英語の定冠詞、不定冠詞、無冠詞、a と the の使い分け

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英語の定冠詞、不定冠詞、無冠詞、a と the の使い分け

定冠詞の付いた複数名詞 the ····s は世界中のすべてのそれを表す。

算数の集合の考え方で、これを全集合とするならば、机の上の5、6本の鉛筆は部分集合である。部分集合を表す普通名詞には定冠詞は付かない。

部分集合が単数の場合は普通名詞には不定冠詞 a が付く。

a は単数の不定冠詞である。

英語には複数の不定冠詞が存在しないので、冠詞の付かない複数名詞になる。

a pencil の複数は pencils である。

さて、ある二人の会話のなかで pencil という名詞が、限られた一本、特別な一本のみしか意味していない場合、名詞 pencil は全集合として使われている。他の鉛筆のことは眼中にない。この the は定冠詞の単数形である。他の外国語では複数の定冠詞が単数の定冠詞と異なる場合が多いが、英語では定冠詞の単数形と複数形は同じである。
the pencil
the pencils

理解しにくいかもしれないが、次の考え方を理解されたい。
特別な鉛筆という物体に定冠詞 the が付くのではなく、普通名詞 “pencil” に定冠詞 the が付いて、その普通名詞が全集合として使われていることが表される。一本の鉛筆という物体が部分集合であったり全集合であったりするのではない。”鉛筆”という普通名詞が部分集合であったり全集合であったりするのである。ひとつの同じ普通名詞が部分集合を表す時と全集合を表す時があり、そのどちらであるかのマークが冠詞である。a の付いた鉛筆という普通名詞は、その鉛筆という物体が沢山あるうちの一本ということではない。その鉛筆という普通名詞が、他のどの鉛筆にも使えるということなのである。a のマークは、その普通名詞とその物体が一対一では結びついていないことを示す。(マークとは印、標識の意。)

人間は哺乳類である。
馬は哺乳類である。
したがって人間は馬である。

日本語のように冠詞や名詞の複数形が使われない場合は、普通名詞が部分集合として使われているか、全集合として使われているかのマークが付かない。この三段論法で全集合のマークと名詞の複数のマークを付けると次のようになる。

the人間s は the哺乳類s である。
the馬s は the哺乳類s である。
したがって the人間s は the馬s である。

すべての人間たちはすべての馬たちであるとなり、三段とも事実と反している。
名詞が部分集合として使われていることを示すマークを # とすれば次のようになる。

the人間s は #哺乳類s である。
the馬s は #哺乳類s である。
したがって the人間s は the馬s である。

このように書けば一段目と二段目は事実に即しており、三段目のみが誤りとなる。一段目の # は、人間が哺乳類の一部であるという意味ではなく、哺乳類という名詞が部分集合として使われていることを示している。すなわち、#哺乳類s は the哺乳類s の部分集合という意味である。人間が部分集合なのではなく、「”哺乳類”という名詞」が部分集合であることのマークである。
#哺乳類s は the哺乳類s の部分集合

日本語は文の集合的な概念に関しては以心伝心に依っているため、あっさりと
「実数は複素数だからね」
「ああ、そうだ、そうだ」
と言ってしまうのであるが、英語では
The real numbers are included in the complex numbers.
のような意味が表現されていなければ《誤り》となる。「すべての実数は複素数の集合の全体の中に含まれる」(定冠詞の付いた複数)
下記の《定義づけ用の a》の部分を読んでいただけば、不定冠詞 a を用いた
A real number is a complex number.
という、いかにも英語らしい美しい言い方がとても集合的な表現であることが理解されるであろう。 「実数は複素数に含まれているので、あるひとつの実数があれば、その数は必ずひとつの複素数であるはずだ」という言い方。これを複数にすると
Real numbers are complex numbers.
となる。集合的な感覚を理解してほしい。「実数は複素数に含まれているのだから、ここに実数がざらざらっと並んでいたら、それは複素数が並んでいるとも言えるという理屈だ」

× The real numbers are the complex numbers.
「すべての実数は、すべての複素数である」
これは、気が狂っている。

× The real number is the complex number.
今、ここで《どの数に関して語っているのか?》が明らかに限定されていなければならないし、たとえ明らかな場合でも、二番目の定冠詞 the は不定冠詞 a のはずである。
Number 5 : Here we are going to consider this real number as a complex number. 「ここでは、虚部がゼロの複素数として考えてみよう」

