上から目線の心理

上から目線の心理
フランスでは、町で道に迷って通行人に道を尋ねるときには綺麗な女性に聞くのが一番とされている。綺麗な女性は小さい頃から周囲の人にチヤホヤされて育っているため、人に親切にするということが骨の髄まで染み込んでいる。綺麗でない人は、人から冷たくされながら育っているので、冷たい人間関係しか知らないという論法である。この論法を貫いて考えるならば、上から目線の人間が周囲の人たちを見下したように振舞うのは、その人間が小さい頃からずっと馬鹿にされ続けてきた結果ということになりそうだ。生まれてこのかた、さんざん馬鹿にされ続けて育ってきた人間は馬鹿にされることしか知らず、そのために人間関係は、馬鹿にし馬鹿にされること意外にはないのではないだろうか。喋り方も、自分に向けて喋られてきた空気でそのまま喋っているのであり、馬鹿にする雰囲気が根本的に漂う。上から目線の人間がそうである理由は劣等感、あるいは劣等コンプレックスを根底に持つ優越感などではなく、小さい頃から、いやと言うほど馬鹿にされ続け、人間関係が「馬鹿にする・馬鹿にされる」「見くだす・見くだされる」ということを土台として成り立ってしまったものと言える。そのような人間が喋るときは、いくら丁寧に喋っても上から目線の空気が漂う。そういう響きが言葉のリズムや抑揚に染み込んでいる。やさしく微笑んだとしても、相手はその人間に馬鹿にされたような気がしてしまうような微笑みとなる。その人間自身が幼少時代からの上から目線の被害者なのだ。
職場などで読者の身近に上から目線の人間がいるという場合には、なるべくその人を「ほめてあげる」ことが大切かと思われる。周囲の人たちがその人間に親切に接し、愛情ある人間関係を経験させてあげるということである。