赤ちゃんの命名、国際的な名前

赤ちゃんの命名、国際的な名前
Mike Myers の映画のなかに、東洋人の双子の女性が現れて、「私の名前は Fukuyo です」「私の名前は Fukumi です」と言うのには、超自我を失った男 Austin Powers ですら流石に唖然とする場面がありました。

赤ちゃんの命名、国際的な名前を考えるときの注意。
今の日本の赤ちゃんの名前は奇抜で明るく楽しいものが多く、私のような年寄りにはとてもうらやましく思われます。ここでは、誰でも知っているような当たり前のことを書くのは抜きにしますが、最初に一回だけ。名前のつけ方は自由ですから他人がどう思うかを必要以上に気にしないでもいいと思いますが、いずれにせよ名前をつけられる本人の身にならなくてはいけません。

以前は日本のパスポートなどはアルファベットは必ずヘボン式と決められていました。カタカナでフィリップという名前の日本人はパスポートには Firippu となっていたのですが、現在はこの規則は正しく改められ、Philippe, Philip, Phillip, Philipp などでもよくなりました。しかし、そうは言っても日本の赤ちゃんに欧米的な要素のある名前をつける場合はヘボン式ローマ字にしたときに本来の名前のアルファベットとのあいだに衝突がないことも何かの重要な手続き、コンピューターによる処理などの際の支障が少ないと言えます。だから良いとか悪いとかではなく、名前の選択にはそのような要素もあるということです。

このページでは、日本人の名前をアルファベットで書いた場合、その綴りを欧米人が見た場合の読み方を問題とします。たとえば、由美さんを Yumi と書くと、yummy 見たいなのでイヤミと発音されるかもしれませんが食べ物が美味しいという意味なので悪い意味ではありません。ユリさんやユリ子は、音が yuri になり、誰でも urine を連想しますからたいへん気の毒です。日本の親はユリの花のような女の子のつもりでも、欧米人にはユリ子はあからさまに尿的な響きをもちます。もっとも、スプーン曲げの超能力者の名前も Uri Geller ですが。

高橋エイヤフィヤトラヨークトルさん、いらっしゃいますか。
まず、欧米人にとって、あるひとりの東洋人の名前は余程の人間関係でもない限りどうでもいいことであり、最初から憶えようとは思っていない場合が多いと思います。欧米人に限らず日本人でも、人の名前を憶えようとして憶えることはめずらしいのではないでしょうか。「私は山田です」と言うから、その人の名前が山田であると憶えているだけのことであり、意識的に是非憶えようとして暗記するつもりで憶えたりはしないはずです。自分にそれほど関係のない人物の名前がまだ聞いたこともないような四音節、五語音節の名前だったら最初から憶えることを諦めている場合が多いはずです。長い名前はアイスランドの火山のように、最初から憶えるが気がしません。欧米での日本人の長い名前などは、こっちはあの子が好きなのに、むこうは自分の名前すら憶えてくれないというようなことにもなります。特に苗字が既に長い場合など、名前の音節数は少ないほうが良いと思います。漢字では意味があってもアルファベットで書いたときは無意味な音の組み合わせとなり、この長い名前は漢字で書くとどういう意味かなどと説明してもしょうがありません。外国人にとっては無意味な音節の組み合わせですから、音節の順序が入れ替わったりします。外国で生活していると、仕事などで既に五、六回は会っているのに自然に憶えてもらえないような日本人の名前、意識的に憶えようとしない限り絶対に憶えてもらえないような日本人の名前があります。

サッカー選手の Kaká は本名ではありません。本当の名前は Ricardoです。
一般的には最後の母音は男性が o 、女性が a または e が性別とよく合いますが、この規則は無視できます。インド人の名前は男性が a 、女性が長い ī で終わりますが、Ravi Shankar は i で終わるのは短い i だからでしょうか。Luca というような名前もありますし、いずれにしても最後の母音にこだわる必要はないと思います。ただし、女性の名前が o で終わる場合は、女性なのに o で終わるとはとてもユニークで面白い、可愛い、漫画の動物の名前みたいだ、という風には受けとめられるはずです。しかし、それを言ったら日本の女性の名前はよく「・・子」と o で終わっていますからキリがありませんが、たとえば、Eriko さんよりも Erika さんのほうが欧米では女性らしいと言えますし、さらに、女性なのに Eriko は変だとも言えるのです。もちろん日本人の名前だからそれでいいのですが、このページの趣旨においてはそうなります。