〇 The real numbers are complex numbers.
「すべての実数の集合の全体は、複素数の全体の部分集合をなしている」

数学が嫌いな人は頭が痛くなるだろうから、話題を変える。

英語は複数の定冠詞も同形で the である。同様に、限られた鉛筆、特別な鉛筆が複数ある場合は the pencils となる。the pencil の複数は the pencils である。したがってthe pencils は複数の鉛筆で全集合になっているので、二通りの意味が可能となる。

・太郎君が所有しているすべての鉛筆、(狭く限定された全集合としての複数の鉛筆)
the pencils = his pencils = all pencils that he possesses.

・世界中にある500億本の鉛筆
the pencils = all pencils in the world.

また、当然のこととして、

単数名詞の全集合の中には部分集合は存在しない。

ある名詞(pencil)が部分集合(a pencil あるいは pencils)として使われることは、その名詞の複数形の全集合(the pencils)としても使われえることを前提としている。

不定冠詞 a は普通名詞の部分集合のマーク。ただし、不定冠詞の複数は存在しないので無冠詞となる。
定冠詞は普通名詞の全集合のマーク。

不定冠詞 a は、「この物体」が世界に500億本ある鉛筆のうちの一本だと言っているのではない。「この名詞」が隣の机の上の鉛筆も、向こうのほうの机の上の鉛筆も、任意に示すことができるのである。冠詞は物体に付いているのではなく、名詞に付いている。「この名詞は部分集合として聞いて下さいね」という意味である。

それに対し、定冠詞の the 付いた「名詞」は、それ以外のそれ、他のそれは世界中のどこにも存在しない。

部分集合である物体
「ある物体が部分集合である」ということは「世界には、他にもそれはある」ということを意味する。したがって「世界中、他にはそれはない」という場合は、部分集合としての名詞で表すことは禁止。普通名詞が「世界にひとつしかない物体」を表す場合には、必ず定冠詞 the が付く。普通名詞が世界中の他のそれを表すことがない場合は、その普通名詞には定冠詞 the が付き、その普通名詞が全集合として使われていることを表す。世界にひとつしかない物体を表す普通名詞に部分集合として不定冠詞 a が付くことはない。

a は部分集合として使われた普通名詞に付けられたマーク。
the は全集合として使われた普通名詞に付けられたマーク。

これらは「物体」に付けられたマークではない。


さて、ここまで理解したら、次は不定冠詞の理解を一段グレードアップ。

英語独特の用法、《定義づけ用の a》

不定冠詞 a の付いた普通名詞は全集合の中から任意の個体を表すことができる。任意の個体を表すことが許されるのは、どの個体も全集合に含まれるための要素を満たしているからである。

「犬は忠実な動物だ」

これは、言い換えると次のようになる。

「どの犬も忠実だ」

任意に犬を一匹選び、どの犬も必ず忠実であるという要素をもつのならば、次のように言えることになる。

A dog is a faithful animal. 犬は忠実な動物だ。

これは辞典などの見出し語の定義づけなどにも常に使われる表現であり、定義づけ用の a である。ひとつの種類として、「忠実な動物の一種」と考えるのは誤り。

「犬を一匹任意に選ぶならば、それは必ず忠実な動物である、したがってすべての犬は忠実な動物と言える」という言い方である。

たとえば、「円周上の任意の点 P は接線の接点となりえる」と言えば、円周上の一点についての話でありながら、円周上の点というもの一般における性質についての記述となる。不定冠詞 a のもつ任意性が、すべての場合において言えるという意味となり、「よろず何々というものは」などの定義づけの少し柔らかめな説明に使われるのは極めて英語らしい集合論的な表現である。

A horse is a mammal. 馬は哺乳類だ。

任意の一頭の馬がいれば、それは必ず哺乳類の一匹であるという言い方。哺乳類の一種類だと解釈すると誤り。

不定冠詞の任意性を使って、一般概念を単数の部分集合でスッキリと表現する。哺乳類という普通名詞が部分集合としての一匹として使われる時は不定冠詞 a がそのマークとなり、複数形の哺乳類という普通名詞が全集合として使われる時は定冠詞がそのことのマークとなる。日本語には冠詞も名詞複数形もないので、部分集合と全集合のマークがない。したがって、部分集合の”哺乳類”が全集合の”哺乳類”に含まれることを「哺乳類は哺乳類に含まれる」と言うことになってしまうかもしれない。

