、ネイティブスピーカーの発音は即座にネイティブスピーカーのものであると分かるのか。それは、勿論、英語の特有の発音方法があるからであり、それが英語の発音の基礎となる。

英語の先生のなかには can と can’t の音素的な違いを説明する人もいるようであるが、本物の英語の喋りのリズムを生きた緻密な無限の要素をもつデータとして大量に脳に聞かせ、脳がひとりでに必死でそれを判別しようとする機会を毎日のように与えることが必要である。最も有害なのは、生徒が自分なりの理解で can と can’t の違いを発音することによって、意識的に納得して覚えようとすることである。

トランスクリプションの練習とは、脳がネイティブ・スピーカーの声との直接的な接触の時間を持つということ。

知らない単語の L と R の識別
日本人の英語学習者の脳は一日にどのぐらいの時間、知らない単語の L と R の音の識別を命じられているであろうか。英語のネイティブ・スピーカーの発音を聞いて、「この音は L の音か、R の音か」と脳が識別を命じられる時間が毎日どのぐらいあるのか。一日に二時間も英語を勉強している人でも、本を読んで辞書を引いたり、自分で音読をしたりでは、自分の《気持ち》がただ英語を勉強したいというだけの話であり、脳の言語機能と本物の英語の喋りとの接触時間はゼロ。時間を割いていないどころか、邪魔をしている。

英語の文法

次の文を英語に訳せ。自分で実際に英訳するまで、絶対に先に進んではならない。

「昨日、もしも、おたくの息子さんの太郎君がリンゴが嫌いだと知っていたなら、私はアップルパイを買って行ったりはしなかったのに」

この文を即座に英語にして喋れない人は、文法が苦手なのではなく、過去の反実仮想の仮定法の文を作る練習が足りないのでもない。学習者自身の声とリズムで文法的なことを練習するのは禁止。上の文を即座に英語に訳せなかった場合のその原因は、日頃、脳がそのような言い回しを聞くような命令下に置かれていないということ。耳からの音、人が喋った音を脳が直接的に言語機能に取り込んだ、そのような「誰かの声」が脳の中にないからである。言葉は耳で聞いた声で習得される。日本語で書かれた英語文法の教科書は《誰かの声の記憶》の代用にはならない。ある表現を喋れないのは、その表現を一度も耳で聞いたことがないからである。

語彙の量
聞き取りをするには単語の量が必要だから、まず本を読んで単語量を増やして云々と考える人。話し言葉は簡単な単語が使われるから、早口で発音された中学校レベルの単語を聞き取ることから始めて云々と考える人。いずれも、少々考え方がずれているように思われる。語彙力の問題は重要であり、ここできちんと説明しておく。

トランスクリプションのみで英語を勉強するとしても、実際、英文を読むということをまったくしないわけにはいかない。日常的にインターネットなどで興味のあることについて英文で読むということがまったくない生活をしている人は、そもそも英語とは無縁。英語力をつけるためにトランスクリプションのみを英語の勉強の作業とし、それに時間を費やし、努力するということである。その他の時間で英語の勉強ということではなく英文の「字」に接することは不可避である。しかし、そのときに、あたかも語彙が増えるように見えるが、それは耳からの音ではないので脳の言語機能のレベルでの語彙とは言えない。学習者自身の肉声、あるいは学習者自身の意識内での黙読の声では、英単語は記憶されない。英単語は《誰か別の人の声という物体》がない限り記憶されない。

正しい単語
日本語で、たとえば、国語辞典には《きざはし》という見出しがある。階段のことであるが、この語を話し言葉に使ったらおかしい。これは使用禁止語である。この語を、もしも日本語を勉強している外人が使ったら、《かいだん》と言うべきであると教えてあげなくてはいけない。国語辞典の任意のページにおいて、使用禁止語が何パーセントぐらいあるか見てみてほしい。「力士」「新生児」「なかんずく」「しかるに」「我が国」など、書き言葉のみに許される語、演説口調の語の割合も、とても大きい。国語辞典には、90パーセントぐらいはもし外人が使ったら直してあげたい語が載っているようにも思える。「普通は、そうは言いません」という語、外人が和訳の際に辞書で見つけたような単語。日本語が《流暢に》話せる、など。辞書に載っている単語には要注意。