バート・バカラックのつづりは Burt Bacharach
日本では、アルファベットを英語の規則で読みますが、外国はアメリカだけではないので注意が必要です。chi を「ち」と読むのは主に英語とスペイン語だけです。フランス語では「し」、ドイツ語では「ひ」になります。ch は、英語でも「く」で発音されることがよくあります。ギリシャ語の χ から来ているのでしょうか。キリストも ch で始まりますし、また、切り離すという意味の schi を「すき」と読む場合が数多くあります。名前に ch が入っていると欧米人はどのように読んでいいものやらと迷います。

ji, ju, jo を「じ、じゅ、じょ」と読む国もとても限られています。j はそもそもラテン語で子音としての i を母音としての i と区別するために縦に長い i として考案されたものです。カエサルの名前はイウリウスです。スペイン語では、ホセ・フェリシアーノ José Feliciano、フリオ・イグレシアス Julio Iglesias のようにハ行になります。

日本語の「ふ」は平安時代以前では p 、平安時代では上下両唇を使った極めて美しい、柔らかな φ の発音であり、現代の日本語ではローマ字の hu なのですが、日本人の耳には英語の f の発音が間違えて「ふ」に聞こえてしまうこと、アメリカ人には日本語の hu が自分達の f に聞こえてしまうこと、ヘボン式ローマ字の規則などの理由からでしょうか、間違えて、Fujiyama などと平気で何の恥ずかしげもなく書かれています。将来、Huji と正しく直されることがあるのならばよいのですが、望み薄です。日本の大きな会社名まで平気で 「Fuji 何々」と書いているほどです。hu という音素は、とても美しい音素ですから大切にして欲しいものです。「はひふへほ」が ha, hi, fu, he, ho だと本気で思うのは、どこの馬鹿でしょうか。

アナエモリ
そして、その h の音ですが、「はひふへほ」と読むのは、主に英語、そしてドイツ語の語頭の場合のみであり、多くの国では h は発音されません。たとえば、ふみ子さんの場合、Fumiko と書くと、ふ、が fu ではないことが欧米人の耳では変であり、また、-iko が何々的という形容詞の男性形語尾のようにも見えて、イタリア人やフランス人なら何やら煙が出てきそうな感じがします。しかし、Humiko とすると、アメリカ人ならば、ヒュミコと読むでしょうし、何やら人道主義的な星飛雄馬のような、デビッド・ヒューム的な感じがし、あるいはフランス人ならユミコで湿気が多いような、スペイン語ならば、ウミコで、これもまた煙っぽい印象をもちます。これを言い出したらきりがありません。しかし、・・ico がイタリア語で ・・的というような語であることは指摘しておくべきであると思います。Kumiko さんは comico のようにも聞こえ、これから何か面白いことを言うぞと一発ギャグを期待されてしまいます。Fumie さんは フュミーと読まれるでしょうし、あるいは、フランスでは家畜の糞の堆肥をフュミエといいます。しかし、隠語でないのでまだましです。日本語のどの名前がどこの国ではどの隠語になるかは、赤ちゃんの名前を決めるときに、頑張っていろいろな国の Google でいろいろなつづりで試してみるしかありません。それを考えると欧米にすでにあるような名前が安全であるとも言えますが、しかし両親ともに日本人で、極めて日本人的な顔立ちで、日本に住んでいる人がシャーロットという名前だったりしたら本人がかわいそうです。また、漢字の当て字も歴史的な文化的な重みが欠如しないように慎重に決めないと本人がかわいそうです。

僕、スィニシキュドです。(以前フランスのテレビでもコナンをやっていました。)
「ん」が一音節であることをは日本語の特徴です。また、Seven Seconds という素敵な曲をドン・チェリーの養女 Neneh Cherry と一緒に歌い、今はセネガルの政治家になっている Youssou N’Dour のように、アフリカの人にも「ん」が一音節となるような名前があります。しかし、一般には子音であり、進一などの「んい」を ni あるいは、ハイフンを入れて n-i と書いて、それを「に」と読むなと言っても無理です。

sa su se so などは語中では、ざ、ず、ぜ、ぞ、になりますから、「さ、す、せ、そ」が名前の頭以外にある場合は注意が必要です。もちろん、どう読まれても構わないと考える場合は別ですが、本人が外国で生活する場合などには、いちいち間違って発音されることになるといったようなことをこのページでは問題としています。

「ぎ」をヘボン式で書くと gi ですが、 gi を「ぎ」と読む国はドイツぐらいではないでしょうか。

発音にはアクセントの位置という要素がありますが、これはもうしょうがないと思います。スペイン語では最後から二番目の音節にアクセントが置かれる場合が多く、イタリア語では更にそれが長く伸ばされて高く発音されますが、これは諦めなくてはなりません。

サダアルオ
ヘボン式では伸ばす音が表記できませんので、注意が必要です。

以上、失礼いたしました。因みに、私は自分の娘にはインド人によくある名前を付けました。