さて、全集合を「私の好きな動物のすべて」とする。その中にネコがふくまれるのならば、次のようになる。

A cat is one of my favorite animals. 任意の一匹のネコは必ず私の好きな動物の全集合に含まれる。

代名詞の所有格 my, etc., は定冠詞 the と同じように普通名詞が全集合として使われていることを表す。

自己紹介などで「私の好きな動物はネコです」と言うときに、しばしば上の文の順序を変えた形が使われる。

My favorite animal is a cat. これも定義づけ用の a である。ネコは「任意のネコ」、どのネコでもOKなので、複数にするのは余計である。日本人には違和感のある言い方である。

The best friend of a girl is diamonds. [発音に注意、ダイムンヅ]。

a girl の a が定義づけ用の a である。任意の女性について必ず言えることであるので、単数で表現される。部分集合の diamonds を単数で a diamond とすると大金持ちの贅沢なジャラジャラした印象がなくなるので不可。英語の動詞は主語のみに一致するので、主語が単数、動詞が単数、述語が複数でも構わない。the diamonds では、世界中に存在するすべてのダイヤモンドという意味になってしまうので不可。

Diamonds are a girl’s best friend.

この不定冠詞 a は名詞 girl だけに掛かっている。英語の動詞は主語のみに一致するので、主語が複数、動詞が複数、述語が単数でも構わない。

the smell of an apple

リンゴを複数にしたい気持ちは分かるが、どのリンゴをも任意にさし示すことができる a は、リンゴを総じて示すことに等しい。an apple で、一個のリンゴに限っているのではなく、「よろずリンゴというもの」を表す。


不定冠詞の理解をさらにグレードアップ。

不可算語

happiness, electricity, water, ···tion, etc.

「東村山市の幸福」のように限定される場合には全集合として定冠詞 the が付くが、通常、不可算語は部分集合として使われ、無冠詞であることが多い。日本語には部分集合を明示する要素がないので、我々は、幸福、電気、水、その他の不可算語に関し漠然と電気というものといったような抽象的な観念として考える傾向にある。ところが英語では不可算語は液体やガスなどの部分集合のように認識される。不可算語は部分集合でありながら、数えられる単位が属性としてないため、不定冠詞 a を付けることも、複数の s を付けることもできない。

water

中学校の英語教師は生徒に負担をかけるのを避けて、次のように説明するかもしれない。

「水には a が付けられないので some を忘れずに付けましょう」

これは誤り。some は形容詞であるから、文法上は不必要。

I drink water.

これでOK。量を表現する場合は、量の単位となる名詞を使う。

I drink a cup of water.

I drink a lot of water.

しかし、ここで日本人の読者に理解してほしいのは、I drink water の water は、それ自体で既に部分集合であるということ。抽象性や H2O といった化学的な観念のイメージを捨てて、部分集合として既に適当な量をもっているものとして認識してほしい。a を付けたいのだが付けることができない、s を付けたいのだが付けることができないということであり、そもそも water という名詞は既に適当な量をもっている。それが両手ですくえる量であるか、琵琶湖の容積であるかは知らない。日本人が英語の不可算語を抽象的な名詞と考えてしまうのは、英語の名詞のもつ部分集合の表現が体感されていない証拠である。

スプーン一杯の幸せ A spoonful of happiness

幸福といった抽象名詞も、適当な量を属性としている物体の部分集合と考えると、水と同様に扱えるようになる。漠然とした抽象名詞のイメージを宇宙全体に広げてしまうのは日本人の癖である。ただ単に量を測る単位が属性に欠如しているだけの物体、しかし、ある適当な量をもっている液体やガスとして抽象名詞のイメージを理解することが必要である。

不可算語は、そもそも部分集合の感覚であり、したがって定冠詞 the が付けられることを嫌う。

I need freedom. = I need at least a cup of freedom.