私たちが英語を勉強する際に注意すべきことのひとつとして、和英辞典には実際の話し言葉の語彙という見地から判断するとウソと思えるものばかりが載っているということがある。アメリカ人の話し言葉の語彙には、想像以上に絶対的な枠がある。語彙の枠、それはそう言う、これはこう言うという枠。これはアメリカ人一般の日常生活の習慣のなかで、日本で本で憶える語彙とはずいぶん異なるもののように思われる。また、アメリカ人の話し言葉は固有名詞で溢れている。アメリカ英語は、ジュースの商品名、台所洗剤の商品名、コンビニの名前など、「ジュース」「洗剤」「コンビニ」という普通名詞ではなく、固有名詞を使う言語である。a convenience store などとは会話では言わないのがアメリカ英語の感覚。普通に使われる語、すなわち《正しい語》は、実際にアメリカ人が喋っているビデオなどで彼らの声とともに直接的に憶えるものである。アメリカ文化は夥しい量の固有名詞が溢れていて、英和辞典とは別の所にある。英語の語彙の中心にあるのは、現代のアメリカ人の日常生活の文化である。

英語ネイティブは早口だから聞き取れない。
早口で聞き取れない部分は、意味が聞き取れていないから音素が認識できないのである。早口のように聞こえる部分を速い音素の聞き取りだと思うのは大変な誤解。人の顔を見てその人物を一瞬にして識別できるのは、顔の各部分をバラバラに見てからそれらを統合しているのではない。もしも、英語ネイティブが過去十代の歴代の大統領の名前を順番に早口で言ったら、あなたはそれを聞き取れないであろうか。もしも、一年の十二ヶ月を順番に猛烈な早口で言ったら聞き取れないであろうか。もしも、1から20まで猛烈な早口で数えたら聞き取れないであろうか。各音節、各音素の列をひとつずつ順番に聞こうとして聞き取れないのであろうか。音ではなく、意味のレベルで即、同調できないのであろうか。英語の初心者は聞き取りが困難である。聞き取りが困難な人は、脳の英語データがゼロの英語初心者である。音は鍵のギザギザであり、その鍵で戸が開くのならばギザギザのひとつひとつを観察する必要はない。言語は話し手の意味が聞き手の脳の意味に伝わる不思議な機能、一種のテレパシーである。音素の並びを聞くものではない。音素が並んでいると思うのが間違い。モナリザの絵はひとかたまりで一瞬にしてそれと認識され、最後の晩餐もひとかたまりで一瞬にしてそれと認識される。絵の端のほうから部分部分を順番に観察し始め、三秒後に各部分を総括してからこれはモナリザであると認識するものではない。言葉のフレーズも、ひとかたまりの意味を脳が認識するものである。言葉の認識は音素の並びを耳が順番に認識していくものではない。歌舞伎や能は、ゆっくりすぎて台詞の意味が伝わり難く、したがって超ゆっくりな音素も日本人でも認識し難くなるという不思議な論理である。英語の書き取りでは、最初に意味が伝わり、次に音素が認識されるのである。

書き取れない部分は、もちろんビデオの再生スピードを好きなだけ遅くしてみるのもよい。いろいろなことが分かるであろう。

英語の書き取りは、脳が英語データを収集する唯一の方法である。英語の書き取りは初心者には困難な学習方法であり、したがって何年英語を勉強していようと、書き取りの苦手な人は英語の万年初心者である。無駄に大量の時間を費やした勉強家の人たちのことを思うと、書き取り以外の方法がすべて有害であることを知らないということは、実に恐ろしい話である。