アンドレ・マルロー「人間の条件」

アンドレ・マルローの小説の題が「人間の条件」と訳されていることに関する疑問。
いぜんから、何となく引っ掛かっていたことなのですが。
アンドレ・マルローの小説に日本語訳の題名が「人間の条件」とされているものがあります。キケローが人間の不完璧さを特に意味づけながら人間性について書く場合に用いた conditio humana という語をそのままフランス語にした語 la condition humaine が題名です。横文字の感覚では、この場合の conditio という名詞は直訳するならば、条件よりもむしろ状態を意味しているのですが、特にキケローの文においては conditio humana は単に「人間」と訳されるべき語、単に「人間」を表す言い方のひとつとみなされる語です。ちなみに、ウエルイウスは、同じような意味で人間を表す語として、conditio mortalis という語を使いました。この mortalis という語は、いつかは死すべきという語源的な意味を最初にもってくるのではなく、神との比較において人間を指すための、「人間の」という形容詞です。また、ラテン語では mortalis conditio と mortalis natura は、ほとんど同義であるといえます。こうなると、もし英語で訳すのならば、マイケルの曲、マイルスのお気に入り、ヒューマン・ネイチャー、hominis natura が意味として近いと言えます。「だって、人間だもん」。フランス語として考えた場合には、もしも条件という意味であるならば、複数で les conditions humaines となるのが口調として一応自然ではあるのですが、しかし、複数にすると意味がもっとボンヤリとしてしまいます。たとえば、電気屋さんで高価なテレビを買うときに 15% の割引きにしてくれるとします。買い手が一匹の猫ならば 10% 引き、買い手が犬ならば 12% 引きにするという場合、人間であることを条件として 15% 引きにしてくれるわけであり、「買い手が人間であるならば」という条件、すなわち、いろいろな条件があるうちの区別としての「人間の」という形容詞がつくことになります。尻尾がないこと、眉毛があること、性器を隠して外を歩くことなどが人間であると判別されるための条件であり、その条件を満たすならば電気屋さんはテレビを 15% 引きにしてくれます。アンドレ・マルローの小説の題を「人間の条件」という訳にすると、何のための条件なのか、人間であるための条件なのか、人間となるための条件なのか、人間が何かをするための条件なのか、人間に既にそろっている条件なのか、まったく概念が伝わりません。「人間の条件」は、「目は人間のまなこなり」と同様、いかにも意味がありそうでありながら、意味のない、意味の伝わらない日本語訳の題名です。「人間の状態」という題名では語呂が悪すぎるのは明らかですが、条件という語で訳す意図、「人間の条件」という訳の意味が、まずなにより文法的に、私には見当がつきません。たとえば、「人間なんて、この程度さ」「しょうがないじゃん」「人の性《さが》」というような意味の題名であったならば、アンドレ・マルローの la condition humaine に近いような気がします。アンドレ・マルローの小説の筋が極端に政治的であるので、「人間の条件」と訳されると、いったい何の条件であるのかということはどこかへ行ってしまっています。詩歌とは異なり、小説では概念を伝えることを使用される語の第一の役目とすべきです。
・私の使っている Le livre de Poche 発行のラテン語フランス語辞典では、conditio という名詞は料理用語としてのみ訳語があり、ハムなどの貯蔵過程での塩コショウの添加、あるいは一般的に調味料を加えることという意味であり、condicio という語が condition のラテン語になっています。主な意味は状況、状態であり、何々のために満たすべき「条件」といった意味は condicio という語の中心的な本来の意味ではありません。そして、少々意外で、なかなか思いつかないと思われるのが condition に意味的に近い語が disposition であるということです。
・また、興味深いものとして「労働条件」という語があります。フランス語でも conditions de travail といい、複数になります。雇用者と労働者の間での契約の際の内容ですが、実際には、「気温40度の過酷な労働条件で働く」といったような言い方がされ、労働条件という語が労働の状況や状態として、労働環境、労働時間などの意味をもっていることです。しかし、この意味でアンドレ・マルローの小説の題を「人間の条件」と訳すのは無理です。「過酷な人間条件で生きる」というような日本語はありません。
・「立地条件」という語も、もしも立地条件が良ければビルを建てましょうという意味ですが、ある一箇所の土地の立地条件は、裏に崖がある、高台にある、など既にきまったいて、その土地の立地条件を変えることはできません。その意味で、立地条件とはその土地の状態を表します。人間の状態や状況は美徳や悪徳などの属性とともに既に決定していて、もしも状況としての「人間条件」が良ければ人間になりましょうという条件ではありません。
・「馬場状態」という語があります。競馬場のコースの土のコンディションであり、良、やや重、重、不良の四段階があり、雨が降った後などで土が濡れている状態の場合は、皆は重馬場に強い馬に賭けるわけです。グチャグチャの場合でも競馬は行われますので、競馬が行われるための条件ではありません。「悪条件にもめげず」という場合の「条件」という語は、状態や状況という意味でのコンディションです。
・フランス語の名詞 condition には、「条件」という意味と「状態、状況」という意味がありますが、以上のような理由から、la condition humaine は後者であり、アンドレ・マルローのこの小説の題を「人間の条件」と訳すのは誤訳であると私は考えます。題名の提案としては「人間」というのはいかがでしょうか。逆の言い方をするならば、アンドレ・マルローは「人間」という題をこの小説につけたかったのですが、”Les Hommes” では男たちかもしれず、深い意味合い、重い意味合いが伴い難いと考え、人間を意味するラテン語的な古い語 “La Condition Humaine” を用いたのではないでしょうか。もしそうならば、邦訳の題名としては「人間」が適当と思われます。
・加えて、一般に日本語訳では、欧米の言語ではさまざまに限定、修飾として表現されている部分を十把一絡げに助詞の「の」にしてしまいがちです。日本語の助詞「の」が概念の表現を曖昧にする場合にも気をつける必要があるかもしれません。この助詞「の」に関してはジャパニーズ女子のお花ちゃんの解説があります。JapaneseJoshi on YouTube

ハンナ・アーレントにも同じようなタイトルの作品があるが、そこにおいても condition という語を条件と訳すのは誤りと思える。