I play the piano. (物体としての楽器、可算語)

I play jazz piano. (部屋の中での、音楽のスタイルの流れる量的イメージ、不可算語)

We play chess. = We play a match of chess. (そもそも、チェスという名詞をゲームの仕組みとして抽象的にとらえるのではなく、チェスをするという行為の時間の量的イメージでとらえる。)

たとえば、名詞 emotion には冠詞は付かないが、感情というものを漠然とした抽象的なことがらとは考えないようにする。液体や気体のように扱うことにより不可算語として認識される。

一週間は月曜で始まる。
The first day of the week is Monday.
The first day of a week is Monday.
The first day of week is Monday.
この三つの言い方はどれも使われるが、定冠詞が自然なようだ。
「どのひとつの週を見ても、最初は月曜日で始まっている」と考えるならば、不定冠詞 a でよいようにも思えるかもしれない。しかしながら、週はどの週もまったく同じであり、多種多様な週の共通要素と考えるわけにはいかない。「どの一匹の犬を見ても、うれしいときには尻尾を振るものだ = 犬は、うれしいときには尻尾を振るものだ」とは異なる。
week が無冠詞で発音されるのには、習慣的な感覚において違和感がある。もしも仮に週を無冠詞で用いるのならば、週を数えるときには数えるための名詞、たとえぱ a row of や a series of 等が必要となってしまうであろうし、また複数 weeks も存在しなくなってしまう。週という名詞、それ自体が数えるための単位である。


定冠詞の使い方

限定された名詞

Let’s talk about what happiness is.

Let’s talk about the happiness of the rich people.

限定された場合には、不可算語でも定冠詞 the が付くことは容易に理解できるはずである。

さて・・・

This is a picture of a dog.

これは非常に気持ちが悪い文であり、不可能である。なぜ不可能かと言うと、写真は全世界の写真のうちの一枚、犬は全世界の犬のなかの一匹でありながら、その写真がその犬の写真であるような構造になっているからである。ふたつの部分集合が限定の関係で組み合わさっているのは、気持ちが悪い。

This is a picture of my dog.
= This is one of the pictures of my dog.

安定感の雲泥の差を集合論的な構造で理解されたい。(ただし、この one は単数の部分集合のように見えるが、代名詞であり、それ自身で全集合そのものである。= This is the one of the pictures of my dog.)

名詞が「限定されている」とは、その名詞が全集合として使われているということであるが、とくに全集合が狭められることを意味することが多い。世界中のすべてのそれという全集合から、もっと狭い意味での全集合にするということ。
定冠詞は話し手と聞き手がそれを知っているということではない。たとえば、
clap the hands
と言ってしまうと、世界中の手という手をすべてたたくことにおいて限定されているので、それでは全集合が広すぎて不可能であるから、必ず、
clap your hands
と言う。
あなたの手は他にないので全集合。限定だから話し手、聞き手の了解済みだというふうに間違えて考えて、代名詞の所有格をそのまま定冠詞に置き換えたりすると世界中を巻き込んだ滅茶苦茶な話にもなりかねない。学習者が英語の定冠詞と不定冠詞の役目を正しく理解しはじめると必然的に this などの指示形容詞や my などの代名詞所有格がどうしても必要な語として頻繁に使われるようになってくるはずである。全集合を狭く限定しないと意味をなさないからである。代名詞所有格を上手に使うと文が明瞭で生き生きとしたものになる。英語を喋る人の話には代名詞所有格が多くて、いちいち「私の」「あなたの」と付いているのは日本人には変に聞こえるが、定冠詞で限定してしまうと充分に狭い限定、限定にあたいする限定ができない場合があるからである。定冠詞 the は全世界で限定してしまうからである。定冠詞で限定すると限定が広すぎるかもしれないので、要注意。結果として定冠詞と不定冠詞の正しい使い方を理解すると作文の際にそれまではあまり使わなかった his, her, their といった代名詞所有格の使用、this, these, などの指示形容詞の使用が必然的に極端に増える。日本人の下手な英語には their という代名詞所有格が使われることはない。定冠詞と不定冠詞の使い方を理解すると、任意でもなく、世界中のすべてでもない場合、どうしても their などの代名詞所有格を使わざるをえなくなる。

これは私の鉛筆です。
This is my pencil.
と言ってしまうと全集合的な特別な鉛筆、これは私のイトオシイ鉛筆、という意味になるので不可。ならば、もし部分集合の場合ならばどうするかというと、
This is one of my pencils.
This is a pencil of mine.
というように部分集合で言わないと鉛筆を一本しか持っていない貧乏人ということになってしまう。もしも本当に鉛筆を一本しか持っていない貧乏人だったのならば、
This is the one and only pencil I have.
となる。このへんの感覚は全集合、部分集合の区別のない日本語を話す私たちの想像を絶するところである。代名詞所有格は狭い全集合を意味する。

小銭入れから十円玉を取り出して、
This is my money.
と言うのは、変である。「世界中にはたくさんのお金があるのだが、しかし私のお金はこれだけなのだ」という意味、全財産という意味になる。
= My money is this.

This is my pencil.
「これは私の鉛筆です」が変であるのは、それは逆方向にしたときに、「私の鉛筆と言ったときには必ずこれのことである」となってしまうから変なのである。
= My pencil is this.

それでは欧米人は、いつも等号の逆方向のことも気にしているのかと言えば、実は、そうなのである。

もしも、道で映画俳優に偶然会ったとき、代名詞所有格を使って、
I’m your fan.
と言ってしまうと、多くの人たちはあなたのことが嫌いであり、私だけがあなたのファンであるという意味になる。部分集合として不定冠詞 a を使うのが正しい。
I’m a fan of yours.

留守電には
Please leave a message after the beep.
と録音しておく。
Please leave your message after the beep.
とすると、貴方の唯一のメッセージという意味であり、「最後に世界に向けて何か言い残すことはないか」という意味になる。

This is my friend.
「この人と結婚するかも知れません」という意味。同性ならば、それなりの覚悟をもった上でのカミングアウトとなる。

定冠詞の使い方において、書き手、読み手の了解済みという理解の仕方は誤り。実際の文章では話に既出の名詞には it や them などの代名詞が使われる。話に初めて登場した名詞には不定冠詞、二回目からは定冠詞を使うという理解が当てはまるのは文法の本のなかの一、二行の例文のような不自然な文だけである。実際には学校のテストなどでも十行ぐらいの文章を読ませておいて、「下線部の代名詞は、何をさしているのでしょうか」というのが文章理解の問題として頻繁に出されるとおり、きちんとした、まともな文章ならば大事なところにでも既知の名詞には遠慮なく代名詞が使われるのが普通。たとえそれがよく読まなくては誤読の可能性のある構造をしている文であっても平気で代名詞や関係代名詞が使われる。同じ単語を繰り返し使うことはなるべく避けられる。最初に a dog が登場しても、二回目からは the dog ではなく he が使われるのが英語。特に他動詞には機械的に必ず直接目的語が付くので、代名詞を使ったら読み手に不親切になりはしないかなどとその度ごとに気をつかう必要はない。既知の名詞には定冠詞を付けるとする理解の仕方は「限定されている名詞」ということの意味の誤解かもしれない。限定されているとは、全集合を意味する。

all と all the の違い
「all … 」は、すでに全集合を表しているはずであり、したがって 「all the … 」の the は常に不必要。不必要でありながら、もしも「all the … 」として、the が入る場合には必ずその後に関係代名詞に続く関係節、前置詞に続く修飾などにより、より狭い全集合に名詞が限定されているはずである。英語では関係代名詞はしばしば省略される。「all the … 」でひとつの文がピリオドとともに終わることはない。もしも、ひどくぶっきらぼうな文章で「all the … 」が文末で終わっている場合でも、その名詞には狭い全集合としての意味であるはずである。たとえば、for all the children の the children が国名などによって狭い全集合に限定されていないというようなことはありえない。for all children は、より狭い全集合に限定されていても、あるいはまた世界中の全集合に限定されていても、どちらでも構わない。より狭く限定されている全集合において、all … と all the … の選択に困った場合は、a < some < many < all と並べて考えるならば、all … は「すべてのひとつひとつに関して、どれも」「すべてのひとりひとり」というような、「for each one of … 」の気持ちがあると言える。

ジャズのスタンダードに Thad Jones が自分の赤ちゃんが生まれたときに作曲した A Child Is Born という曲があるが、この不定冠詞の a に意味がある。普通の会話文ならば、極めて狭く限定され my child is born と言うところ。不定冠詞にすると、私には、キリスト教的な神聖な感じ、いとおしさ、小ささ、透明感などが増すように思えるのだが。

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wouldの使い方、法助動詞の規則